思っていたよりも、森の奥の暮らしは苦しいものじゃなかった。
人目のつかない、森の奥。魔物たちの巣として街に知れ渡っているその森の隅に私はひっそりと暮らしていた。僅かな物音しかたてず、誰とも話さないまま。
自分の世界で便利な暮らしばかりしていた私は、最初こそ慣れるのに大変だったけど、やることを覚えた今では快適さすら感じる暮らしになっていた。
私一人しか住んでいないこの小屋には、必要なものしか置いていない。人が来たとしても、四人も入らないであろう狭さ。けれど私にはこれくらいで充分だった。…人が来るなんてありえない話なのだから。

――私は、この世界に存在しない者としてここにいる。
誰も私を知る事はできないし、おそらく認識もできない。認識はできたとしても、目を離した途端に、私と言う存在はその人の頭の中から綺麗さっぱり消えるだろう。何度か実験をしてみたから間違いない。私は生きた幽霊のようなものになっている。
誰も私を見つけられない。誰も私を覚えていない。誰も私を知らない。名前を呼ばれることもなくて、時々自分の名前を忘れてしまいそうになる。誰も話す人がいないから、喉から声が出ることもなくなった。
森の奥に住んでいても、やることはほとんどない。一日が長く感じて、何もすることなく過ぎていく。そんな生活を続けていると、自分がどうして生きているのかと疑問に思う事が多くなるのだ。

そうだ、どうして私は馬鹿正直にここにいるんだろう。
この世界で存在しないと言うならば、この身体が、心がある意味だってないに等しいというのに。
こんな無意味な生活を続けているのも、ここで死んでしまうのも同じことじゃないか。しかも、ここで野垂れ死んでも誰にも迷惑がかからないし、誰にも気づかれない。絶対に。
ここで息を止めても、このまま生きていても、結果は同じだ。
誰からも必要とされず、誰からも認識されない。本当はいないはずの人間なのだから。


「(――ああ…でも、だめだ)」


よく手に馴染む小刀の刃を首に突き付け、食い込ませる。
毎日のようにやっているそれは、いつもここで手が止まってしまう。首筋から血が流れる感覚があった瞬間、私は小刀を手放し、鞘に戻してしまうのだ。
何度も切り付け続けていた首には、いくつも切り傷がある。血が流れていくのをそのまま眺め、私は再び自己嫌悪に陥った。これが、毎日続けている私の日常。
自殺を試みては、自分から流れる血を見て我に返る。――私は幽霊なんかじゃない。そう現実に戻ってくるのだ。


「馬鹿だな、本当…自分から選んだくせに。……救いようがなさすぎる」


そして思い出す。こんな状況にしたのは自分自身なのだと。
全ては私が選んだ道。私が選んだ正義。大切な人たちを守るために選んだたった一つの犠牲。
どんなことがあっても、あの人たちを守り抜く。その決意の結果だ。もちろん後悔はしていない。今でも正しい行動だったと思う。私は何度でもあの選択をするだろう。
――だからこそ、あのとき私の中で全てが死んだのかもしれない。
これは、大切な仲間を裏切った自分への罰だ。この無意味な人生は、私を救おうとしてくれた人たちを裏切ったからこその贖罪。当然の報いを受けているに過ぎない。
…生きなければならない。どんなに無意味な存在でも、どんなに心が死んでいっても…それが私の償いなのだから。


救いなんてあるはずがない。奇跡はもう起こらない。
私は死ぬまでずっと一人。
誰にも知られることなく、死んでいくのだ。



「(それでもいい…。ユーリたちがちゃんと幸せならそれで…)」



自分の心が死んでいくのを感じながらも、時間はゆっくりと進んでいく。
――私がこの世界の不幸になって、二年の時が経とうとしていた。
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