その花の名前は

02ゆらり、なみだ

 さっきまでの澄んだ青空から一変、上空には黒く染まった厚い雲が広がっている。雨が降るのは十八時頃と今朝の予報では言っていたが、この様子では放課後まで持つかどうか。面倒くさいと思いながらもちゃんと傘を持ってきた私は勝ち組だ。と、不安な表情を浮かべるクラスメイトを見て小さな優越感に浸った。
 それから十分と経たないうちに低い空から大粒の雨が降ってきて、あっという間に地面を濡らす。祈りが通じず机に項垂れてる隣の男子から斜め前の花巻に視線を移す。分かりきっていたが、やはり傘は持ってきてないらしい。あぁ、もうひと回り大きな傘を持ってくればよかった。

**

 私の予想は外れたのか、ホームルームが終わった今も花巻は私の元に来ることはない。毎回傘を忘れては、私のところへ「いれて」と悪びれもせず言いに来ていた花巻も遂に学習したのかと納得し昇降口へ向かった。

 毎週月曜日、バレー部の活動はオフである。そして降水確率が高い。足りない備品の補充などはオフの日にやってしまいたいのに困ったものだ。どうせ降るなら部活のある日にしてほしいとも思ったが、どのみち体育館の湿度が高まるから嫌だなという結論に至る。
 そんな割とどうでもいい、どうにもならないことを一人ぼんやり考えているとたまたま松川と出くわした。

「松川は勝ち組?負け組?」

 急なことに一瞬だけ眉を寄せるも、私の質問の意味を理解するのに五秒とかからない松川はさすがである。

「微妙に勝ち組」
「微妙ってなによ」
「俺折り畳みだから」

 鞄から取り出した男性物の折り畳み傘は、この大粒の雨を凌ぐには頼りなく見える。しかも松川の大きな体を守るには余計。

「私の傘と交換する?ビニールだから恥ずかしくないよ」
「んー、」

 一向に返事がかえってこないためもう一度声をかけようとしたその時、後ろの方から私を呼ぶ大きな声。思い切り体を反転させれば、花巻が慌てた様子でこちらに走ってきていた。

「おまっ、どこ行ったのかと・・・」
「いや・・帰るんだよこれから」
「雨降ってんじゃん」
「え、なに」
「いれて」

 ヘラっと笑う花巻にムカついたから、威力のないグーパンチを腹にいれてやった。背中にいつものリュックがないところを見ると、荷物はまだ教室なのだろう。さっさと支度してこいとだけ伝え靴箱からローファーを取り出し床に落とした。

「で、リナさん?」
「……なに」
「俺と傘交換する?」

 わざとらしく聞いてくる松川の目は楽しそうで、つくづく性格悪いなと思った。こいつ、こうなること分かってたな。松川は何も言えない私の頭をぐしゃぐしゃ撫でたあと、降りしきる雨の中を飛び込んで行った。
 松川が昇降口を出てからすぐ、階段を駆け下りる音が聞こえたので鞄を肩にかけなおす。ワンタッチ式の傘はバンッと気持ちの良い音をたてて勢いよく開いた。案の定階段を駆け下りてきたのは花巻で、傘を開いてる私を見て再度慌てる。ここまで待ったんだから先に行くわけないじゃん、バカ。

「さーん、にーい、」
「バカ、急かすなって」

 ぐしゃぐしゃ乱暴に頭を撫でたあと、私の手から傘を取り真ん中にくるようにさす。なんてことないじゃれあいも、花巻にされているというだけで意識してしまう。それが幸せであると同時に辛い。
 学校からの帰り道、雨に濡れた紫陽花を二人で見るのは何回目だろうか。回数までは覚えてないが、この男を初めて自分の傘にいれた日のことはよく覚えている。二年前、同じクラスだった私に困ったような笑顔で「いれて」とお願いしてきたんだった。緊張しすぎてあの時自分が何を喋ったか忘れてしまったが、花巻の言ってたことは覚えてる。そう、確か。

「二組の天野さんって、超可愛いよな」
「はぁ?」
「花巻を初めて傘に入れてあげた日、そんなこと言ってたよね」
「そうだっけか」

 そうだよ。と強めの口調で返す。あれで相当私の心はえぐられたからな、という恨みの念を込めながら。どうやら当の本人は本当に覚えてないらしく、確かに可愛いけど〜と言いながら唸っている。

「花巻って、ああいう子好きだよね。芸能人でもマキちゃん好きだし」
「まーな。っつうか、よくそんなこと覚えてたな」
「花巻のことなら、なんでも覚えてるからさ」
「超愛されてるじゃん俺」

 ケラケラ笑う花巻と一緒にバカを装って笑った。そうでもしないとこんなこと口にできないし、強張った顔のほぐし方も分からない。小さなアピールは花巻に一切通用しないようで、なぜ?とも聞き返されないことに苛立ってしまう。かといって自分から、なんでだと思う?なんて言えるわけがない。

「つーか、もっとこっち来ないと濡れるぞ」

 敢えてとっていた花巻との距離。それを一瞬にしてなくしてしまった逞しい腕にドキドキする。そして泣きたくなった。花巻と触れている部分をこんなにも熱く感じるのはきっと私だけで、初めて傘に入れたときのことを覚えてるのも私だけ。

 ねぇ花巻。私が傘を忘れたことないのがどうしてか知ってる?なんであんたのこと、ほとんど分かってると思う?

 言えもしない言葉たちを頭の中にずらりと並べる。もし口に出来たとしても、笑える阿呆面を拝むことになるか、まさかの珍回答に頭を抱えるかだ。きっと成仏できない。そう、恋の駆け引きをするには私はまだ幼稚で、直球勝負をするには私たちの距離は近くなりすぎた。

「今度は傘持ってきなよね」
「はいよ」
「・・・絶対嘘だ」
「リナが入れてくれるし?」
「風邪ひいたらうつすから」

 楽しくて嬉しくて、辛くて悲しくて泣きたくなる。ぐちゃぐちゃに拗らせた私の片想いは、終着点を失いふよふよと浮いている。
 それでも、花巻が傘にいれてくれと頼む相手が天野さんでもマキちゃん似の誰かでもなく、しばらくは私であってほしいと、溢れそうになる涙を堪え静かにそう願った。
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