リタやジュディスが言っていた通り、ザウデの中はリクが連れていた魔物で溢れていた。その魔物たちがザウデの魔物たちも刺激してしまっているのだろう。魔導器(ブラスティア)のないユーリたちには手間取る相手だったが、なんとか最後の扉の前までたどり着くことができた。
ザウデの最深部。かつて、アレクセイとユーリたちが対峙した場所。その最後の扉の前にはやはり、魔物たちで溢れていた。まるで扉を守るかのようにその場から動かず、ユーリたちの動きをじっと見つめている。
戦闘態勢に入っている魔物たちを眺め、ユーリは――武器を下ろした。


「そこ、通してくんねぇか」


魔物たちに言葉が通じるとは思っていない。だからこそ、ユーリは目に見える行動で示した刀を鞘に戻し、床に置く。そうやって戦う意思がないことを示すのだ。
しかしそんなことで魔物と通じ合えていたならば、人間と魔物の関係はもっと良好だっただろう。一歩前へ進み出たユーリを警戒し、一匹の魔物が飛び出してくる。それでも、ユーリは剣を取ろうとしなかった。


「お前らが守ろうとしてるものは知ってる。…よく、分かる」


凶暴な牙で襲い掛かってきた魔物に右腕を噛みつかれても。
激痛で表情を強張らせようとも。それでどれだけ自分の血が流れようとも。
ユーリは魔物たちから目を逸らさなかった。


「――オレたちもそいつを守りたい。力、貸してくんねぇか」


勿論魔物は、ユーリの言葉が分かっていない。だからこそ、彼の腕からその牙を剥がそうとはしなかった。
黙って背後から見ていたエステルたちが、ハラハラとユーリの背中を見守る。ユーリのように武器を手放していなかった彼女たちはいつでも飛び出せるように待機をしているものの、できればこの魔物たちと戦うような真似はしたくなかった。彼らが何故この扉を守っているのかを知っているからだ。けれどこのまま無防備なユーリが襲われるようなら。――しかしその警戒は、杞憂に終わる。




光の届かない地下というのは本当に暗い場所だった。光照魔導器(ルクスブラスティア)の薄暗い光がなければ何も見えずに立ち往生してしまっていただろう。
この地下はザウデのシステムとはまた別のシステムで動いているせいか、星喰みを倒すときに繋いだネットワークには含まれなかったらしい。…どちらにせよ、こんな場所があると知れたら魔導器(ブラスティア)なしでの生活にやっと慣れ始めてきた世界中の人々を混乱させてしまう。やっぱり封印して正解だった。
下へと下り続けるエレベーターの上で、荒くなった呼吸を整えながら、準備していたミラクルグミを食べた。とはいえ、体調の回復量はたかが知れていたが。
精霊たちの忠告通り、ここまで来るのに相当の数の魔物を相手にした。古代に封印された魔物たちだからか、やっぱり言葉は通じないし、その力量も現存する魔物たちとは比べ物にならないほどだ。流石の私だって全部を相手にしている暇はないし、そんなことをしてたら目的を達成できない。だからこそ、先に進むをことを最優先に、逃げることを大前提にして戦ってきた。…それでも、標的は私だけだから逃げながらの戦いでこのザマなんだけど。
自分に治癒術をかけて、最後の一つであるレモングミを食べた。…街から離れて暮らしてた私がやっとの思いでかき集めたグミももう底を突きかけている。


「進…まなきゃ…」


長いエレベーターがやっと止まり、私はグミで多少回復した体力で足を無理やり動かした。こんなところで止まっているわけにはいかない。まだ目的地に辿り着けていないのだから。
私は塞がらない傷口から流れる血を拭い、その場所に足を付けた。…古代満月の子の墓場とも言える『十六夜の庭』に。




リクが消えていった術式を何をするでもなくじっと見つめていた精霊たちは、開くはずのない扉が開く音を聞き、その身を強張らせた。
扉から入ってきたのは、見覚えのある人間たち。……そして、リクの言いつけで扉を守っていたはずの魔物たちだった。なんて予想外の組み合わせだろう。精霊たちは言葉を失った。ユーリたちはすでに武器を降ろしており、魔物たちもユーリたちを攻撃しようとしていない。そう、彼らは"一緒"にここへやってきたのだ。
馬鹿な、と小さく言葉を漏らしたイフリートの呟きを傍らで聞いていたウンディーネの口端は、自然と上がっていた。――本当に、この者たちは精霊の我らでも予想がつかぬことをしてくれる。


「…ここまで来たということは、完全に思い出したと受け取って良いのじゃな?」
「ああ。オレ以外の全員は思い出してる。……肝心のオレが思い出せない理由は分かってるから、そのあたりのことは聞かないでくれ」


エステルたちと同じように、ユーリが思い出していないことに声を上げそうになったシルフの言葉を遮り、ユーリはただ続ける。
こちらをまっすぐ見上げるユーリの瞳には迷いがない。…思い出していないというのに、このまっすぐさは何だというのか。精霊たちはただ驚いていた。
魔物を倒すことなく、言葉が通じないはずなのに魔物と共にここまでやってきたこと。リク以外の人間の隣で、あの魔物たちが大人しくしていること。どれも信じられないことだった。


「ノーム、イフリート、シルフ、ウンディーネ。…教えてください。リクはどこに? リクは、何をしようとしているんです?」


ユーリの隣に並んだエステルが、精霊たちにそう問いかける。
彼女の問いは、精霊たちも予想していたものだったが、返答の言葉が見つからず、ただ表情を俯かせることで答えを示した。そんな表情を察し、エステルたちも言葉を失う。


「すまぬ。…全てが遅かった」
「リクはもう、行ってしまいました」
「我らでも手が出せぬ場所へ」


ユーリたちに着いてきていた魔物たちが、精霊たちの前にある術式の前に集まり始める。そして、術式に向けて強く吠えていた。警戒するそれではない。何かに呼びかけるように。何かに届くように強く鳴いている。
その様子を見たユーリたちもその術式をのぞき込む。…理解できたのは、リタだけだった。


「これは…転送術式? でも、かなり古い…」
「何かしら…これは、下から? さっきまでは感じなかったのに…」
「…十六夜への封印をリクが解き、そしてまた封印をし直したのです」
「十六夜…十六夜の庭のことか!? 大海賊グランカレイが見つけたというの伝説の…!! 楽園は本当にあるんじゃな!!」
「え…あれはおとぎ話なんじゃ…」


それぞれの反応を示すユーリたちに、精霊たちは改めてこのザウデ不落宮の地下に何が眠っているのかを話した。
パティの言っている大海賊グランカレイが見つけたという場所を。それはおとぎ話でもなんでもなく実際に存在する場所であり、リクが目指しているという場所もまた、そこなのだと。
リクがやろうとしていることを薄々感づいていたユーリたちは、精霊たちからの話を聞いても、多少は驚かずに済んだ。彼女はユーリたちの予測通り、世界を"元に戻そう"としている。自分という存在がない、完全な平穏が約束された世界に。
ただユーリたちが驚いたのは、その方法だった。


「…リクはもう、十六夜の庭から出るつもりがないのね」
「いいえ…リクはもう、生きるつもりさえないのでしょう。リクが相手にしようとしている者は、恐らく彼女でも…」
「……ハッ、そんなことだろうと思ったよ。あの馬鹿のことだから、また一人で考えて一人で決めたんでしょ?」


話を聞いたレイヴンが苛立ちを隠さずに強い声でそう零した。
レイヴンはユーリとは違い、記憶を思い出せないから苛立っているのではなく、思い出したからこそ苛立っていた。
精霊たちの話を聞く限り、リクは昔と変わっていない。間違いなく、悪い意味で。


「…でもあいつの好きにはさせない。これ以上思い通りにさせてたまるかってんだ」
「気持ちは分からんでもないが、その方法が不可能であるから手遅れだと言っているのだ」
「そんな…! 精霊の力でもどうにもならないんです?!」




十六夜に住んでいる満月の子たちは、みんなやっぱりエステルに似た外見をもっていた。古代の頃から変わっていないせいか、ここの満月の子たちとはうまく会話ができない。言っている単語は分かるのに文法がおかしく聞こえる。…ここまではゲーム通りだ。何も焦ることはない。
外から来た異物であるにも関わらず、満月の子たちは大したリアクションも見せずさっさと散っていく。私もあまり喋る気力がないから有り難いが。
…問題はここからだ。深い深呼吸をしてから私は足を進める。――武器に問題はない。使い慣れたものを装備しているし、道具のグミは底を突きかけているけど、効力が強いものがいくつか残ってる。体力は……少し、問題があるけど…。
そう考えている間に、やっと"目的地"へと辿り着いた。緊張で喉がカラカラになるのはいつぶりだろう。"彼"と対峙したその瞬間、私の額からは冷や汗が大量に流れ始めた。


「…ほう。懐かしい気配がすると思っていたが…小娘一人か?」


"彼"の姿はっきり見えない。けれど目の前に立った今、改めて感じ取ることができた。…今、世界中のエアルを乱しているのはこいつだと。
気味の悪いエアルだ。薄暗いエアルの塊が目視できるくらい、この場所は濃いエアルが立ち込めている。十六夜の街にいる満月の子たちには影響はないのか。…それとも、影響がないようにしたのか。


「残念ながらその通りです。…あなたは、アウラさんを誘き寄せたつもりなんでしょうけど」
「彼奴を知っているのか。確かに、我が感じた気配も彼奴のものだったはず。…ただの人間ではないな、小娘」
「あなたこそ…その恐ろしい姿はいったい何なんですか」
「恐ろしい? ――この姿がか?」


私はいよいよ言葉を失くし、せっかく整えた呼吸が乱れ始めていた。
"恐ろしい姿"――。"彼"は人間と変わらない姿をしていた。薄気味悪いほど白い肌と、真っ黒な眼球に血のように赤い瞳。そして背中から生えている無数の触手さえ無ければ。
けれど私が恐れたのはそんなことではない。…この二年で、私の知るゲームのシナリオについての記憶はほとんど薄れていたが、"彼"の姿だけはよく覚えていた。あまりにも人間離れした異形の姿を。…けれど目の前の"彼"は私の知っているその姿じゃない。異形であるものに変わりないものの……かなり人間の姿に近い形を保っている。


「ここまで"戻す"のにはさすがに骨が折れた。だが、まだ我が同胞に姿を晒すことは敵わぬ。…人間の王らしく、世界を手に入れる完璧な力を手懐けるまでは」
「ザウデのシステムを徐々に奪い取ったのもそれが目的ですか。――オーマ」
「我が同胞の命で動くシステムだ。奪おうと思えばいくらでも奪えた。…あの邪魔な始祖の隷長(エンテレケイア)さえいなければな!!」


かつて人間を…満月の子たちを束ねていた王は忌々しげにそう吠える。
オーマ。この十六夜の幽虚街の主にして強い力を持つ満月の子。ザウデができる前、始祖の隷長と協力することを拒んだ満月の子たちの筆頭。彼らはそのままこのザウデの地下へ封印され、十六夜の街を独自に作り出していた。そして千年たった今でも、その子孫たちは生き永らえている。…もうすでに、外の世界のことを知る者はいなくなっているだろうけど…。
けれどオーマはその中でも異質な存在。霊薬アムリタ…若返ることを代償にしてパティちゃんの命を救った伝説級の代物を使って、文字通り千年を生き永らえたのだ。自分たちをここに封印した始祖の隷長と裏切った満月の子たちに復讐するために。


「貴様に用はない小娘!! アウラを…あの憎き始祖の隷長を出せ!! 我が同胞の命を貪り生まれたあの忌々しい始祖の隷長を!!」


予想外の見た目だったが、どうやら思っていた通りの目的らしい。私は冷や汗を拭うことも忘れ、ひたすらオーマを睨み返す。


「アウラさんはもういません」
「…良い度胸だ小娘。だが我にそのような嘘は通じんぞ。彼奴は死にはせん。このザウデが存在している限りな」
「…そうですね。正確には死んでいません。転生したんです。精霊という新しい存在に」
「……なんだと?」
「始祖の隷長アウラはもういません。今は時の精霊クロノスです。ついでに言えば、始祖の隷長はみんな精霊に転生しています。魔核(コア)になった始祖の隷長たちもすべて」


あなたが復讐する者たちはもういない。そう諭そうとした言葉は、オーマの高笑いによって全て遮られてしまった。


「ならばより世界を統べやすくなっただけのこと! その精霊もろとも我が力で屠ってくれるわ!!」
「…やっぱりこうなるんですね。残念です」
「外のへの扉を開いたことは感謝しよう。だが貴様自身に用はない。封印を解いた礼だ。このまま貴様は見逃してやろう」


ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべるオーマの表情は、人とは別の何かのものに見えた。実際、もうオーマを人間とは呼べないだろう。彼はこの姿になるまでに時間がかかったと言っていた。この姿になったのもあくまで『人間の王』として君臨するつもりだからだろう。
オーマは私に目をくれることもなく、そのまま十六夜の幽居街の中央…私が降りてきた転送術式が施されたエレベーターの方向へ歩いていく。


「私を見逃す…? それはきっと無理です」
「…なに?」
「私をなんとかしないと、外になんか出れませんよ。解いた封印をそのままにしておくとでも思いましたか?」
「…満月の子でもないただの人間に何ができるというのだ」
「確かに私は満月の子ではありません。…でも、ただの人間でもないんですよ」
「!?」


今まさにオーマが利用しようとしていた転送術式を上書きするように、新たな術式が展開される。…これも全てあらかじめ私が精霊たちに教わっていたことだ。
この十六夜の庭に行くまでにも、大海賊グランカレイが施し直した封印を解かなければならないが、それをそのままにしておくわけがない。私がここまで来るために必要な全ての転送術式を封印術式に上書きしたのだ。
――全ての元凶であるオーマを、ここから出さないために。


「……小娘、わざわざ殺されに来たか」
「間違いではないですけど…ただで殺されはしません。絶対に」


オーマは察したのだろう。私がただの人間ではないこと。本当にオーマを相手にしようとここまで来た事。…私に、帰る気がないことを。
――そうだ、私はもう戻る気なんてない。その覚悟で、オーマと一人で戦うことを覚悟していたのだから。




「…つまり、リクが封印を施したものは精霊でも解くことができないってわけね」


精霊たちからの話を聞き終えたリタは、転送術式を詳細を見て納得した。確かに、この転送術式には何かしらの封印が施されており、外部からの操作は出来なくなっている。本来の封印が施されていたはずのグランカレイの宝は全てリクが所持しており、同じように解くことは不可能だろう。
誰もこの場所に立ち入らせないためか。…それとも、自分の逃げ道を塞ぐためか。どちらにせよ、もう誰にもこの先に立ち入ることは出来なくなってしまったのだ。


「…まだ、まだ他に方法があるはずよ。探さないと…早くしないとまた忘れちゃう」
「落ち着いてくださいリタ…」
「そうよ。焦ってたって良い答えは出ないわ」
「呑気な事も言ってらんないでしょ! また知らないうちにリクのことを忘れちゃって…今度こそ取り返しのつかないことになるのよ!?」
「――いいえ。…もう、その必要はないわ」


また二年前のように、時間のない状況での選択。あの時はただ目の前の現実を…リクを救うことが不可能だということを受け入れることしか出来なかった。けれどもうそんなことはしたくない。そんな現実、受け入れたくなんかない。だからなんとしてでも、今度こそ、リクを助けに行く方法を見つけなければならない。
そう焦りを見せていたリタたちの耳に入ってきたのは、落ち着いた女性の声だった。聞き覚えのある声だ。…けれど、とても久しぶりに聞く声。
一番に反応したのは、ただじっと転送術式の魔法陣を見つめていたユーリだった。


「ワンッ!」
「お前…ラピード!」


ユーリが反応することができたのは、彼に走り寄ってきたラピードが吠えたからだった。久々に会うことができた相棒にユーリは素直に笑顔を見せ、ラピードの頭を撫でる。――しかし、彼に続くようにして現れた"それ"に、ユーリの表情は一瞬にして固まった。


「クロノス…と、デューク!? なんでっ…!」
「クロノス! あなた…大丈夫なのですか?」
「ええ、大丈夫よシルフ。…私は、動ける。今、身体に自由が戻ったのよ」


時の精霊クロノス。この二年ずっとリクを見守り続けていた精霊。始祖の隷長アウラとしてリクをこの世界に呼び寄せた張本人でもある。
今まで彼女がこの場にいなかったのは、ザウデのエアルが乱れたことにより精霊としての自由が利かなくなってしまったからだった。ザウデのエアルの異変。それによってリクのことを思い出すことができたのだから。
彼女の立っている姿を見たユーリは、すぐに理解してしまった。彼女が、この場に立っているその"意味"を。


「…待ってくれ。あんたがそこにいるってことは…」
「その通りです、ユーリ・ローウェル。……リクはもう、目的を果たしました」


――リクが目的を果たした。
それは、彼女がエアルが乱れている原因を見つけ、対処したということだ。そうでなければクロノスはこうして立つことができていない。リクは、命をかけるほどの目的を、果たしたのだ。それはつまり…。


「リクはもう、自分から出てくることは…ないでしょう」


ユーリたちは全てを察した。けれど言葉にはできなかったものをクロノスは敢えて口にした。
確かな現実を、改めて突き付けるように。
- ナノ -