桜流し



昨晩からしとしとと降り始めた雨は、
勢いが衰えることなく、京の街を濡らした。



珍しく、取り立ててやらねばならない事もなく、
永倉は暇を持て余していた。

屯所の自室を出て、何の気なしに中庭の方へと足を向けると、
腕を組んで、静かに佇む土方の姿をみとめる。


「珍しいな、こないなところで惚けてるなんて。」

「…惚けてなどいませんよ。」


ふっ、と土方は他の隊士どころか、
いくらか気心の知れている隊長格の人間にすら
余り見せない微かな笑みを浮かべた。


土方の目線の先には、立派な桜の木があった。

この雨でその花びらがはらはらと、
散っていく様が、永倉の心をざわめかせる。


「歌を、詠んでいたのです。」


静かに、土方が言う。


その言葉は永倉が数年前に、
かの地に、置いてきた女のことを思い出させた。





その日も、今日みたいな雨模様で、
連日続いた小春日和が嘘のように、冷えこんだ日だったような気がする。


「それでは永倉殿、私のために歌を詠んでくださいな。」


透子は永倉にしか聞かせない、鈴のような声でそう言った。


確か、いずれは自分は上京する意志があることとか、
侍として生きるうちは色恋にかまけている暇はないとか、

そういう青臭いことを言った直後のことだった。

サッパリとした性格の割に
急に女々しいことを言い出した透子に対して、
可愛い所もあるではないかと思うものの、
永倉は偉そうにフンと鼻をならす。


「俺は、何処ぞの色男と違って、歌は読まん。」


すぐにそれが、同じ試衛館の同胞であるとある男のことを言っているのだと透子は察して口元を隠して笑った。


「けれど、詠んで頂きたいのです。
それさえあれば、透子は永劫、
貴方様を想い続けられるでしょう。」


それでも食い下がって、
寂しそうに永倉の着物の裾を、
ちょこんと摘む仕草は一体何処で覚えてきたのだろうか。


「…ほな、いつか読んだるわ。お前が、待てるのなら。」


永倉がそう言うと、透子は、その大きな背中にすり寄った。


「全く、狡い、お人だこと。」





柄にもなく、思い耽っていたのだろう。
永倉のことを呼ぶ、土方の声で現実に引き戻され、
気の無い返事を返した。


「貴方は、歌を読まないのですか」


土方の問いに、少しだけ頭がクラクラとした。
永倉は静かに目を伏せると、首を振る。



「俺は、歌は読まん。」



その言葉に特に残念がる素振りもなく、
そうですか。と土方が応えた。



水たまりに着水して
ゆらゆらと揺れる桜の花びらを見ていると、

あの鈴の音のような声が聴こえた気がした。






【 桜流し 】



彼の地の 君の幸せは 未だこの手の中に








2016/04/07



prev next