花篝
仕事帰りに明日は休みだしアルコールを摂取しなければ、とコンビニに寄る。
大きな冷蔵庫の扉を開けて迷いなく贔屓の銘柄の缶ビールへと手を伸ばす。
缶をつかんだところで、その二つ隣に季節限定の桜が咲き誇るデザインがされたそれが置いてあった。
あまり口にしたことのない銘柄ではあったけれど、
なんだか妙にそれが美味しそうに思えて、
指先は思考よりも先にそれを手にしていた。
お花見シーズンとはいえ、朝も夜もあまり区別なく働く透子は、
季節の移り変わりなんかにもあまり動じるタイプではなかった。
それなのに、こうしてお花見デザインの缶を手にとって
都内の割に広い公園までやってきてしまった。
そういえば、最近、少しだけ相撲が面白いと思い始めてしまったのも着実に年を重ねてきてしまっている証拠なんだろう。
数年前は会社の同僚とか、学生の頃は同級生なんかと、それこそ花より団子な状態で花見なんかをしたものだ。
桜の咲く公園のベンチで、1人、買ってきたばかりのまだ冷たい缶ビールのプルタブを起こした。
ぷしゅ、という音を立ててから、これから喉を潤す黄金色の炭酸を想像しながら口をつける。
テニスコートやフットサルコートも併設されている公園は、遠くのナイターの灯りで、
ほんのりと桜がライトアップされていて驚くほど幻想的だった。
もう4月だし、昼間はわりと暖かいものだからついつい着てしまった
冬のコートよりもだいぶ薄いトレンチコートは、今宵には少々頼りなくて少しだけ寒さを感じた。
「かーのじょ、隣いい?」
ふいに声をかけられ、透子が振り返るよりも先に、谷村が透子の隣に腰掛けた。
軽口の割に抑揚のない声は相変わらずで、変なのに捕まった、
と思う反面、谷村の出現は少し予想していた。
透子の行動パターンが読まれやすいのか、
単に谷村の感が鋭すぎるのか、
どちらかはわからないけど。
谷村はいつも‘都合よく’透子の側に現れる存在だった。
特段、会話もなく、谷村が透子のビールを寄越せと言わんばかりにこちらを見ている。
仕方がないのでもう1本買っておいたお気に入りの銘柄の方の缶ビールを差し出してやると、
サンキュー、と短くてあまり有り難みが伝わってこないお礼を言われた。
「桜って綺麗なのね、あんまり知らなかった。」
ぽつり。
透子が言う。
一言言い始めたら、言葉が次々と溢れ出てきた。
「ずっと仕事ばかりでなりふり構ってなかったから、そんな当たり前のことがわからないの。いろんなものを見てみたい。」
谷村の桜を見つめる横顔が綺麗だと思った。
たまに相槌を打つような谷村の瞬きを眺めながら
とりとめのない言葉は続く。
「だから今度、お相撲、見に行かない?」
そこで初めて、谷村が笑った。
「そんな誘い文句はじめてだ。」
その呆れたような笑顔が嬉しくて、さらにプレゼンを続ける。
「お相撲の後は、折角だから両国でちゃんこを食べましょう」
どうですか?、と締めくくると、2人の視線が交差した。
「うまい店、探しとくよ」
空になったアルミ缶を握りつぶして、谷村が立ち上がる。
きっと彼はこの後、
送っていくよ、と言うのだろうけど
それはまだ断っておこうと思った。
【 花篝 】
春は始まりの季節だもの2016/04/02
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