dice



漆黒の革張りのソファに浅く腰掛けて
目の前に並べられた書面に軽く目を通す。

最後に、普通の、一般的なOLでもやっていたら
一生見ることのないような額の領収証やらに
不備がないことを確認して、小さく頷くと透子は書類をまとめ始めた。


はじめのうちは現実味のなかった、領収証の金額のゼロの数にも慣れてきた頃。



「あいかわらず手際が、いいな」


「ふふ、当たり前です。柏木さん、いえ、風間組さんはお得意様ですから。粗相があってはいけないでしょう。」



柔らかく笑って、目線は書類に落としたまま透子が言う。

彼女の指先を彩る真紅のマニキュアに既視感を覚え、
記憶を手繰り寄せる。


ああ、そういえば。
先日付き合いで訪れた店のホステス。

あいつも同じような色のマニキュアをして、
怖気もなく鼻にかかった声で何やら話しながら
柏木の腕にくねくねとまとわりついて来た。


その情景を思い出したら、ふいにホステスが振りまいていた異常なほど、甘ったるいコロンの匂いが
柏木の鼻先を掠めた気がした。

同時に思い出すのは
柏木の腕に押し付けられた柔らかい胸の感触と
その爪の真紅は大変けばけばしく下品だな、

と思った感想。



思わず、フン、と大きめのため息をついた柏木に
透子がちらりと上目遣いの視線を送るが、
柏木の視線はどこかに思いを馳せたようなところを向いていたので、
再びそのまま視線を書類に落とした。



ホステスのしつこい残像を振り払うようにして、
柏木は目の前の透子を改めて眺めてみた。



まったく、今日見る真紅は、どうしたことか。

なんとも上品で気高い色に見え、
柏木は、自分の印象の移り変わりに思わず苦笑を漏らさずを得ない。


その指先を視界の端に収めながら、

テーブルの隅に避けていた
やたらと大きなクリスタルの灰皿を手元へ引き寄せて、
紫煙を薫せた。



柏木の目の前に座る女性。
透子は、桐生や錦山と同じ年頃だと聞いている。


女の子は、いつからか化粧を憶えて、
いつのまにか上品な振る舞いを身につけ、
同年代の男どもが子供に思えるような魅力を身に纏い、
女性へと変貌する。


その若さで、
組長である風間のお墨付きを得ているあたり

彼女自身の努力と、様々な幸運と
ツテを使って人をつないで、信頼関係を構築して

今の立場を得たのだろう。



そんな彼女が、まさか。
自分に好意を寄せているとは、いまだに信じられない。




「柏木さん」




風間からの口添えがあったのは、最近でもない。

それから、何度か透子と顔を合わせているが
未だにその真意がわからない。


柏木にしては緩慢な動きで、
呼ばれた方向に顔を上げる。


すでに机に広げていた書類は整頓され、
封筒にしまわれた状態で透子が差し出している。

「ああ」と、自分でもよくわからない返事をしながら封筒を受け取ると透子が笑った。



「どうしました?」


「ああ、いや…まあ、そうだな」



ここのところ、彼女と対峙するとどうもこう、調子が狂う。


彼女も自身のその好意を言葉と態度、
両方で表現してくるあたり、
風間や柏木の思い込みではないことを裏付けている。



現に、こうして仕事を理由に柏木を訪ねては


「そろそろ、柏木さんのお返事を聞きたいな、と思っているんですけれど。」


などと。

帰り支度を整えながら、透子は言う。



「まったく。なんだってこんな老いぼれを」

「あら、老いぼれだなんて。私はとても魅力を感じていますよ。控えめに言って、大好きです」



「もっと、俺じゃなくても他にいるだろう、桐生や錦山なんか年頃も同じだし、いい男だろう」

「厭だわ。私は柏木さんをお慕いしているのです。」



「たく…そもそも、俺たちは堅気じゃないんだ。色恋なんてのは」

「お言葉ですが、色恋なんて甘っちょろいものじゃございません。」



間髪入れずに、最後は遮るように、
透子は被せて言い放つ。

柏木はなんだか居心地の悪さを感じながらも、
このストレートすぎる好意を嬉しく思っているのも事実で、
消化不良のような、なんとも気持ちの悪い感覚になる。


数々の修羅場をくぐって来たものの、

こういった類のやり取りにはどのようにして、
どうやって、

どこに落とし所を持っていけばいいのか。

それが分からない。



いつのまにか長くなった煙草の灰を、灰皿に落とす。



「とはいえ、現状として柏木さんを困らせている自覚もあります。」



そう言って透子はごそごそと、自らの鞄を漁り。


「これで、決着をつけましょう」

取り出したるは、2つの賽子と革のダイスカップ。
得意げに笑う透子と、対照的に柏木は深く呆れた様子でため息を漏らした。


「お前…どういう…」

「そちらの趣向に合わせたつもりだったのですけれど…。もしかして、私、盛大に外しました?」


拍子抜けしたように、そして少し恥ずかしそうにして、
透子は小さく、咳払いする。

その様子に、彼女の彼女らしからぬ、
否、むしろ本当の彼女の可愛らしい一面を垣間見れたことに

思わず笑ってしまいそうになるのを
わざと口元に手を当て、眉間に深い皺を刻むことで誤魔化した。


「…まあ、いいです。丁か半か、賭けましょう?」


2つの賽子を掌の上で玩びながら、透子は続ける。


「柏木さんが勝ったら、今後一切ご迷惑はおかけしません。風間組長に口添えいただいた件もご放念下さい。
ですが、柏木さんが負けたら、ひとつだけ、私のいうことを聞いていただきたいのです。」


白い掌の上をころりころり、と転がる賽子を無表情に柏木はながめ、今度は諦めのようなため息を漏らした。



「その、お前の言うことってのは変なことじゃないだろうな?」

「もちろんです。決して無茶なお願いではありません。」



にっこりと、小首を傾げて可愛らしく。
無邪気に見える笑顔で透子は答える。

短くなった煙草をギュッと、灰皿に押し付けた。



「いいだろう、これっきりだ。こういう落とし所も悪かない。」

「そう言ってくださると思いました。では、」





【 dice 】


たとえ、結果が

紛れのないものだろうと、

イカサマだろうと。






2018/04/03



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