stray cat



始まりを思い出すには少し時間を要するくらいに
付き合っていた彼氏から先刻、

別れを告げられた。



お互い年頃だし、そろそろ結婚かな。
なんて。



淡い思いが見事に砕かれて、
想像以上の空虚さの中、どう立ち振る舞ったか
あんまり覚えてはいないけど。

みっともなく喚いたりだとか、
未練がましくどうしてって縋ってみたりだとか、

そんなことはしなかったはず。


否、透子の性格上そんな真似は
とても出来やしなくて。

心の動揺を悟られてはいけない、と
煙草にすら手を伸ばさず、静かに男の言葉を飲み込んだ。



新しい女の気配を匂わせた男に、
不思議と苛立ちは感じなくて。

ただただ、ぽかり、と穴が空いただけだった。





フラフラと歩みを進めて、
目的もなく歓楽街を徘徊する。

ふと、足元に柔らかい感触がして見下ろすと
猫が透子の足首にじゃれていた。



都会の野良猫がこんな風に人に媚びを売るなんて。



不思議に思いながらも屈んで、
その首元を擽ってやると猫は
「にゃぁん」と、可愛らしく鳴いた。



「…私も、お前みたいに可愛くなれたら良かったのかな」



ゴロゴロと喉を鳴らす猫が
可愛らしく目を細めるのを見て、
その柔らかい感触に癒しを感じつつ撫でていたら、


ポツリ。とアスファルトに雨粒が落ちてきた。




「まじか…」



ポツポツと、そのまま雨粒はいくつもアスファルトに水玉模様を作ったかと思えば、
すぐに黒に近い濃い灰色に染め上げていく。


透子の膝の下で雨宿りする猫を思わず抱き上げて鞄を探るけれど
いつもは持っているはずの折り畳み傘は
先日の通り雨の際に使ったまま、
家に置き忘れていることに気がついた。



ついていない、とことんついてないのだ。
今日という日は。



ぽたぽたと前髪から雨を滴らせて、
瞬く間にびしょ濡れになっていく。

立ち尽くす透子のそばを何人かの人間が
鞄や何かを傘代わりにして、
バシャバシャと地面の水たまりを跳ねさせながら走り去る。



せめて胸元に抱いた温かいこの子が濡れないように。



そう思って顔を上げたら、
目の前に大きな人影が現れた。

同時に、容赦なく降る雨は止んだ。


違う。止んだのではなく、当たらなくなった。




「何しとんねん、こないなとこで。」


「冴島、さん」


「にゃぁんっ」



目の前に現れた冴島に、猫が飛びついた。

それを驚くこともなく受け止めて、ゴロゴロと喉を鳴らす猫を片手であやしながら冴島は改めて透子を見やる。


透子の方へ一般的な大きさのビニール傘を傾けてくれているものだから、はみ出た冴島の肩を雨が濡らす。



「風邪、ひくで。」

「…うん。」


「こいつ、懐っこいやろ。モン吉言うんやで。」

「モン吉…?」

「兄弟がな、こいつ見たときに、ホレここんとこの背中の柄が兄弟のモンモンに似てる言うてな。ほんで、モン吉やねん。」


そのまま冴島は、透子を促して
近くのコンビニまで行くと、
そこの軒下で傘をたたんで一人店内へ入っていった。



程なくして店から出てきた冴島の手には猫缶と
パッケージに入ったスポーツタオル。

スポーツタオルを透子に手渡すと、
屈んで猫缶を開けてやる。



「それ食ったら帰りや。」



いつの間にかあんなに降っていた雨は
ほとんど上がっている。

冴島が煙草に火をつけるのを横目でみながら
タオルで濡れた髪の水分をおさえるようにして拭う。



「何があったかなんて聞かへんけどな。知り合いがあないな風にどしゃ降りの中ぽつーんと突っ立ってたら気になるやろ。」


「それは、その通りですね。」


「まあ、あれや。月並みやけど、元気だしぃや。何があったか知らんけど。」



ふぅーっ、と細く長い煙を目で追って。

透子も自分の煙草を咥えた。
すると、冴島がポケットから取り出したジッポで火をつけてくれる。

彼なりの、気の使い方になんだか温かい気持ちを覚えて
雨の止んだ空を見上げた。






【 stray cat 】



いつのまにか、別の何かで

埋まる隙間を


貴方の優しさで満たして。








2016/07/19



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