ストイシズム



「御免なさい。然様なら。」


そう言って男の喉に突き刺さった小刀を抜くと、勢いよく、温かい血液が噴き出した。

事切れた、先程まで人間だった骸が支えを無くして
途端に崩れ落ちる様は
いつかの自分の姿であると肝に銘じることにしている。





今日も一仕事を終えて鴨川の上流に位置する、ある秘密の場所で身体を清める。

血液の汚れというものは、なかなかに落ちにくい。

着物は仕方がないとしても、
どれだけ水を被っても肌に染み付いた匂いは消えやしない。

いつだって血の匂いを纏っているのだ。



夕暮れから夜にかけての時間帯を、
幾度となくこの場所で過ごしているが不思議なことに透子は動物にすら出くわしたことはなかった。


最近までは。



突然に現れたその男は名乗りはしなかった。


けれど彼の佇まいや身のこなしから、
所謂、手練の者であることは簡単に把握できて
その白梅のような立ち姿から、もしかして、とは思った。


最初の頃こそ警戒はしていたものの、

何度時を過ごそうとも彼から殺気のようなものは感じないから
少なくともこの場にいる分には無害であると、判断した。



あれはいつかの夕刻頃、
一度だけ、京の街中で彼を見かけたことがあった。


その時着用していた浅葱色の羽織から
彼の本分が新撰組八番隊隊長・藤堂平助であると知った時、
不思議と気持ちが粟立つことは無かった。

むしろ、自分の直感は正しかったのだという自信と
なんとも言えない恍惚とした気持ちを感じたくらいだった。




2人の逢瀬は決して長い時間では無かったが、
お互いに惹かれ合う程度には十分な回数を重ねていた。


本来ならばきっと接触してはいけない間柄であることは、
どちらもはっきり言わないままでもわかっていたし、

だからこそ、それを追求することはしなかった。



今日もいつも通りに、
その場所で冷たい水に肌をさらしていた。


仄かな血の匂いを感じて振り返ると、藤堂がいた。



「如何したの?」



いつもの飄々とした雰囲気はどこかに置いてきたらしい。


藤堂が纏う殺気を嫌がるように、
ざぶん、と透子が肩まで水に浸かる。

そのまま顔の半分まで水の中に沈めて、
静かに藤堂を見つめていると
彼は着物のままに水中へと歩みを進めた。


じゃぶじゃぶと、この場にふさわしくない水音を立てながら藤堂が透子を掬い上げたところで、
ようやく静寂が戻ってくる。



そのまま、何の前触れもなく、
息もできないぐらい強い力で抱きしめられる。





その行動でなんとなくわかってしまった。



幸せって、儚いんだなぁ



と柄にもなく思う貴重な夜と
力強く抱き締めるその腕の暖かさ、
その胸板に顔を埋めることを許された一時。



それを享受できた人生を噛み締めた。






それから数日、
依頼された仕事をこなすべく支度を整え約束の場所へ。



今日はかの有名な人斬り集団が相手なのだから、
準備に抜かりがあってはならない。



チャンスは一度きり。

確実に仕留めなければ。
さもないと。





打ち合わせ通りに、その場所で待っていると、
獲物は程なくして現れた。



…ああ、やっぱり。



どうしたって頬が緩んでしまう。
日の高い時間にお会いするのはこれが初めてのこと。



迷いなく、懐から取り出した小刀を握るのと、
藤堂が反応したのは同時。



確かな感触とともに、顔を上げると
透子は藤堂の背後で刀を振りかざしたままの男を確実に仕留めていた。

驚いたことに藤堂も同じくして、
その男へ脇差を突き立てていた。



「ご無事で何より。」



そう言って、透子は薄く笑うと藤堂へと向きなおる。



「最期に逢えて良かった」



引き抜いたばかりの小刀を一部の躊躇もなく、自身の喉元に突きつけた。


刹那、思っていたよりも鋭い痛みが、
胸を襲った。




自分の手元が緩んで地面に落ちたのが小刀だと分かると同時に、

目の前で刀を薙いだ藤堂の寂しげな表情が目に映る。


透子の身体が地面に打ち付けられるより先に、藤堂が受け止めた。





藤堂の羽織と、着物が透子の血で染まるのを霞む視界で捉える。



血の汚れを嫌う彼に申し訳ないと思った。


言葉の代わりに、
冷たい指先を握る彼の手を握り返したかったけれど



それは叶わなかった。








【 ストイシズム 】





散りゆく桜を見る度に 君を想う








2016/03/31



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