たとえばね

冬の間、ホグワーツ城の中は足音が良く響く。石と靴が合わさって、冷え切った空気を振動させれば、誰もいない空間はさらに薄気味悪く見えた。杖先にわずかな明かりを灯して、廊下で眠りについている絵の中の住人を起こさないように慎重に歩く。

いきついた先は、誰もいない天文学の教室だ。
ここの主は、すでにクリスマス休暇に出かけていて留守にしているのは承知していた。手にしていた愛用のブランケットを適当に広げ、ポケットからブランデーの入った瓶と、灰皿と、煙草を取り出した。天井を見上げれば、綺麗な星空が広がっていた。

私がしばらくの間ぼんやりと空を見ていると、微かに部屋の向こうから足音が聞こえた。
近づくそれは、相変わらず早いテンポを保っていて、私は少しだけ笑った。そのまま唐突に開かれたドアに、私は待ち人の姿を見つけて「やぁ、セブルス」と声を掛けた。

重たそうな黒いローブをひるがえして中に入ってきた彼は、部屋が暗いせいでその表情は分からなかった。唯一、私が手元で光らせていたキャンドルの明かりだけが視界に光を与えていた。
「君は『待て』もできないのかね」
私の右手にブランデーの瓶が握られていることを目ざとく見つけたセブルスは、低く唸るようにそう言った。
「生憎躾なんてされてこなかった≪駄犬≫だから仕方ない。心配しなくても君の分もある」
ちょいちょい、と手招きをすれば、セブルスは深いため息を吐いて近づいてきた。


「・・・来ると思わなかった」
私の隣に、少し感覚を開けて腰を下ろしたセブルスにそう言えば、彼は肩をすくめて「天文室でボヤ騒ぎなど起こされては適わん」と不満そうにそう言った。
お優しいことで、と私は悪態をつきながらわざとらしくシガレットケースから一本煙草を抜いて火をつけた。
「いる?」
「いらん」
「じゃあ、こっち」
酒をセブルスに手渡せば、そちらはすんなりと引き受けてもらえた。
私は寝そべりながら視線を適当な場所に固定して、セブルスがグラスに口をつける気配を感じていた。


「クリスマス休暇中に、山ほど課題を出したそうだな」
そう切り出したセブルスは、別に責めているわけでも生徒に同情しているわけでもないようだった。むしろ、楽しんでいるような言い方だった。
「日ごろ私の授業で居眠りしている奴らへの罰だよ。あんな課題、まともに授業を受けている良い子ちゃんたちなら一時間もかからないさ」
そう笑えば、セブルスは「居眠りを野放しにしたままにするお前の指導方針はどうかと思うが?」と苦言を述べた。
「寝たいなら寝ればいいし、サボりたければそうすればいい。生徒に干渉するのはめんどうだ」
「教師の言葉とは思えんな」
「普段顔面が教師とは思えない人間に言われたくないね」
ふーっ、と煙を吐きだしながら私はそう述べた。

「どうせ≪繋ぎ≫だ。教師ヅラをしても無意味だよ」
私の今座っている椅子は呪われているんだから、と暗に告げればセブルスは「まぁ、今更しても無駄だろうな」と応えた。

闇の魔術に対する防衛術。
その担当教諭が毎年変わるのは、もはや暗黙の了解のようだった。その理由を知る者はほとんどいないだろうし、知る必要もないだろう。私だって、うすうす感じてはいるものの、知りたいとは思わない。ただ単に、「呪われている」のだろう。そういう呪いの類は、今隣にいる同僚の出身寮の得意分野である。しかし、別にセブルスは闇に対する防衛術の教諭になりたくて呪っているなどという噂に耳を貸すほど脳みそは軽くない。

「教師生活なんてろくなもんじゃないね。生徒は煩いし、理事はセクハラかますし、校長はタヌキ爺で、碌に煙草も吸えやしない」
そう苦言を漏らせば、セブルスは「おまけに言葉遣いはマクゴナガル女史に口煩く指導される、だろう?」とお決まりのセリフを吐いた。
「向いてないんだよ、本当に」
そう述べれば、セブルスは「だろうな」と呆れたように頷いた。

「私が生徒でも、アル中で年中煙草臭い、たいして面白くもない授業をする教諭などごめんだ」
「なかなか言うじゃない」
「本当のことだろう」
そういわれて、私は「まったくだ」と笑った。
グラスと煙草を置いて、ブランケットの上にごろりと身をゆだねた。
天井を見上げながら、思考の鈍っている頭で言葉を探す。


「私は、自分で自分を録でもない人間だと思ってるよ」
「ほう」
「煙草の値段が上がるたびに胃が痛くなるし。この年でまだ独身だから肩身も狭い。せめて男だったら、って何度も思った」
嘘じゃあないよ、と言いながら私はセブルスを見た。
セブルスも私を見ていた。

「でも、そんなの考えたって無意味だった。私は女で、いろんなことに依存したがる。無意識にね」
「確かに、録でもないな。マクゴナガル女史が聞いたら卒倒するだろうな」
「彼女は尊敬に値する。だって、先生は強い」
深く頷いて、私はいま一度煙草に手を伸ばした。
息苦しさに、深く吸って吐く。
それだけですべてが体外に出ていく気分になるのだから私も随分と単純な造りだなと思った。

「私がどんな理由でこの城を出ていく羽目になるか、楽しみね」
「・・・そう思うか?」
「あら、セブルスはそう思わないの?」
「せいぜい、病院送りにならぬように気を付けたほうがいい」
「貴重なご意見をどうもありがとう」


どうでもいい話を続けて、酒もきれかけるまで、私とセブルスは二人きりで天文室で過ごした。
お互い、クリスマス休暇に予定など皆無だ。
「ホグワーツを出たら、何をしようかなと思って」
「・・・あと半年以上もあるのに、もう次の職探しか?」
セブルスは冷静にそう言った。
「君はいいよ、もうここに半永久就職じゃないか。・・・生徒を苛め殺さない限りは」
そう笑えば、セブルスは「ふん」と鼻で笑った。
きっと、彼も難儀な人生を歩んでいるのだろうが、私の知ったことではない。
少なくとも、魔法薬学の教授は、きっとセブルス以外には務まらないし、校長は暫くセブルスを手放す気もないのだろう。

「それとも、自由が欲しい?」
そう尋ねれば、セブルスは「お前の言う自由は、自由なんかじゃない」ときっぱり言い切った。

「・・・人間、何かしかに縛られて生きているようなものでしょう?真に自由なのは、死人か、赤ん坊くらいだ」
私は笑った。


嘘をついた。

セブルスと一緒にいるときは、わりと自由に生きていると実感がわく。
彼は私を窘めることはあれども、決して生き方を否定することはなかった。煙草や酒への態度はしょっちゅう悪口を言われるけれども、まぁ、そこはいい。
こうして、さみしく冬休みの休暇を過ごす私を、見捨てないで時間を共有してくれるのはありがたかった。異性としてではなく、あくまで同僚として。



「だが」
「うん?」
「仮に、お前が今から酒も煙草も、自虐趣味なピアスも、全部手放して、適当な男と結婚して、適当な職について、それで一般的な価値のある時間を手に入れたとして」
「仮定の話をするのは珍しいね、セブルス」
私がちゃかせば、彼は煩い、と言いながらグラスの中身を全部飲みこんだ。


「お前は、ふとした時に、きっと違うと思うだろうな」
「・・・うん?」
「好きなものを、好きと言い続けてきたお前に、そんなバカげた芸当はできるはずがない」
「その言い方、まるで私が我儘娘みたいじゃない」
「本当のことだ」
セブルスは、私を見て、そして小さく笑った。珍しい表情だった。


そろそろ、お開きにしようか、と言う時間だ。
夜更けに、男女が二人きりでいて何も怒らないのは野暮と言うべきか、理性的と言うべきか。私は生真面目なセブルスをよくよく知っているし、お互いそういう対象でないのは分かっていた。
それでも、なぜだか知らないけれども、彼の冷静すぎる表情を少しでも動かしてみたくなって、手を伸ばした。
触れた皮膚は、熱くも冷たくもないけれども、やけにカサカサとしていた。
「・・・なんだ?」
「こんな素敵なレディが傍にいるのに、君はどこまで紳士的なのかと思ってね」
そう告げると、セブルスは「生憎、同僚の躾まではしてられんのでな」と言いながら私の煙草臭い手を静かにとった。


「サンタクロース、はいるのかな」
ぼんやりとする頭で、ふとそう聞けば、セブルスは「いたとしても、お前のところには来ないぞ」と述べた。
「なんで?」
「こんな時間に、ベッドから抜け出して、飲んだくれているからな」と、セブルスはそう言って私の咥えていたタバコを取り上げた。



「・・・幸せなんていらないけど、優しくしてくれる人間がいるっていいね」
静かにそう伝えれば、セブルスは静かに「それは、明日の朝自分がどこに寝てるか気づいてから考えたほうが良さそうだな」といった。
まさか、真冬の屋外に放りだすほどセブルスは鬼ではないだろう。
「ふかふかの、自室のベッドに運んでくれてもいいよ」
「バカか」
「君のベッドで、裸で寝っ転がってても文句はないけどね」
「そのとき文句を言うべきは君ではなく私だ」
そう言いきったセブルスは、面倒くさそうに周囲に散らばっていたコップやたばこや酒瓶を片付けだした。もちろん、杖のひとふりで。



「たとえば、今私が愛してるっていったら、君はどうする?」
そんな、酔っ払いの戯言を聞いて、セブルスはやはりくだらない、と言いたげに笑って、口を開いた。


「口寂しいだけなら煙草でも吸って居ろ、と君の口にコイツを押し込むな」
残り二本となったシガレットケースをちらつかせながら、セブルスは私を抱き上げた。
どこに運ばれるかなんて知ったことではない。もう、眠くて仕方なかった。自由にしていい、と許してくれているらしい彼に遠慮は無用だろう。私は黙ってその薬草の微かに匂うローブに顔を埋めた。



「手のかかることだ」
苦言を漏らすセブルスに、私は頷いた。
「それが、私の生き甲斐なのよ」


END

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