Letters



海に行きたい、と。


どうしても叶えてもらいたいわけではなかったけれど
ふと、思い立った希望を声に出してみたら、

ソファで小難しそうな横文字がびっしり敷き詰められたハードカバーに視線を落としていた峯が
静かに顔を上げた。




都心からそれほど離れていない海辺は、
なんだか想像と少し違って、

折角、連れてきてもらったというのに
がっかりした気持ちになってしまう。




海の上に浮かびたい、と再度希望を唱えれば
峯はその骨ばった掌の中で携帯を操作して

どこかへ連絡を取ってくれた。



数時間後には、小型のクルーザーが手配されて
希望通りに海の真ん中に浮かぶことができた。


大型の、やたらめったら豪華なものではなくて
こういう透子の趣味嗜好に合わせた小型でありながら
高性能で、見た目もスタイリッシュなそれを手配してくれた峯に、そっと寄り添った。



潮風を全身で受けながら
シャツ越しの肩に頭を預けて、そっと目を閉じる。



「あのね、私泳げないの」


「そうか。意外だな。」



あまり、人に興味を持たない峯から
そんな言葉が出てくる事が素直に嬉しい。

意外、と言った彼の目に、自分はどういう風に映っているのだろうかと、少しだけ気になった。


けれど、彼の端正な横顔からは
言葉以上のものを推測する事は難かった。



ワンピースのスカートが
風でふわふわと揺れるのを掌で制しながら

甲板の先端で、峯に向かって手を伸ばしてみると
彼は首をかしげながらも、その手を取った。



タイタニックよろしく、
そのまま後ろから抱きしめてもらって、
大海原へと、体の向きを変える。



「大好きよ、すごく。」



後ろから回された峯の腕が透子の体のラインをなぞるようにして胸元から下腹部へと下降し、

そのあまり高くない体温が
じんわりと、大きな掌からつたわってくる。



背後から首筋に顔を埋めて、
峯が大きく深呼吸をする。

透子は、擽ったい、と体を捻って
自然と向き合う形になった。



峯の腕からするりと抜けて、
思い切って、後ろへと体重をかける。



珍しく焦ったような表情の峯に笑いかけながら

背中から水面へと着水。




どぼんっ




ぶくぶくと、人魚姫のように泡にまみれながら
海に沈む体。

でも、人魚姫ではないから
透子は泡になって消えたりしない。


濡れて重たくなったワンピースを重しにして
暫くは、ただただ、静かな、青い暗闇に


沈んで、いくのだ。



勢いよく着水したせいでパンプスは片方脱げてしまったみたいだけれど、どうでも良かった。




海水は目に沁みるけれど
恐る恐る開けてみたら、水中なのにやけにはっきりと


峯がその長い手足で水をかきわけて、
透子の元へと近づいてくるのが見えた。








びっしょりと全身ずぶぬれのまま、
甲板へと舞い戻った峯は、煙草を咥える。


頭から大きめのバスタオルを被せられたまま透子が顔を上げると、

白いシャツが濡れて肌に張り付いているせいで麒麟が存在を主張していた。



半分、予想していた。

否、そうだったらいいなと思っていた通り、
峯は海に落ちていった透子をその手で掬い上げてくれた。



振り返った峯が、
透子に吸いかけの煙草を差し出した。

その申し出にゆっくり首を振って断り、



「嘘よ。私、本当は泳ぎが得意なの。バタフライだってできるわ。」



一瞬眉根を寄せただけでそれ以上は表情に表すことなく、
峯は「そうか。」と、答える。



「ごめんね。こんな甘え方しか、知らないの」



縋るように目を伏せる透子の顎を持ち上げると
そっとキスをしてやる。

峯の濡れた髪から、ぽたぽたと水滴が垂れて
透子の頬を幾筋も濡らす。




「知っているよ。だから、俺はお前を放っておけないんだ。」



名残惜しそうに唇を離したけれど、
鼻先は触れ合わせたまま、峯が言う。



夏の匂いと、煙草の匂いと、彼の香水とが混じった
奇妙で、とても安心するにおいがした。



その芳しい香りの中で、



私を甘やかしてくれるのはあなただけなのよ

と、呟いた。







【 Letters 】

Tell me that you really really love me.
Then you go ahead and leave me.
How the hell is going on.







2016/07/06



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