夜の黒が更に深くなっていた。もう深夜なのだろう。いつもならとっくに眠ってしまっている。そのおかげか、少し身体がだるい。ベリウスの部屋から出て、私は意識がはっきりしないまま階段を降りていた。
…私を呼び出した始祖の隷長(エンテレケイア)の名前がアウラ…これは偶然なのだろうか。否、偶然であるはずがない。ベリウスははっきりとは言わなかったが、私の知っているアウラさんを追えば、手がかりが見つかる。そう言いたかったんだはずだ。
まさかアウラさんが始祖の隷長だったなんて…。ということはデュークの妹というのも何か理由があるのかな。クロームが人に化けて騎士団に潜り込んでるくらいだもん。アウラさんが潜り込んでても不思議じゃない。


「(そういえば…もう少しこの聖核のこと…聞けばよかったな…)」


どうして胸に埋め込まれているのか、とか。
私の身体で始祖の隷長だけができるエアルの調整(?)が何故できるのか、とか…。
聞くこと…まだまだいっぱいあったなぁ…。でも…


「もう頭に入らないや…」


ベリウスからたくさんの情報をもらった。それも一度に。
教えてくれたベリウスには本当に感謝している。希望を貰い、それをすぐに見失ってしまっけど…。そのおかげで、考えることがまた増えそうだ。
でも、前にみたいに闇雲に探さなくていいんだ。…はっきりした道標も出来た。


「アウラさんのこと…調べなきゃ」


もうここにはいない始祖の隷長。
私の胸に埋まっているその聖核に触れながら、私は闘技場から出た。
私を呼び出した、私の知らないその人。なんのために私を呼んだ?自分の命を犠牲にしてまで…私に、何をして欲しかったの?使命って何?…どうして私に似て……


「(そうだ…どうして私と似てるんだろう。偶然にしては出来すぎてるし…アウラさんは…私をこの世界に呼ぶ前から私のことを知っていた…?でもなんで…?)」
「おいリクっ!」
「っ!?」


考え事をしていると突然強く肩を掴まれ、身体を反転させられた。驚いて思わず身体を強張らせてしまうが、目の前に現れた見知った顔に、ほっと息をつく。


「な、なんだユーリか…脅かさないでよ…」
「なんだってなんだ。そっちが勝手に驚いたんだろうが。…ったく、オレは何度も呼んだぜ?気がつかないお前が悪い」
「え?う、うそ…ごめん…」


よほど考え込んでしまったらしい。
闘技場の出入り口で待っていてくれていたというユーリは、私が出てきた瞬間声をかけてくれたのだというのだが…見事に全然気がつかなかった…。
というか、いつもならみんな眠っている時間だというのに…。ユーリはずっと、ここで待ってくれていたというのか…。


「ユーリ一人?みんなは宿?」
「ああ。…それにしても、随分長話だったな。一人で呼び出されて、大物ギルドの長と一体何の話をしてたんだ?」
「えっ…」


そう問われて、ギクリと肩が揺れる。
何の話だ?と聞かれて答えられる内容じゃない。そもそも、ユーリたちは私が別の世界からやってきたことなんて知らない…否、私が嘘をついているのだから、本当のことを話すことはできない…。


「ええと…その…や、やっぱりドンのときみたいにアウラさんと間違われて…」
「やっぱりか。そんなことだろうと思ったぜ…」


本当、何者なんだろうな。
そう深いため息を漏らすユーリの横顔を見て、また罪悪感に見舞われる。そもそも私は、どうしてユーリに記憶喪失だなんて嘘をついたんだっけ…。ああ、そうだ。きっと信じてもらえないだろうし、私も説明できなかったから…そういうことにしたんだっけ。それを、ずるずる引きずって…今となっては、エステルたちにも浸透しちゃったんだ。


「…で、何か引っかかることでもあるのか?」
「え…」
「周りの声が聞こえなくなるほど考え込んでただろ。…何があった?」


まっすぐ見つめてくるユーリの瞳に、私はどこか恐怖を感じていた。ユーリは別に、怒っているわけでも、尋問しようとしているわけでもない。なのに、まっすぐ見つめるユーリの瞳に、私は少しだけ後ずさってしまう。
…ユーリは、本心で、私のことを心配しくれている。瞳だけでそう分かって…なんだか、嘘をついている私が責められているような気がした。
本当のことを話してしまおうか。…でも、今まで嘘をついていたことをなんて言い訳すればいい?それに…ユーリたちが信じてくれる保障も…ない。


「…うん。ちょっと気になる話をされて…」
「気になる話?」
「それでね。…家族のこと…思い出したの」


結局。私は一番卑怯な手を選んでしまった。
嘘を突き通すわけでもなく、真実を話すこともない。一番卑怯な手段を。
そっと顔を上げてユーリを見ると、彼は目を見開いて驚いているようだった。そうだよね。ずっと記憶のこと話さなかったもんね、私。それは嘘をつく自信がないからだよ。そして、真実を話す勇気もない。だから私は、この卑怯な手を使うんだ。


「思い出したのか?」
「ぜ、全部じゃないんだ。家族がいたってことを思い出した…だけ」


嘘。全部覚えてる。
記憶がないのは、この世界にきた直前のことだけ。
ねえ、私…ユーリに嘘ついてるんだよ。こんな平然とした顔で。
…私も、キュモールみたいな騎士と変わらないよね。こんな酷いことするなんて。記憶を探すだなんて嘘ついて、自分の世界に帰る方法を探してるんだよ。嘘をついたまま、帰ろうと…してるんだよ。


「ごめんねユーリ、長い間待たせちゃって。早く宿に戻ろう」


嘘ついているのは私に勇気がないから。全部私が悪くて、全部私が選んだのに。…どうしてこんなに苦しいのだろう。本当のことを話せば全部すっきりするのに…。
本当のことを話して…距離を置かれるのが怖いよ…。


「家族がいるって思い出したなら…どうしてそんな顔してんだよ、リク…」


足早に宿屋に向かってしまっていた私は、背後で怪訝な表情をしているユーリの呟きを聞くことが出来なかった。





***





深夜、宿を抜け出したエステルの様子を見に行ったユーリを確認してから私は眠りについた。結構遅くまで私を待ってくれていたユーリ。だから、このイベントが起きないんじゃないかとちょっと冷や冷やしていた。
でも、そんな心配もいらなかったのか、ちゃんとエステルとユーリは港の方に行って、ちょっとしたら帰ってきた。それに安心してから眠ったのだ。


「あら?リク、隈が出来てるわよ?ちゃんと寝た?」
「えっ本当だ…」
「っていうか、いつの間に帰ってきてたのよ!部屋でずっと待ってたんだからね!」
「ご、ごめんリタ…」
「一番リクを待つと言って意気込んでいたのもリタだったんですが…一番最初に眠ってしまったのもリタで…」
「エ、エステル!余計なこと言わないの!」


エステルの話を聞いて、よほど船旅で疲れていたんだろうなぁと思った。リタは研究のために夜更かしするのには慣れているはずだから。
顔を真っ赤にしているリタを見て、私はなんだか嬉しくなって久々に夜更かしした眠気も少し吹っ飛んでしまった。リタ可愛いなぁ。


「ねえ、リク。もう少し寝てたら?なんかフラフラしてるよ」
「そんなことないよ、カロル」
「そうだねぇ。ベリウスとの話が長引いちゃったとはいえ、船旅で疲れてたのに眠ってないんだから女の子の身体はキてるんじゃない?」
「レイヴンまで…私は大丈夫だよ」
「リク、無理しないでください。記憶のことも、整理する時間が必要なんだと思いますし…なにか進展があれば知らせにきますから」
「エステル…でも…」


そんなに不健康な姿勢になっているだろうか。
みんなからの視線はいつになく心配そうで、なんだか申し訳がない。私としては全然動けるんだけどな…。
やはり大丈夫だ、と口にしようと顔を上げた直後、いつの間にか私の目の前にいたユーリと視線がばっちり合う。そして、


「いいから寝てろ」


ユーリのこの一言で全てが決してしまったのだった。





***





気がつくと私は、懐かしい場所に座っていた。
突然のことに、私はびくっと肩を揺らして、周りを見渡す。そして驚きに目を見開いてしまった。
お父さんとお母さん。そしてバイトでなかなか家に帰ってこなくて、最近会っていなかったお姉ちゃんまでいて、食卓を囲んでいる。
新聞を読んでいるお父さん。夕飯を作っているお母さん。そしてテレビのチャンネルを変えているお姉ちゃん。"普段"の光景が、そこにあった。


「リク、ちょっとお箸並べてくれる?あと飲み物も」
「……お母さん?」
「なによ。どうしたの?」
「う、ううん…」
「なら早く動いて。ほらっ!お姉ちゃんも!いつまでテレビ見てるの!」


"いつもの"光景だった。
お母さんが夕飯の支度をして、それを手伝わずにいる私とお姉ちゃんが怒られて、お父さんは我関せずな表情でいて…でも結局は怒られて手伝って…。
私が育ってきた、いつもの場所だった。


「ちょっと。狭いんだからさっさと運んでよ」
「うわっご、ごめん…」
「うん?今日はいつになく素直ね。いつもなら睨み返してくるのに」
「そ、そういうときもあるの!」


姉にそう指摘されて、私少し戸惑った。
私…家族の前でどう振舞っていたっけ。どんな顔してたっけ…。
そこまで考えて、ぞっとした。


「ちょっとー!ぼーっとするなって言ってるでしょー!」
「う、うん…」
「なぁに?リクったらどこか悪いの?」
「そ、そうじゃ…ない、けど…」


やばい。分からない。
確かに目の前にいるのはずっと会いたかった家族で、ここにいる場所はずっと帰りたかった場所で…このときを、この空間を取り戻すためにずっと旅をしてきたっていうのに…。
どうしよう。…私、こっちの世界でどう過ごしていたのか分からなくなってる。


「(向こうの世界に…慣れてしまったから…なの…?)」


向こうの世界…テルカ・リュミレースに。





***





「リクっ!」
「っ!!」


聞き覚えのある声に名前を呼ばれ、私は重かったであろう瞼をこじ開けた。
突然入ってきた光に目を眩ませながも、私の顔を覗き込んでいるのがエステルがと気付き、驚いていた肩をゆっくり降ろす。


「ごめんなさい、リク…なんだか魘されていたようなので起こしてしまいました…」
「……う、ううん…だいじょうぶ、だよ…」


私はいつの間に眠ってしまったのか。
あの空間は夢だったのか。…ホッとしている自分がいて、矛盾していることに気がつく。夢だとはいえ、せっかく家族に会えたのに…夢で良かった、だなんて。
私、本当に…なんで…。


「…本当に、だいじょうぶなんです?」
「大丈夫だよ。もうしっかり寝たし……エステルたちの方は進展あった?」
「進展は…ありましたが…」
「…エステル?」


珍しく眉間に皺を寄せ、なにか深く考えるように胸の前で両手を握り締めているエステルに首を傾げた。
そんなに尋常じゃないほど私は魘されていたのだろうか。それとも、何か私に伝えにくいことでもあるのかな…。


「あの、リク…」
「ラーギィとかいうやつに頼まれてユーリが闘技大会に出ることになったわ。一区切りしたから、報告に来たのよ」「あ、リタもきてくれたの?」
「な、なによ。あたしがいちゃ悪いの!?」
「そんなことないよ」


突然話を割るように入ってきたリタに、本心を呟けば、彼女はおもしろいほどに頬を紅く染め、顔を背けてしまう。
そっか。もうそこまで話が進んだんだ。
私はまだトロン、としている視界に頬をバシバシと叩いた。しっかり目を醒まして、今度こそ心配させないようについていかないと。


「リク、あんた大丈夫なの?」
「だから大丈夫だよ。それに闘技会見るの初めてなの、私」
「それはよく分かってるけど…」
「心配しないでエステル、リタ。もう充分寝て元気だから!」


今は、目の前のことに集中しよう。
旅を続けて、少しでもアウラさんのことに近づかないと…。


「(早く…早く帰らなくちゃ、)」


私が元の世界のことを忘れてしまう前に。


(帰るべき場所があること)
(忘れていたわけじゃないはずなのに)

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