その花の名前は

04云えない愛を秘めて

 担任と進路面談を初めてしたのが去年の秋。体育祭や文化祭を思いっきり楽しんだ後の現実的な話は、正直気が重かった。それは今も変わらない。
 職員室で用事を済ませ、昇降口とは反対に位置する図書室へ向かう。ハッキリ言って、自分が将来何をしたいのかなんて分からない。だが、分からないからといって今できることをしないのは違うと思う。せめて勉強くらいはしておかないと。三年生になってからこっそり図書室で勉強をしていることは、まだ誰にも言ってない。
 図書室の扉を開こうと取っ手に手をかけたとき、遠くの方から私の名前を呼ぶ声がした。その正体は松川。今日もご苦労さん、と続けられ困惑してしまった。

「え、からかわないの?」
「なんで」
「私が図書室とか、似合わなすぎでしょ」
「なんだそれ、自虐かよ」

 私が開けるまでもなく、目の前の扉は松川の手によって開かれる。窓ガラスに一番近い席は今日も空席だ。迷うことなく真っ直ぐその席に腰を下ろし、鞄からノートに筆記用具、問題集を取り出す。松川は当たり前のように私の向かいの席に腰を下ろし、私と同じような行動を目の前で繰り広げた。え、嘘でしょ。

「これ以上頭良くなってどうすんのよ」
「別にそんな良くねーよ」

 みんなでテスト勉強すると必ず私と松川が先生役になってしまうからだろうか。否、私だってそこそこ成績は良い方だが、それでも松川には敵わない。それくらいこの男は勉強が出来るし、普通に頭の回転も速い。こりゃ、社会人になっても苦労はないわ。
 静かな図書室にはペンがノートを走る音と秒針の音、校庭の賑わいが微かに聞こえてくる。そんな落ち着いた空間の中で、時折シャーペンの芯が折れる音が響く。その度、大袈裟にふき出す松川。何が可笑しい。

「力込めすぎだろ」
「あんた達みたいに、日頃から発散できてないのよ私は」

 もっと明るく言うはずだった台詞は、自分でも驚くくらい悲しそうな色を含んでいた。さっきまで笑っていた松川の表情が一瞬だけ曇る。変な空気にしてしまったことを謝罪しようと口を開くが。

「どっかの誰かさんのせいで?」

 持っていたシャーペンが走るのを止めた。それは松川も同じ。花巻が好きだって公言したつもりはないが、隠していたつもりもない。及川にしろ岩泉にしろ、みんな私の気持ちにはとっくに気がついてるし、私もそのことは分かってる。けど。

「そういう言い方するんだ、松川」

 普通なら怒っていい場面かもしれない。だけど気持ちいいくらい松川の言う通りだったから、怒るなんて感情にはなれなかった。寧ろ少し驚いてる。松川は他人を茶化したりしない人だと思ってたから。

「悪い。嫌な言い方したな今」

 松川の低い声が耳元で響く。いつの間にか立ち上がってた松川は、私の頭まで腕を伸ばしポンポンと数回撫でてきた。

「別に怒ってないから、いいよ」

 それだけ言ってもう一度ノートに向き合う。松川は小さくため息をついた後、私と同じように止まっていたペンを再び走らせた。先ほどちらりと見えた松川の解いてる問題集は、私じゃ難解なものばかりだ。やっぱ頭いいじゃん。
 もうそろそろ二度目の進路面談。花巻も松川も確か地元の大学って言ってた気がする。岩泉と及川のことは聞いてないから分からないけど、及川は推薦なんだろうな。この前の試合も、それっぽい人観に来てたし。

「松川は、K大でほぼ確定?」
「ん、そのつもり。リナは?」
「私は……J大、かなぁ」
「J大?リナも?」

 初耳だと驚く松川。そういえば、前回の進路調査票に何て書いたか言ってなかったっけ。リナも、という一言が引っかかり尋ねると、なんと岩泉もJ大希望だったようで今度は私が驚く番になる。

「学科まで被ってたら笑えるね」
「花巻は?あいつも地元?」
「変わってなければ」
「そっか」

 こんな話をしてると、卒業が近いんだなと実感してしまう。多少寂しさもあるが、みんな地元に残るのかと思えばそれも軽くなる。

「卒業しても、大して変わらなそうだね」
「まぁ、なってみないと分かんねーけどな」
「なにそれ?」
「いいや、なんでも」

 困ったように微笑む松川。意味深なその態度が少し気になって、いま一度声をかけようとしたとき、スカートのポケットに閉まっていたスマホが着信を知らせた。ブルルと震えるそれを取り出してみれば、液晶画面には“花巻”の二文字。さっきから松川とお喋りはしていたものの、ここは図書室。さすがに電話には出られず、振動が収まるまで放置することに。

「電話?花巻?」
「…なんで分かるのよ」
「勘」

 放置していたスマホが今度は点灯する。花巻からのメッセージがポップアップされる。

“飯、食いに行かね?”

 こんな中途半端な時間に何を言ってるんだあの男は。最近体重が増えてしまったのは全部花巻のせいだ。いや、シンプルに自己管理不足だけど。それでもあいつと一緒にいると食が纏わりつくから困ったもんだ。どうしたものかと頭を抱えていると、目の前で松川が分厚い参考書をパタンと閉じた。

「行かないの?」
「いや、勉強してるし」
「勉強ならいつでも出来るだろ」
「でも」
「好きなやつといられる時間、大事にした方がいいんじゃねーの」

 今だからこそ。と付け加えた松川の言葉が、妙に胸に刺さった。そうか。もうすぐ卒業。大して変わらないなんてそんなことない。それぞれ違う道に進んで、違う環境に身を置いて。
 そう思ったら、指が勝手に液晶画面を操作していた。短く“行く”とだけ打った文字を送信すれば、すぐに既読マークがちょこんと横についた。それだけですごく嬉しくなる。

「駅前で待ち合わせになった」
「じゃぁ、途中まで一緒に行くわ」

 梅雨が明けるか明けないかの微妙な時期。若干蒸し暑い夕暮れを松川と肩を並べて歩くのは、なんだか新鮮だった。私と松川の間で繰り広げられる会話は淡々としたもので、空白の時間の方が多い。気まずさは特になく、寧ろ心が落ち着く不思議な時間。

 何度目かの空白を打ち破ったのは松川の少しピリついた声。それにより私たちの間にあった和やかな空気が少し変わった気がして、つい足が止まる。

「なにかあったら、俺がいるから」

 それだけ言って歩き出した松川の背中を、私はただ見つめることしかできなかった。
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