教授と司書

◎現代パロ

大学の図書室の司書に着任して、早いもので2か月がたった。
有名私立大学であるホグワーツ大学は、たくさんの生徒を抱えていて、出資者も多数存在するため図書室の書架は非常に充実している。今までも、ほかの施設や学校で司書をした経験はあるが、この規模の図書室に勤めるのは初めてだ。
古株の司書さんであるイルマさんは「まぁ、初めは慣れないだろうけど。がんばって」と私を歓迎してくれた。その割には、結構短気なので怒られないように、仕事を覚えるまではビクビクする毎日だったが、今は平気だ。他の同僚とも、うまくやれている。

「Ms.・・・地下倉庫の資料を閲覧したいのだが。」
夕暮れ時、受付カウンターに座っていた私に黒ずくめの男性が声を掛けてきた。
生徒ではなさそうなので、おそらくは教員だろう。普段は本棚の整理が私の担当なのだが、イルマさんが今日発売の本を買占めに行ったので、私が代わりを務めているのだ。
「ここに記名をお願いします。」
代わりとはいえ、仕事はちゃんと教えてもらっているので戸惑うことはない。こういうことはたまにあるし。
地下倉庫は貴重なものばかりを仕舞っているので、管理も徹底している。指定の記名表に記入をお願いしている間に、私は後ろの鍵掛けから地下倉庫の鍵を探し出す。

あった、と鍵を手にし振り返ると彼はすでに記入を終えていた。
「セブルス・スネイプさん、ですね。返還の際にはまた声をかけてください。」
「ああ。」
彼に鍵を手渡して、その背中を見送った。やや猫背気味の後姿は、どこにでもいる少し変わった大学の教授、というイメージである。
「次の方、どうぞ。」
カウンターの横で待っていた生徒さんにそう声を掛ければ、その男子学生は何冊かの本と貸し出しのできるDVDを私に差し出した。
「スネイプ先生、地下倉庫に行ったんですか?」
何気なく、そう尋ねてきた彼に「ええ、そうですよ」と答えれば、彼は安心したような顔をする。不思議に思って首を傾げれば、彼は苦笑した。
「スネイプ先生、心理学の授業持ってるんですけどとっても厳しくて・・・・。ちょっと苦手なんです。」
図書室で勉強していると、たまに小言を言われるらしい。

「そうなんだ。」
「本の虫だしね。研究と本さえあれば生きていけるよ、あの人。」
そう笑いながら言った彼に、手続きのすんだ本とDVDを渡す。
「あ・・・先生ね、夢中になると時間忘れるタイプだから、閉館時間近くなっても来ないようなら声かけたほうがいいかも。」
「そう、教えてくれてありがとう。」
そうお礼を言うと、彼は「どういたしまして」とさわやかな笑みを浮かべて図書室を出ていくのだった。

閉館時間、十分前。
「なまえちゃん、今日私用事があって・・・鍵当番お願いしてもいい?」
「はい。大丈夫ですよー。」
「ありがとう!」
私より、少し先にこの仕事についていたお姉さんは、嬉しそうに荷物をまとめていた。きっと、この後彼氏とデートなのだろう。
と、その時数時間前に地下倉庫に行った教授のことを思いだした。
「すみません、地下倉庫にいった先生がまだ出てきてないんですけど・・・声かけに行った方がいいですかね?」
お姉さんにそう問えば、彼女は記入表を見て「ああ、スネイプ先生か」と納得の表情を浮かべた。
「んー、大丈夫だとは思うけど。論文の締め切りが近いとかなんとか言ってたからなぁ。」
「お話なさるんですか?」
「たまにカウンター業務やってるとね。時間ある時は、閉館時間すぎても学校が閉まるまでは見逃してあげてるからさ。」
どうしたものかね、とお姉さんは考え込む。

「他の生徒さんたちももうほとんど退室しましたし、教授なら私も安心なので・・・時間ギリギリまで待ってみます。」
「えっ、なまえちゃん大丈夫?時間は?」
「今日は特に用事もないので。閉校時間何時でしたっけ?」
「門閉まるのは10時半だから、10時になっても出てこなかったら声かけてあげて。」
「分かりました。」
お姉さんは「ごめんね!ありがとう!」と言いながら図書館を出ていくのだった。


それから私は、データ処理や本棚の整理をしながら時間が過ぎるのを待った。
すると、黒ずくめの彼が奥から歩いてきた。少しだけ急いでいるようで、私は手元のパソコンから顔を上げた。
「すまないっ、随分時間を過ぎてしまった。」
そう言いながら、彼は私に倉庫の鍵を差し出した。
「いいえ、他の仕事もありましたから・・・・先生もお疲れ様です。」
そう声を掛けながら鍵を収納する。先生は退室時間を書き込んで、そして私たちの視線は交わった。
「あっ、地下倉庫の電気。」
「無論、消してある。信用がないのなら、もう一度見に行く羽目になるが・・・。」
困ったような顔をした彼に、私は慌てて首を振った。
「いえ、そんな。」
「・・・・外ももう暗いだろう、勤務時間を伸ばして悪かった。」
そう言ったスネイプ先生に、私は首を振った。
「お気になさらないでください。あ、先生、そろそろ研究室棟の施錠時間になってしまいますよ?」
一度研究室に戻るだろうし、とそう告げれば彼は「ああ」と頷いた。
せかせかと図書室を出ていく彼を見送ってから、私も帰り支度を済ませた。


それから数日後、スネイプ先生が図書室にやってきた。
その日はイルマさんもいて、私は返却された本を棚へ戻す作業をしていた。今日も黒ずくめの格好をしたスネイプ先生は、書類ケースを小脇に抱えている。横目でその姿を見ていると、ふいに彼が方向を変えた。
すると、自然に交わった視線。へ?と私が疑問詞を浮かべているうちに先生はこちらへやってきた。
「Ms.」
図書室の中のため、極力小声で声を掛けられて私は彼を見上げた。
「先日は助かった。あのあと、助手に叱られてな・・・夜道を送りもせずに済まなかった。」
「えっ、全然大丈夫ですよ。」
申し訳なさそうな顔をしたスネイプ先生に私は慌てて答えた。
そうかね?と眉を寄せた彼に、私は頷いた。そのあと、言葉もなく少し沈黙が訪れてしまい私は目を本棚へと向けた。
「論文は、いかがですか?」
そう訪ねれば、スネイプ先生は「締切には余裕をもてそうだ」と少しだけ口角を上げた。「それは良かったです。今日も続きですか?」
「いや・・・・」
そう口ごもったスネイプ先生。
「?」
「あー、・・・研究室にVELDEのケーキがあるのだが、この前の礼にどうだろうか。」
「えっ?」
私が思わず声を上げれば、彼は「休憩時間は?」といたって冷静に尋ねてきた。

「今日は3時から勤務交代で・・・」
「なら良いティータイムだ。」
スネイプ先生は満足そうにうなづいた。申し訳ないような気がしたけれど、VELDEのケーキは大学の生徒にも勤務者にも人気なのだ。私も、まえにイルマさんの差し入れで食べたことがあるけど美味しかった。どうしようかと思案しているとスネイプ先生が「研究室はわかるかね?」と尋ねてきた。
まだ大学に勤務し始めて数か月の私は、広すぎる学内のことを理解できていなかった。そのため、研究室棟の内部のことにも疎い。
「109号室だ。迷うようなら近くをうろついている生徒に聞けばいい。」
そう言った先生は、私が本当にいいのかと再度聞く前に「待っている」と言ってさっさと踵を返していってしまった。

ほんの数分しか話したこともない相手。
同じ大学につとめてはいるけれど、約束を守らなくてはいけないというほどの関係はない。黒ずくめで、生徒に怖がられている彼を警戒しても無理はないだろう。

「失礼します・・・」
「ああ。」
しかし、私は3時すぎにスネイプ先生の研究室にお邪魔した。先生は部屋の奥のデスクでパソコンのキーボードをたたいていて、私が声を掛けると顔を上げた。私が鞄を抱えて、ビクビクしているのをみて、彼は少しだけ表情を緩めた。
「こっちへ」
そう言って彼は私に椅子をすすめ、部屋の隅に会った冷蔵庫からケーキの入っていると思われる箱を出した。このまえ男子生徒が言っていた通り、この人は本好きなのか研究馬鹿なのか、部屋の中はどこもかしこも本だらけ。
大学の教授の研究室は、どこもこんな感じなのだろうか。あまり見回すのも失礼かと思って大人しくしていれば、小皿にケーキとフォークが載せられて私の前に現れた。
「おいしそう」
思わずそうこぼせば、彼は「飲み物は?」とカップ二つを手にそう言った。
「あ、お構いなく・・・」
「一人分も二人分もたいして変わらん。」
「じゃあ、紅茶を。」

湯気の立つカップを受け取って、私と少し離れた位置に座った先生。研究室では白衣を着ているのか、と思った。静かな研究室は、とても居心地が良い。
「・・・・来ないかと思った」
「え?」
沈黙の後に、先生は静かにそう言った。
「たいして面識もなかったのに、無理に誘ってしまったからな。」
「そんなことは・・・」
私はケーキをつつきながら笑った。
「確かに面識もお話したこともなかったですけれど。ケーキ好きですし。」
そう告げると、先生は「君の危機管理能力が心配だ」と少し肩をすくめた。
「本好きさんに悪い人はいない、っていうのが私の信条でして。このお部屋見れば、悪い方ではないのは直感的に察しました。」
古書のいい匂いがします、と付け加えれば先生は少しだけ驚いたような顔をしたのである。
「そうか」
「ええ、そうです」
数秒、彼と視線を交えれば先生は「ともすると、君も悪い人間ではないということだ」と少しだけ可笑しそうに言った。
「そうなりますね。いいこですよ。」
「自分で言うのか。」
「じゃないと、自分の信条を自分で破っちゃいますもの。」
ドキドキしていた緊張が、話をしているうちに大分ほぐれて。美味しい紅茶とケーキに癒された。先生の低くて深みのある声は、私が今まで聞いたことのあるどの声とも違っていた。

休憩時間はあまり長くはない。
名残惜しいが、私は彼に礼を言って仕事に戻ることにした。
「お話できてよかったです。」
「ああ。・・気が向いたら顔を出したまえ。紅茶くらいは淹れよう。」
スネイプ先生は穏やかに言った。
「はい。残りの論文、頑張ってください。」
彼は頷いて私を見送った。
なんだか、とっても素敵な時間を過ごした気分だった。
黒ずくめで、本が好きで、生徒に恐れられていて・・・でも、付き合っていくといろいろ魅力のある人のようにも思えた。

END

「教授、例の図書館の彼女、本当に誘ったんですか?」
「・・・」
「さっき、生徒が言ってましたけど」
「チッ」
「舌打ちしないでくださいよ。良かったじゃないですか、お礼できて。ケーキ喜んでましたか?」
「ああ。」
「いいなぁ、俺も可愛い子とお茶したかったです。」
「・・・・あ、」
「どうかしました?」
「名前を聞くのを忘れた。」
「・・・いや、それダメなやつでしょ。」

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