古代の満月の子たちは、その命を犠牲にしてザウデを築き、災厄から世界を守った。
大半の満月の子たちが命を捧げ、生き残った満月の子たちが他の人間たちを取りまとめ、この教訓を後世へと伝える。こうやって今の時代がやってきたのだ。
…けれど、それだけが本当の歴史だろうか? 満月の子たちは自分たちの命を素直に捧げられるほど、罪を認めていたのだろうか。増してや、全員が納得したのだろうか?
その答えはノーだ。満月の子の中にもその考えを否定する者がいた。タルカロンがいい証拠だ。あれは始祖の隷長(エンテレケイア)たちを滅ぼすために満月の子たちが作った兵器なのだから。
いつだって歴史は勝者が残す。勝者が語った歴史こそが後世へと伝えられる。だからこの事実は誰も知らない。ザウデのことで対立した満月の子の中で内戦があったことを。それに敗れた者たちがどうなったのかを。


「星輝きて、珊瑚萌え、この海の安寧を知る」


静かにそう唱えると、両手に持っていた麗しの星(マリス・ステラ)と馨しの珊瑚(マリス・ゲンマ)が輝きだし、独りでに宙へ浮いた。宙へ浮いたその二つは輝きを保ったまま一つになり、別の"証"へと変化する。
『大海賊の証』。これはまた、パティちゃんに返しておかなきゃいけないな。そう思ったけれど、これを返すことはもう叶わないだろう。これは、この先でも必要なアイテムだからだ。


「リク、やっぱり…私も行きます! 行かせてください!」
「駄目だよシルフ。気持ちは嬉しいけど、この先じゃきっとあなたの風は吹いてない。それに四属性のあなたたちじゃないとクロノスを支えてあげられないから」
「でも…っ!!」
「ありがとう。シルフは変わらないね。私もずっと心配かけてばかったりだった…」
「お願いしますリク…っどうか…!!」
「もう、やめておけシルフ」


最後まで私に食い下がっているシルフを止めたのはイフリートだった。
私とシルフの間に身を割り込ませたイフリートは私の前で腕を組むと、何かを考えるように黙り込んでしまった。
それと同じように周りにいる精霊たちは私を見て黙り込んでしまう。…彼らの言いたいことはわかる。シルフのように、私を心配してくれているのだ。


「ありがとう、みんな。最後まで一緒にいてくれて。…でも、私は大丈夫だから。決めたら早いって知ってるでしょ?」
「でも、リク…」
「…かつての仲間たちと会ってからでも遅くはないんじゃないのか。もう、お前のことを思い出しているんだろう」
「また忘れてしまう苦しみを味あわせるのに、会うことなんてできないよ。合わせる顔だって、ないし」


そうは言うものの、やっぱり最後の挨拶ぐらいはしておくべきなのだろうか、と律儀に考えている自分もいた。けれど、二年前に一緒に戦った仲間として話そうとはどうしても思えなかった。
今顔を合わせたところで、事が好転することはまずあり得ない。記憶だって、みんながみんな思い出しているわけじゃないのだから。最後の挨拶だって、なんて言ったらいい? また、みんなの恨みを買ってしまうだけだ。
泣きそうになっているシルフの頭を撫でて私は魔法陣が浮かびあった足元を見下ろす。ここだけはザウデのシステムとは別のもので動いている。ザウデ本体のシステムが止まっている今だからこそ、今回のエアルの変化に気が付けた。


「クロノスの言う通りだね。やっぱりこの下のエアルがかなり乱れてる。ザウデのシステムが止まってるから、制御もままならないままこの二年で世界中に影響しちゃったんだね」
「クロノスが本調子でないのもそのせいじゃ。精霊になってもなお、あやつとザウデの関係が切れたわけではない」
「…ホント、まだ封印されたままだっていうのに世界を歪ませるほどエアルを乱すだなんて…やってくれるよね」


クロノスが本調子でなかった理由。そして世界が私を認識し始めた理由。すべてはここ、ザウデに原因があった。
ザウデのしたに封印されている"もの"を私は知っていたが、まさか星喰みが消えてからここに来ることになるだなんて思いもしなかった。パティちゃんにも悪いことをしてしまったと、私は苦笑いを浮かべる。
――クロノスはここにはいない。彼女はもう自由に動き回ることができなくなるほど力が衰えてしまっている。だからこそ他の精霊とここまで強引な手段に出ているのだ。世界のエアルが乱れれば乱れるほど…世界が私のことを思い出すたび、クロノスは弱ってしまう。クロノスが弱るということは、精霊たちにとっても只事じゃない。


「…この下ではもう、我らは力を貸すことはできぬ」
「うん。分かってる」
「潜んでいる魔物も相当の手練れだが…彼らのように話の通じる奴らではないぞ」
「一緒に封印されてる魔物だもんね。覚悟の上だよ」
「…目的の場所に、辿り着けない可能性だって、あるんですよ」
「ううん、それはない」


目の前にいる四精霊を見つめ、私は断言した。


「たとえ手足が無くなっても目的は果たす。必ず、世界を元通りにする」


どんなに時間がかかってしまっても、私は必ず目的を果たすから。
私はいつも身に着けていた長いマントを脱ぎ捨てた。ここ数年、必ず身に着けいていたこれとももうお別れだ。これからは自分を隠す必要なんて何一つない。一人で馬鹿みたいに涙することも、…みんなの様子をこそこそ見守ることも。


「今までありがとうウンディーネ、シルフ、ノーム、イフリート。…この二年は特にみんなには気を使わせたけど…やっと前進できる気がするよ」


精霊たちは私に何か声をかけようとしてくれていた。けれど私は、それをあえて遮って言葉を続ける。


「それじゃあ、行ってくるよ。―――さようなら」


もっと悲しくなるものかと思った。二年前あの時のようにしばらく立ち直れなくなるほど。
けれど言葉にしてみるとそうでもない自分がいた。それほど、腹を括れてるってことなのだろうか。――それとも…。
そこまで考えて、私は首を横に振った。今更。すべて今更なのだ。やっと本来の役割が果たせることを喜ぶべきだ。その自覚があるからこそ、私は。



***



ザウデの外に締め出されてしまったリタたちは、急いで城に戻りこの事態を報告しなければと船を急がせようとしていた。しかし、こんな時に限ってバウルとの連絡はとれず、やってきた魔物たちによって船は半分破壊されてしまっていた。
リタは焦っていた。あの魔物たち…いや、魔女の目的が何なのかは分からない。けれどザウデに目を付けているということは、少なくとも古代の知識がある人間だ。そういった人間は限られている。古代の資料はほとんどがアレクセイの手にあったはずなのだから知る人間は多いはずがないのだ。ましてや、今世界中で噂されている魔女がそういうものであるはずがない。得体が知れないからこそ、ザウデを下手に触らせるわけにはいかないのだ。


「リタ…」
「ジュディス! あんた、もういいの?」
「ええ…。バウルと連絡が取れない理由も分かったわ」


魔女に襲われてからというもの、ずっと上の空で黙り込んでいたジュディス。リタはあの数秒でジュディスが何かしらの攻撃を受けてしまったのだろうとそっとしておいたのだが、彼女の様子を見るとそういうことではなかったらしい。
いつになく真剣な表情をしているジュディスと、リタは黙って向き合う。バウルと出会って二年たった今でも、バウルと会話ができるのはジュディスただ一人なのだから。


「バウルは昔から分かっていたのよ。…いえ、ちゃんと覚えていただけ」
「…なに? バウルは何を知ってるっていうの?」
「今起きている世界の異変…。そして、私たちが忘れてしまっていた大切なことを」
「わ、すれてる…?」
「だから私にも話せなかった。誰にも話さなかった。…誰も覚えていないのだから、そうなってしまうのは当然よね」


訝しげに眉間に皺を寄せるリタを見て苦笑いを零し、ジュディスは上空を見上げた。
ザウデはザーフィアス城にも匹敵する巨大な建造物だ。見上げたところで頂上が見えるわけじゃない。けれど、ジュディスが待っていたものは、その空の上から姿を現したのだ。
ジュディスが見上げるのを追いかけるようにリタも視線を上空へと移し、現れたものに目を丸くした。


「バウル!!」


姿を見せず、連絡もとれなくなっていたジュディスの相棒がいつものようにそこに浮かんでいたのだ。
何事もなかったかのように元気に声を上げるバウルに、ジュディスは微笑みを浮かべる。リタは相変わらずわけが分からなかった。
バウルの言葉が分かるのはジュディスだけ。だからこそ、バウルが言っていることがジュディスには分かっていた。彼の問いかけに笑顔で答える。


「ええ、そうよ。全部思い出したわ」


彼女の返答を聞いた瞬間、バウルは嬉しそうに鳴いた。
その高い声は、言葉の分からないリタでも喜んでいると分かるほどバウルの声は喜びに溢れている。


「…あら、そうなの?」
「ちょ…ジュディス、さっきから何の話よ! 通訳して!!」
「うふふ、賑やかになるわよリタ」
「え…」


にっこりと微笑んだジュディスに続き、再び上空に視線を戻すとバウルが退いているフィエルティア号に人が乗っているのに気が付いた。それが、自分たちの知り合いであることも。


「…やっぱり、あの子のことを思い出したのは偶然じゃなかったのね」


リタはもう、ジュディスに問いかけることを諦めていた。その代わりに、今回のことがただの異変ではないことを悟った。
ジュディスのことだけでなく、ザウデのことも、あの魔女のことも、何一つ分からないなんて情けない。リタは自分を責めたてるように頭をかきむしった後、改めてこちらに降りてくる仲間たちの元へ歩んで行った。



***



草木をかき分け、人の気配がまるでない森の奥を進んでいく。
彼の先には辺りの気配を探るように鼻を動かしている青い闘犬がいた。道もない森をひたすら歩いている白髪の男は、その犬の鼻を頼りに進み続ける。
道なき道だというのに、男は疑うように犬を見ることなく、彼の嗅覚を信頼しているようだった。犬と男の中に会話はない。動物と人間であるのだから当然言葉は通じているわけではないが、それにしても彼らの間には何もなかった。


「ワンっ! ワンワンっ!!」


突然、男を先導していた犬が吠えながら走り出した。
どうやら何かを見つけたらしい。犬が走り出すのを止めずに、男はただ無言でそのあとを追う。
草木をかき分けた先――ひときわ大きな木の根元に、"それ"はいた。


「クゥゥン…」


我先にと犬がそれに駆け寄っていった。しかし、それの様子を察して悲しげに鳴く。
犬の鳴き声を聞いたのか、固く閉じられていた瞼がゆっくりと開かれる。


「…あなたは…どうして、ここに…?」
「その犬はお前の眷属の末裔だアウラ。…いや、クロノス」


その犬に続くように、瞼を薄く開いた精霊クロノスに男デュークは歩み寄った。
クロノスが弱っているというのはその様子を見ても明らかだった。デュークは眉間に皺を寄せながらも彼女の様子をただ見守る。彼女がこんな状態になってしまっている原因をデュークは知っていたが、それをどうにかする力を彼は持っていない。


「私の…眷属…。あの子たちは、もうとっくに…」
「ワンっ!」
「そう…そうね…それなら今までのことにも……あなただけが全てを見抜いていたことにも、納得がいくわ…」


弱弱しく手を伸ばしたクロノスは、そのままラピードの頭を撫でた。
――今まで、何故ラピードがリクに懐いていたのか。本人はその理由を疑問に思えど、答えを知ることはないだろう。それは未来が見えていたクロノスにさえ気が付けなかったことだ。それは、ラピードにさえも。
思えば、この世界にやってきたリクの気配に気づいたのもラピードが最初だった。彼が駆けだしたのを見てユーリが追いかけ、そしてリクと出会うきっかけになったのだ。そしてその後も、ラピードはリクを見守り続けていた。彼女がどこからやってきたのか、どういう存在であるのか、何を背負っているのか、ラピードはリク本人よりも早く、その重要性に気が付いていたのだ。
――そして、今回も。


「始祖の隷長たちにも眷属となる魔物や動物たちがいた。もはやその血は薄れているだろうが、直感は無意識に働いていたようだ。…大したものだな」
「ワンワンッ!!」
「デューク…あなたは何故そのことを…」


淡々と喋るデュークに、クロノスは小さな声で問いかけた。
クロノスが始祖の隷長だった時代に眷属となっていた魔物たちはとっくの昔に滅んでしまっていた。正確に言えば滅んだのではなく、途切れたというべきなのだろう。クロノスは他の始祖の隷長たちのように眷属たちを厳しく従えようとはしなかった。星喰みが封印され、世界に束の間の平和戻ってきた頃にその魔物たちは他の種族との交わりを繰り返し、もはやその血はとっくに途絶えていたとばかりに思っていた。
けれどそれは、古い始祖の隷長たちだけが知っている些細な話。いくら博識とはいえ、この時代に生きるデュークが知るはずもないことだ。


「教えてくれたのだ。彼のことも、そしてリクのことも全て。……分かっているだろう、クロノス」


クロノスのぼやけた視界に、デュークが懐から取り出したものが見えた。
彼の言う通り、クロノスは彼がそれを所持していることをずっと前から知っていた。知っていたが何かをしようとは思わなかった。自分は精霊。リク以外の人間のことにとやかく言うつもりはない。それがたとえ、生前親しくしていた人間であろうと。
クロノスの喉から、小さな笑いがこみ上げる。


「…デューク、そしてラピード。お願いがあります。……私をリクのところへ」


そして、そう呟いた彼女の瞳からは、精霊らしからぬ涙が流れていた。
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