その花の名前は

07低温やけどの恋

 夏休み真っ只中。友達がプールや旅行に行くなか、今年も私は暑苦しい体育館で額からうっすら汗を流しつつせかせか働いている。毎年思うけど、私は夏合宿で必ず体重を少し落としていると思う。最近体重計に乗っていないから確証はないが。
 温暖化が進んでいるせいなのかどうかは知らないが、年々この時期の気温が絶望的なまで上昇している。そのせいなのか合宿中日の疲労のせいなのか、コートから聞こえてくる部員たちの声もどこか元気がない。「あつーい」と気の抜ける泣き言を一蹴する岩泉の怒声もいつもに比べると威力がないように感じる。

「あっちぃ」

 休憩になってすぐ練習着を脱ぎだした花巻を見て、そろそろ一度洗濯機を回すかと脳内で仕事を一つ追加する。右手を差し出せば、生暖かく湿ったTシャツの重みがずんっと落ちてきた。「いつもサンキュ、マネージャー」と笑う花巻に、毎度のことながら弱いなと情けなくなる。
 受け取った衣服からふわりと香る、汗と混じった柔軟剤の香りは部で使用しているものではない。いつも花巻が密着してくる時に感じるほのかな甘い匂い……って、私はヘンタイか。
 好きな人の匂いというのは、どうしてこう思考をおかしくしてしまうのだろうか。なんてことを考えていると、頭上から低い声がした。

「悪いリナ、俺のも頼むわ」

 右手にずんとした重みが更にプラスされ、見上げてみれば犯人は松川だった。他の部員と比べて、Tシャツを取り替える頻度がそこまで多くない松川にしては珍しい。この環境での練習はそれほどハードということなのだろう。黙ってオーケーサインを出すと、ポンポンと二、三度頭を叩かれ行ってしまった。

***

 先月末、花巻に彼女ができた。いつぞやか告白してきた後輩の子からの返事を出したようだった。別に正式に報告された訳ではなく、部活後の帰り道でなんとなく知っただけ。そこには当然リナも居たわけで。

「サンキュ、マネージャー」
「はいはい」

 休憩中、二人の何気ないやりとりが視界の隅に入る。いつも通り、いままで通り。なんでそんな普通の顔してるんだよ、と喉まででかかるその言葉をスポドリと一緒に飲み込んでぐっと堪えた。
 彼女のいる男を想い続けてる女を想い続けてる俺。こんな昼ドラみたいな相関図が実現してしまうものなのか。状況的に俺は有利なはずなのに、何故こんなにも不安なのだろう。

「悪いリナ、俺のも頼むわ」

 別に取り替える必要はなかった。ただ、体が勝手に動いた。少しでも早く俺で塗り替えたかった、なんて言ったらドン引きだろうな。
 驚いてるリナの顔が少し面白かったけど、まぁそうなるよなと冷静に納得。俺も自分で驚いている。
 リナが花巻の考えていることが分かるように、俺も、リナのことならなんとなく分かってしまう。片想いの辛さというやつだろうか。こんな苦行にこいつは二年も耐えてるのか。
 洗濯かごをひょいと持ち上げ、承諾の笑みを浮かべるリナの様子を見て、今更ながら羞恥心がじわじわ込み上げてきた。くそっ…みっともねぇな俺。

***

 夕飯を平らげた部員をそれぞれ風呂に行かせ、お手伝いのおばちゃんと食器の後片付けを済ませる。あとは体育館のチェックをして、さきほど取り込んだ洗濯物を畳んで明日使えるようしておいて……。やらなければいけないことを順番に頭のなかで並べ立てる。部員よりも遅く休み部員よりも早く起き、あの子たちの力が存分に発揮できるよう微力ながら支える。マネージャーはある意味みんなのお母さんだなと思う。なんて思うたび、自分の母親に改めて感謝してしまう。いつもありがとうお母さん。

「あ、リナ先輩。お疲れっす」
「金田一?お疲れー」

 お風呂上がりなのであろう。金田一の髪が逆だっていない。半分濡れているぺたんこの髪を背伸びをしてわしゃわしゃ拭いてやると「わっ」と焦った声が聞こえてきた。かわいい奴め。「ちゃんと乾かして、風邪ひかないようにしなよ」と忠告すれば「…母ちゃんみたいっスね」なんて返されてしまった。他人に言われるとなんだか複雑だな。
金田一が風呂上がりということは、もう三年のミーティングは終わったのだろう。そろそろ私もお風呂に向かわなければ。

「先輩、今日もこのあと雑用っすか?」
「あと少しだけね。あんたらが寝る頃、お風呂入っちゃうよ」
「あのっ、俺ら一年も手伝いますんで…何でも言ってください!」

 なんて出来た後輩なのだろう。かわいい後輩の嬉しい言葉に心底癒された。よしよしと、自分より大きな男の頭を撫でさっさと部屋へと促しさっさと仕事へと戻った。


ドライヤーの温風に髪が踊らされている様子を無感情で眺める。そう、とても眠い。さっきまでの元気が嘘のようだ。合宿折り返し地点だった今日、マネージャーとしての任務を終え気が抜けたのだ、仕方がないと自己完結させた。
化粧水と乳液、目覚ましセット、歯磨き……寝る前ってなんだかんだやることが細かくあって嫌だなぁ。

「…アイス食べたい」

歯を磨く前に。今日まで1人でマネージャー業務をこなしてきた私に、このくらいのご褒美があってもいいのではないだろうか?いや、いいに決まってる。時計の短針は既に11を指していたが、今はそんなことどうでもいいくらい私は欲望に忠実で、気づけば部屋の扉を開けていた。
パーカーを羽織りポケットには小銭入れとスマホ。昼間はバレーボールの音がこだましていた体育館も、今では怖いくらい静まり返ってる。虫たちの鳴き声と風に揺れる木々の音がなんて心地いいのだろう。夏の夜を満喫しながらこっそり宿舎を抜け出そうとする私は不良マネージャーだろうか。今更少し心配になってきた。

「不良マネージャー、なにしてんの」

びくり、両肩が思いきり飛び跳ねた。声の犯人は、案の定というかなんというか花巻で。悪い顔でこちらに近づいてくる。

「花巻こそ何してんの。もう消灯時間、外出禁止」
「よく胸張って注意できるなお前」

右手に握られた長財布を見るところ、この男も目的地は同じだろう。だがしかし、万が一溝口君に見つかろうものなら大目玉。とくに、選手の花巻は尚更。「特別に買ってきてあげるから、部屋で待ってて」とすかさず出た言葉に心の中で賞賛の拍手を送った。よくできたマネージャーだと自画自賛したいが、半分は好きな男に尽くしたい女心だと気づき拍手していた手を止めた。
スマホの簡易メモアプリを起動させ注文を待つも花巻の口からは何も発せられず。すると、急に手首を捕まれ、入口へ連れていかれる。慌てた私の声なんか知らんぷりで、ついに宿舎と道路の境界線を超えてしまった。ぴたりと歩みを止めた背中に改めて文句を言うと、口の端を釣り上げ地面を指さす。その先は、先程見た境界線の溝。

「共犯、ってことで」

なんて卑怯な言葉だと思った。いろんな意味で、本当に卑怯な男だ。「一緒に行こうぜ」とか「1人じゃ危ないだろ」とか、他に言い方あるじゃないか。そんな言い方されたら、断れるはずない。
ゆっくり歩き出す花巻の後ろをついていく。なんだこれ、めっちゃ嬉しい。
「さっきさぁ」と、えらく言いにくそうに出た一言が沈黙を破った。どうやら、金田一からさきほどの話を聞いたらしい。

「なんだかんだ、今年初めてだもんなぁ。マネ1人って。……まぁ、そこでさ、感謝の気持ちっつうかなんつーか?差し入れでも買ってきてやるかーってなってさ。丁度夜風に当たりたかったっつうのもあってまぁ、その…なんかひとつなら、どーぞ」
「…みんなの意見?」

少しだけ早口な話を一通り黙って聞いた私は、目の前の大きな背中に答えが分かりきった質問を投げてみた。ごめん花巻、このくらいのご褒美もらってもいいよね。

「……いや、まぁ、違いますケドね」

少し赤くなった気まずい花巻の顔はとんでもなく可愛くて、恋って辛いことばっかじゃないんだよなぁなんて噛み締めた。
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