「みんな、待って!! やめて!!」


魔物のみんなが私を助けに来てくれていたのには、まったく気が付かなかった。情けないことに、目の前のユーリに夢中で周りの事をまったく気にしていなかったのだ。
私の警戒を察したのか、やってきてくれた魔物たちは剣を私に向けているユーリを敵とみなしたようだ。ユーリも魔物が襲い掛かってくるせいで戦うしか選択肢がなくなってしまう。あんなに血が、出てるのに。
興奮した魔物たちにも私の声は届いてないみたいだった。それもそうだ。もう何体もの魔物たちが騎士やギルドに殺されてしまった。怒らないと言うほうが無理な話。けれど今のユーリにこの数の魔物たちが退けられるとは思えない。この状況ではユーリが圧倒的に不利だ。


「やめて! お願いっ!!」


止めようにも、こんなところで魔術を放ったら魔物にもユーリにも当たってしまうかもしれない。被害は拡がるばかりだ。
私がそう悩んでいる間にも、すでに重傷を負っているユーリが魔物たちに追い詰められていく。このままじゃ、ユーリが本当に死んでしまう。――私が、この世界で一番守りたい人が…。


「ユーリっ!!!」


こちらをちらりと見たユーリの瞳と視線が合った瞬間、彼の身体は魔物の攻撃によって軽く吹き飛んでしまった。数メートル先にあった木の幹に強く叩きつけられ、ぐったりと動かなくなってしまう。そんな彼を見て、私は初めて動き出すことが出来た。
追撃をしようとする魔物たちと、気を失ってしまったユーリとの間に割って入り、彼を守るように両手を広げる。魔物たちはすぐに動きを止めてくれた。咎めるように鳴く魔物たちもいたけれど、この子たちは決して私に襲い掛かろうとはしない。


「違うの…この人は悪くない…。悪いのは私…」


そう。ユーリも、小屋を燃やしてしまった騎士やギルドの人たちも悪くない。
悪いのは私。世界の異変から目を背けて、私には関係ないって現実から目を背けていた。だからこんな事態になってしまった。魔物たちを多く亡くしてしまい、ユーリにも辛い思いをさせてしまった。
決して思い出せないのに、僅かにでも私のことを思い出させてしまった。


「異変を取り除かなくちゃいけない。…誰にも、知られずに」


やがて心配げに私の足元にすり寄ってきた魔物が、か細く鳴く。その子の頭を撫でて、私はやっと"前を見た"。
気絶してしまったユーリに振り返り、治癒術をかける。脇腹の傷はとりあえずこれで大丈夫のはずだ。傷口が塞がっただけで、完治したわけではないけれど…危険な状態からは脱した。これでユーリは大丈夫。
血色が良くなったユーリの頬に触れようとして、やめる。――彼ともう一度出会えて、本当によかった。ここまで私を追いかけてきてくれて、思い出そうとしてくれたことも本当は嬉しくて嬉しくてたまらなくて…でも、それと同じ分だけ戸惑いがあって…そんなこと起こるはずないって否定してる自分がいて…。


「ごめんね、ユーリ。…ありがとう」


ユーリが私を…いや、世界中で私の存在が認識されているのには何か理由があるはずだ。
それを取り除かなければならない。世界が私を思い出す事…それは世界があるべき姿を失っているという事だ。星喰みと同じような"歪み"がまた、この世界に生じ始めているという事。…この異変に気が付くのは私だけだ。だからきっと、私にしか対処はできない。
今のことでよく分かった。ユーリが私のことを思い出し始めて…苦しんでいることが。――思い出しちゃいけない。私はやっぱり、忘れられたままでないと…。世界の不幸であり続けないと。私がユーリの…みんなの幸せを守るんだ。


「…クロノスのところへ行こう。彼女なら何か知ってる」


まだ怒りが納まっていない魔物たちをなんとか宥め、私はその場から離れた。
ここにはもういられない。もしかしたら、この大陸にもいられないかもしれない。騎士たちが動き出すということはそういうことだろう。街に顔を出さないようにしていたのが裏目に出てしまった。『魔女』だなんて噂がたっていたなんて。
クロノスの気配はここからそう遠くない。彼女ならこの異変の正体が分かるだろう。疲れている身体に鞭を打ち、私は魔物たちとひたすら歩き続けた。



***



目が覚めると、見慣れない木目の天井が視界に拡がった。
自分でも驚くくらい目が覚めていたせいか、起きて早々視界ははっきりと広がっている。そのせいか、自分の視界を遮っているものにすぐ気が付いた。
頭に巻かれた包帯とガーゼ。視界を遮っている邪魔をそれをすぐに取り、上半身を起き上がらせる。そして自分の置かれている現状を察した。開いている窓からはらはらと入ってくる桃色の花びらを一瞥し、痛む身体に気付かないフリをしてベッドを抜け出す。


「なにしてるんですか、ユーリ!」


ベッドの傍らにたてかけてある己の剣を手に取ったその時、慌てて扉から入ってきた少女にユーリはやはり、と小さくため息を吐き出した。
エステリーゼ・シデス・ヒュラッセイン。本来ならばここにいるはずのない生粋のお姫様だ。ヨーデルが皇帝に即位してからは正式ではないものの、副帝としての地位も確立させつつある少女。そんな彼女が帝都と離れた花の街ハルルに身を置いているのは、彼女自身の夢である絵本作家を目指す為。…ユーリはそれを知っていた。
――彼女が腕利きの治癒術師(ヒーラー)であることも。


「…エステル。久しぶりだな」
「ええ、本当に! ユーリは姿も見せませんし、連絡もなくて…やっと顔が見れたと思ったら、傷だらけで…! もう、どれだけ心配したと思ってるんです!?」
「悪かったって」
「挙句の果てには何も言わずに出て行こうとするなんて! 言語道断ですよ!!」


久しぶりに会って早々、ユーリが知るよりも少し大人びた彼女は怒鳴り散らした。
二年前、共に旅をしていたときよりも随分と性格が変わっているように見える。もちろん、良い方向にだ。ユーリは彼女の成長に苦笑いを零し、なんとかエステルを宥めた。


「もう、騎士団のみなさんに連れてこられたときにはびっくりしました。…まさかユーリがあんな状態になっているなんて…」
「騎士団の奴らがオレをここまで?」
「そうです。一体、何があったんです? 騎士団のみなさんから、例の『魔女』という方の話は伺いましたが…」


魔女。その単語を聞いて、ユーリが不機嫌そうに顔を歪めたのをエステルは見逃さなかった。彼女も噂程度なら聞いていた『魔女』の噂。今回騎士団が捜索隊を出していたのも報告を受け、ちょうど精霊たちに何か知らないかと聞いてみようと思っていたところだった。
捜索隊がハルル付近を探すというのを知って数日後、帰ってきた騎士やギルドの男たちは顔色が真っ青な状態でさすがのエステルも焦ったのをよく覚えている。『魔女』とはそれほど手におえない存在だったのかと。
騎士団とギルドの中を保つために報告を受けに来ていたレイヴンも難しい顔していた。『魔女』の対策はエステルが思っていたよりも困難なものらしい。ユーリが戻って様子を見に行った騎士たちによって連れてこられたのはそんな時だ。


「レイヴンもダングレストに話を持って帰って、改めて対策を考えると言っていました。リタも難しい顔をしていましたが、自分の研究で今は外に出ています」
「…そうか。騎士の奴らは帝都に戻ったのか?」
「いいえ。まだこのハルルに滞在しています。わたしがヨーデルに呼ばれているので一緒に帝都へ行くことになっているんです。…わたしが帝都に呼ばれているのも、『魔女』ことだと思いますが…」
「だろうな。…少なくとも、魔術が使えるのは本当だ。となると、相手は普通の人間じゃない。始祖の隷長(エンテレケイア)かなんかだって……帝都の奴らはそう思ってんだろ」
「え…違うんです?」


魔女と直接対峙した騎士たちからの報告でエステルはてっきり魔女の正体が人に化けた始祖の隷長だとばかり思っていた。
帝都からやってきた騎士たちもヨーデルやフレンがそう推測していると言っていた。しかしユーリはまるでそうではないとでも言いたげに、眉間に皺を寄せている。


「ああ…違うさ。あいつはそんなんじゃない」


魔物に重傷を負わされ、意識が飛ぶ直前のこと。『魔女』と呼ばれている少女が自分を庇うように魔物の前に立ったのをユーリは覚えていた。視界はボヤけ、耳も遠かったがそれだけははっきりと覚えている。彼女が振り向いたその瞬間に気を失ってしまったことも。
まるで知り合いのことを話すかのようなユーリの口ぶりに、エステルはただただ目を丸くした。


「そんなんじゃないって…どういう…」
「――その通り。さすがは青年だ」
「レイヴンっ!?」


突然割り込んできた第三者の声に慌てて振り返れば、ハルルを出てとっくにダングレストに向かっているはずのレイヴンがそこに立っていた。
彼にしては珍しく息も切れ切れの状態で、額からは大量の汗が出ている。エステルは何事かとすぐにレイヴンに駆け寄り、治癒術を施した。怪我をしているわけでもないが、レイヴンはエステルに素直に礼をいい、ベッドにいるユーリにへと視線を向ける。


「…その様子じゃ、こっぴどく振られたみたいだね青年」
「おっさんもその様子じゃ、前の自分を思い出してるみたいだな」
「え…え…? ユーリもレイヴンも…何を言ってるんです?」


互いに顔を付き合せるなり、意味深な笑みを浮かべる二人にエステルは首を傾げる。
レイヴンもユーリも、互いが互いの聞きたい事は分かりきっているのだ。


「それで、どうやって思い出したんだよ。その方法を是非とも教えてほしいね」
「ん? なんだよ青年…思い出したわけじゃないの…」
「残念ながらな。完璧に思い出してれば、あいつを見失ったりしない」
「…うーん…なんだかもう思い出してるような反応なんだけど」


包帯姿から察するに、彼女と何かしらあったのだろう。エステルでも直しきれてない傷があるというのに、ユーリの顔色からはそれを感じさせない強い意志が感じられた。
ギラギラとした瞳でこちらを見上げているユーリにレイヴンは苦笑と共に、嬉しさが込み上げていた。
――一年前まで、誰にも理解されなかった一人の少女の存在を、ユーリは追いかけようとしている。まだ完全には思い出していないのにも関わらず。


「…でも、俺から話すことはできないよ。それは青年が思い出すことだ。…嬢ちゃんも」
「わたしも…? さっきから一体、何の話をしてるんです?」
「世界一馬鹿でお人よしな、魔女の話さ」


ユーリがここにいるということは、やはりもう『魔女』はあの場所にいないだろう。
レイヴンは苦笑混じりにため息をつき、これからどうするかと頭をかく。レイヴンの話にひたすら首を傾げているエステルも魔女という単語だけは理解していた。
そしてレイヴンが魔女について、数日前とは違う反応を見せているという事も。


「『魔女』のことなら帝都でも騒ぎになってるんでしょ? でも、今回みたいに探索兼討伐隊みたいなのを組織されちゃ困るしなぁ」
「レイヴンは…魔女とお知り合いだったんですか?」
「お知り合いよぉ。青年も嬢ちゃんもね」
「えっ…」
「まぁ、そういうこともさせないためにも一度帝都に行かなきゃなんねぇだろうな。どうせあいつはまた姿くらませてんだろ」
「だろうね」


相変わらず自分の分からない話をする二人に、エステルはとうとう声をかけるのをやめた。
ただ先ほどのレイヴンの言葉がずっと頭に残り、言葉がでなくなってしまったのだ。『魔女』と自分が知り合い。そんな心当たりないというのに。


「とりあえず俺様が話せる話は道中で話そうかね。だから青年も何が起こったかちゃんと話してくれよ」
「分かってるさ。時間が惜しいのも確かだしな。…それと、エステル」
「は、はいっ」


視線を泳がせ、ただ戸惑っていたエステルにユーリは頬のガーゼを外しながら声をかける。
突然声をかけられたからか、返事をした彼女の声は見事に裏返っていた。


「今はまだ、分からないままでいい。…ただ、他人事とは思うなよ」


オレもまだ分からない分、一緒に向き合うから。
久々に、彼のこの瞳と視線を合わせた気がする。エステルは呆然とユーリを見つめたまま、無言のまま頷いた。
二年前以来見ていたなかった、彼の強い瞳。有無を言わさせないユーリの言葉を、エステルが理解するのはもう少し先のことだった。



***



雲一つない空の下で一人、魔物たちに囲まれた少女は広大な海を眺めていた。
今日も随分と天気がいい。まるで雲を知らないようなその空を見上げ、もう一度海を眺める。水平線の向こうには船も見えない。ただ広大な海が広がっているだけだった。
太陽の光が水面に反射し、キラキラと輝いている。泳いでいる魚も数匹見えることから、この海の美しさが理解できた。
――この海は美しい。…海だけじゃない。大地も、自然も、人も、魔物も。
少女は口端を上げ、微笑む。


「行こうか」


深い深呼吸をしたあと、少女は再び水平線を見つめる。
まるで炎が宿ったかのように、その瞳には強い"覚悟"が伺えた。
そして少女は走り出す。道もない、海に向かって。

――この美しいものたちを、世界を、守らなければ。

魔物たちが見守る中、少女は少しもスピードを落とすことなく、迷うことなく海に飛び込んだ。
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