勝てますように

古い木材の匂い。
ペンキの鼻を刺すような刺激臭。
一歩踏み出せば、ギシッときしむ床板。その音に気付いて、彼女の背中がピクリと動きそして僕を振り返った。

「あら、レギュラス坊ちゃん。」
「・・・・・こんにちは、なまえ。」
「気づかなくてごめんなさい。声かけてくれればいいのに、」
そういいながら、彼女は身に着けていたエプロンから木屑を払って立ち上がった。
「予定より早くついてしまって、」
「坊ちゃんは相変わらずですね、待っていてくださいな。すぐ持ってきますから。」
「仕上がってるの?」
「もちろんですよ。」

なまえはそういって部屋を出て行った。
部屋じゅうにある木材や魔法道具、動物の身体の一部や、見たこともない装飾品。とてもではないが女性の仕事場とは思えない場所だった。
少しすると、なまえは僕の大事な箒をもって戻ってきた。
彼女は箒職人なのだ。

「ぶつけた傷も、先っぽの金具もちゃんと元に戻りましたよ。」
彼女はそういって、大きなテーブルの上に箒を乗せた。そして「どうぞ、確かめてください。」と僕に告げる。
彼女が言い終わる前に箒に手を伸ばしかけていた僕は、クィディッチにおける相棒がピカピカになって戻ってきたことに心底喜びを感じた。
指でなぞれば、前回の試合でぶつけてへこんでしまった個所は滑らかになっていたし、柄の部分は剥がれかけていたニスがちゃんと塗りなおされていた。

「良いですね、」
「気に入ってくれたなら光栄です。」
父が探してくれたロンドンの箒職人。
僕がクィディッチをやる上で欠かせない女性だ。僕の要求通りに箒をメンテナンスしてくれる。僕が勝てるように、最高のコンディションを作ってくれる。
ホグワーツの学生である僕は、随分なまえにお世話になっているのだ。

「しばらくはメンテナンスもいらなそうですね。今回はいつもより念入りに手入れしましたから。」
「ありがとうございます。」
おいくらですか?と、尋ねれば彼女は手をひらひらと振った。
「オリオン様にはいつもお世話になっていますから。」
「けど、」
「このお店を持てたのも、オリオン様が資金を提供してくださったからですし・・・坊ちゃんの箒くらい、いくらでも直しますよ。」
彼女は、そう笑って髪を結んでいたリボンを解いた。


「お包みして、学校までお届けしましょうね。」
「このまま持って帰っても、」
「せっかくこんなロンドンの端まで来たんですから、街を歩いてきたらどうです?箒を持ったままでは目立つでしょう?」
彼女の青い目が、僕を見据えて笑った。
僕の家の場所を知らない彼女は、ブラック家の邸宅がロンドンにあるとは知らないのだろう。
「・・・・そうですね、じゃあお願いします。」
そう告げると、彼女は「休暇明けにお届しますね。」と笑った。


僕は、彼女の腕を絶対的に信用しているし彼女も僕を気に入ってくれているようだった。
父親のこともあるし、むげにできないのは当然だろうが。
「なまえ、」
「なんでしょうか?坊ちゃん。」
「僕、今年で16なんだ・・・そろそろ坊ちゃんはやめませんか?」
そう苦笑すればなまえは「もう、そんなに大人になってしまったんですねぇ。」としみじみといった。
「分かりましたよ、レギュラス様。」
彼女は僕をまるで、愛しい子供を見るような目で見た。

「成人のお祝いに、新しい箒はいかがでしょうか?今から作れば、十分間に合いますね。」
「いや、結構ですよ。今の箒、とても気に入っているので。」
貴女が、何度も何度も手を加えて。
ダイアゴン横丁で買ったときよりも、年季が入って美しくなった僕の箒。
なまえが僕の為に一生懸命点検してくれる宝物だから。

「いつか、レギュラス様の試合を見てみたいものです。」
静かにそう笑ったなまえに、僕はあいまいに笑って店を出たのだった。




新学期、箒が僕の手元にやってきた。
丁寧に包まれたそれを開ければ、ピカピカのボディーが視界に入る。
そして、柄にまかれたリボンには小さなメモが付いていた。

≪次の試合も、勝てますように。なまえ≫

彼女の小さな祈りが、そっと背中を押してくれる気がした。


end

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