sanctuary



いつからか、野良犬に住み着かれた。





今日は珍しく早めに仕事をあがって、意気揚々と帰路に着く。

平日の夜、早い時間に歩く帰り道はとても気分のいいもので、自然と足取りも軽くなる。



家に着くなり、お風呂に直行してシャワーを浴びて化粧も落として
生きていく糧を得るために締め付けていた身体を緩ませ

その乾いて、火照った身体にビールを注ぐのはなんとも贅沢。



時計を見れば、昨日はまだ会社のデスクでブラックの缶コーヒーを煽っていた時間。



まだ残業している同僚がいることを気の毒に思いながら、
2本目のビールをグラスに注いで一服する至福の時間。



2本目のビールもすっかり身体に染み渡った頃、
ベッドルームに入ると、やっばり犬がいた。

大きな大きな、ちっとも可愛くない犬。



「来るなら、連絡ちょうだいっていつも言ってるじゃん。」



人のベッドで我が物顔で寝ている正義の頭を小突いた。

もぞっと大きく動いて、一度大きな伸びをして、正義はこちらを見やる。


「連絡、したっつーの。」


少しむくれながら、正義はベッドの上に無造作に置いた自分の携帯を手繰り寄せる。


「…メール書いただけで送れてなかった」


悔しそうに言うその顔がなんだか面白くて、罰を与えてやらなきゃいけない気になる。

ピシッと正義の額にデコピンをすると、呻きながら正義は布団の中へと亀みたいに潜り込んでしまった。


「夜勤明けなのに伊達さんに連れまわされて眠いんだ、寝かせてよ」


少しだけ開けた目は確かに充血していて、辛そうではある。


「だったら自分の家でゆっくり休みなさいよ」


こんなやりとりももう何度目だろうか。


「ごはんは?いるなら正義の分も作るけど。」

「…んぅー」


イエスなのかノーなのかも不明な返事に呆れて、ベッドルームからキッチンに移動する。

透子の予想した冷蔵庫の中身と、実際の庫内はほぼ同じで、
本当に適当なものしか作れない状態と
これからまた材料を買いに出かける手間を天秤にかけたら
適当に作る選択に当然傾いた。





ふわふわと、睡眠と覚醒の間を彷徨っていた谷村は食欲をくすぐる食事の匂いで目を覚ました。


ほとんど寝ていなくて、すぐに眠りにつきたくてたまらなかったが、
透子に聞かれてかなりの空腹だったことにも気づいたら、
そちらが気になって眠りにつけなくなっていた。


「いいにおい…するな」


スンスンと、犬の様に鼻をならして重たい体を持ち上げる。

ベッドルームから出ると、和風な出汁のにおいがより強くなった。


「お、においにつられてやってきたか。さすがワンコ君。」


ちょうど、透子が丼をテーブルに並べたところで谷村は何も言わずに着席する。

おいしそうな月見うどん。


「食べていい?」

「どうぞ。」

「透子は?」

「私はこれ。」


そう言って、ビールのグラスとサラダの皿を谷村の向かいに置いて、着席した。

透子自身はあまり空腹でないのか、
それともうどんが一人前しかなかったのか、
それはわからなかったが特に聞くことでもないので谷村は、いただきます、と言ってから食べ始めた。

するすると、うどんをすすっていく谷村を頬杖をつきながら
ときおりビールを含みつつ眺める透子。


「おいしい?」

「うん、うまい。」


いつも聞かれることだから、
聞かれるよりも先に味の感想をいつも言っておこうと思うのに
ついつい食べることに集中して言い忘れてしまう。


「そう。」


おいしいと答えようが、口に合わないと答えようが、
変わらないテンションで透子はいつも同じ様に答える。

ただし、その目はいつも優しい。



「ごちそうさま」

あっという間に食べ終えると、満たされた腹を撫でる。

谷村の食事が終わると、透子も晩酌をおしまいにする。
食器を重ねて片付けをする後ろ姿がすごく好きだ。



「先寝てていいよ」

「透子は?」

「これ、片したら私も寝ちゃおうかな。」

「じゃぁ待ってる」



正義はいつもこうやって私の用事が終わるのをリビングで大人しく待ってくれる。

自分以外の人がわざわざ自分に合わせてくれることが苦手だった。




でも不思議と、正義が相手だと嫌な気持ちはない。




【 sanctuary 】


ぐっすりと眠れることが約束された夜は

とても贅沢なものだと私は知っている





2016/02/28



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