世界を変える願い事



「うっ………く……。」

春竜が微かな目眩を振り払い身体を起こすと、そこは、見知らぬ街だった。

「ここは………何処だ………。」

決して小さな街ではないのだろう。
英語表記の看板が、夕暮れに染まる中ネオンライトを点滅させている。
街灯がポツポツと灯され始めていた。
春竜がいるのはそこそこ大きな通りなのだと思う。

だが、剰りにも異様だ。

人が…………いない。
何処かで火事でも起こっているのか、何かが燃えている様な焦げ臭い臭いが辺りに漂っている………。

だが、それ以上に……。


「これは………腐臭…か……?」

鼻をつく異臭。……酷い臭い……。
生ゴミ何かではない……。
もっと大きい、何か別のものが腐っている臭いだ。

辺りには大破した車や、割れたガラスが散乱している。
見回すと、通りのショーウィンドーはほぼ全て叩き割られていた。

……一体…何があったというのだろう。

生きている物の気配の無さは、まるで作り物の……、例えるならば映画のセットの中にでも迷いこんでしまったかの様だ。

春竜は戸惑いながらも何とか現状を理解しようと、目覚める直前の記憶を必死に辿る。

確か……生物部の皆で集まって、月代の家でゲーム大会をしていたのだ。
休憩がてらにお茶を飲んでいると、急に眠気が襲ってきて、……そこから先の記憶は無い。

「…ここは、夢なのか……?」

しかし、夢にしてはリアリティーが有りすぎる。

「俺は………一体……どうすれば……。」

自分が置かれた状況が分からず、春竜は困惑に頭を振りながら呟いた。

その時。


『う……あぁ……。』


微かな呻き声が春竜の耳に届いた。

(何処からだ?)

春竜が声の元を探すと、それは道端に転がった大破した車の中から聴こえていた。
誰かが怪我をしてあの中に取り残されているのかもしれない。

「大丈夫ですかっ!?」

助けを求めているならば、と春竜は車の傍に駆け寄った。
近付くにつれて、酷い腐臭がまた一段と強くなる。


大破した車の運転席に、《それ》はいた。


ひしゃげた車体とシートに挟まれている《それ》の右腕は肩から半分千切れてとれかけ、左腕の肘から下は割れたフロントガラスが幾つも突き刺さり、腱が切れた筋肉が露出してだらりと垂れ下がっている。
顔は右側の筋肉の半分が腐り落ちて、下顎骨が所々で見えてしまっている。

「なっ!!」

春竜はあまりの驚きで車から飛び退り、《それ》から離れた。

《それ》はどう考えても生きている人間とは思えない。
《それ》の傷口からはもう血が流れていない。
ぱっと見た限りでは、止血したというわけでなく、最早流れる血が存在していないという様だった。
人間は生きている以上血液の循環が必要だ。
現代医学でも、血液なしに人間を生かす事は出来ない。
だからやはり《それ》は生きた人間では無いと言える。

しかし《それ》は呻き声を上げながら今にも千切れてしまいそうな腕を、春竜へと伸ばしてくる。
いや、こちらに出ようともがいていた。
車が大破した時に下半身も挟まれた様で身動きがとれないのにも構わず、こちらへ来ようとする姿は異様としか表現の仕様がない。
《それ》はカチカチと左顎を鳴らし、閉じる事の出来ない右顎から止めどなく涎を流していた。

(俺を獲物として認識しているのか?)

驚愕と混乱で荒くなっている息を何とか整えながら、春竜は必死で考える。

(これではまるで……ゲームや映画に出てくるゾンビそのものだ。)

フィクションの中にいる《動く屍》。
目の前の存在はまさしくそれだ。

(一体何がどうなっている……!?)

目覚めると見知らぬ場所で、ゾンビまで出てきている。
何かの悪い夢だと思いたいが、鼻につく腐臭がそれは現実だと訴える。

(何にせよ、早く此処から離れないと。)

車に背を向けた直後、背後でドチャッと音がしたので春竜が振り返ると、先程の《ゾンビ》が這っていた。

下半身は引千切ったのか既に無く、こぼれた臓器を引き摺りながら、とれかけた腕で春竜へと這ってくる。
その動きは助けを求めている物ではない。獲物を求める獣のものだ。

『うっ……あぁっ……。』

通りのあちこちから呻き声が聞こえ、誰も居なかった筈の大通りには、春竜というエサを求め、目の前を這い摺る存在と似たり寄ったりな状態の人間……否、ゾンビが集まり始めていた。
その動きは遅いが、春竜を囲む様に一歩ずつ近付いて来る。

春竜は咄嗟に背後にあった店へと飛び込んだ。
幸い店内にはゾンビの姿は無い。

(何か……武器になる物は無いのか……っ?)

もういっその事包丁でも鉄パイプでも何でもいい、と店内を見回すとこの店はスポーツ用品店だったのだろうか、様々なスポーツに使う道具が列べられていた。

(スポーツ用品店……?だったらもしかして……!)

一縷の望みをかけて広い店内を探すと、非常に幸運な事に探し物は見付かった。


アーチェリーの弓だ。


幾つも列べられた弓の中から、最も遠くまで飛ばせそうで威力も高そうな物を選びとった。
傍に置かれていた矢も忘れずに一本残らず取る。

矢を手にした直後、ガラスが破られる音が響き店内に強い腐臭が漂った。
ゾンビ達が店内に侵入してきたらしい。
ゾンビ達は春竜を見付け、ジリジリと迫ってくる。

春竜は背後を取られない様に壁を背にしながら、馴れた動作で矢を番えて弦を引く。
いつも使っている和弓とは少し異なるが、問題は無いだろう。
ギリギリと弦を引き絞り、狙いをゾンビの額に定めた。

ヒトに矢を向ける事に罪悪感と恐怖心を抱くが、映画や物語のゾンビなら手足を射抜いたって止められない。
頭を……脳を破壊するしか、ない。

「止まれ……っ!!」

淡い希望で投げ掛けた制止は、ゾンビには意味を為さなかった。

(……駄目だ……これ以上は……!)

ゾンビに限界近くまで近付かれて、やっと春竜は覚悟を決めた。

弦が高らかに鳴り、矢は狙いからずれる事無くゾンビの額にめり込み、脳を破壊して後頭部へ突き出る。
脳を破壊されたゾンビは糸が切れた操り人形の様に床へ倒れ、そのまま動かなくなった。

一体を倒しても、後から後からゾンビ達は押し寄せる。
春竜はそれらを躊躇なく半ば機械的に射倒していった。




「………これで、全部、か?」

どれ程の時間が経ったのだろう。
気が付けば動く物は春竜のみになっていた。
春竜の前には幾十もの死体が倒れている。

「っ………。」

耐え難い腐臭と自らの行為に、立っている事すら辛い倦怠感を感じた。

…………もし、あの中に……助けを求めているだけだった人がいたら……。
…………いや、それ以上考えるのは止めよう……。
………今は、この状況を生き延びる方が優先だ……。
……ゾンビ達がこれだけだとは、どうにも思えない。
……早く此処から離れなければ……。
そして、少しでも安全な場所を探すのだ。
自身の身に何が起こったのか………知る為にも…。
立ち止まるには、まだ早い………。

春竜は倒したゾンビ達に歩み寄ると、黙々と矢を回収した。
矢を引き抜く度に嫌な感触が手に伝わってくる。
正直気分が悪いが……矢は再利用出来る内は回収した方が良い。
何時矢が尽きるとも、どれ程のゾンビ達を相手にしなくてはならないのか、分からないのだから………。

ゾンビ達から矢を回収し終わってから、春竜は店内を隈無く探して矢を全て回収した。
所謂泥棒だが、非常事態である事で大目に見て貰いたい…。
矢は、同じく店内で見付けた大きな矢筒に入れておく。
これで邪魔にはならない。

店内にもう用は無いと、店を出ようとした時だった。
『ザザッ』とノイズが走る音がした。
音源はどうやら店内に置かれたラジオのスピーカーの様だ。
何だ?と思っていると、ノイズ混じりの英語が聴こえてきた。

『ラクーン市内……非…事態……。…民の……さまは…、ラクーン市警……避難……。』

ノイズが酷くてよくは聴こえなかったが、どうやら此処が《ラクーンシティ》だという事と、警察の方へ避難するよう呼び掛けているのだという事は分かった。


(《ラクーンシティ》………だと……?)


………春竜はその街の名前に聞き覚えがあった。
………だが。


(………俺の……聞き間違え、か……?)



……そんな筈が無い。

此処が……今自身がいるこの街が……ラクーンシティである筈は……無いのだ。



何故ならば……ラクーンシティとは、《バイオハザード》というタイトルのゲームに出てくる架空の街なのだから。


そんな物が現実にある筈が無い。

……しかし……あのゲームの中のラクーンシティの状況と、今自分が置かれている状況は剰りにも似ている……。

(………何が一体どうなっている……?)

春竜の困惑は深まるばかりであった。




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