私は必死に自分の手枷を外そうと背中でガチャガチャやっている間も、ヨーデルは必死に扉をなんとかしようと奮起してくれていた。何度がその小柄な身体で扉に体当たりしているもんもの、鍵のかかった扉はびくともしない。


「ヨーデルいいよそんなっ…!大人しくしてればきっと騎士の人が…(というかユーリが…)」
「いえ、そんなこと言ってられません。気付きませんか?焦げ臭くなってきてることに」
「焦げ…?」


ヨーデルがそう呟いたと同時に部屋の隅から白い煙。言われてみれば焦げ臭い気がしてきた。私の体温が上昇してきたのは焦りからだけじゃないようだ。遂に火を放たれてしまったらしい。非常にまずい状況になってきた!


「ヨーデルどいて!」


木造の船だからか、ぱきぱきと火がすぐに燃え広がる。あっという間に部屋中炎に囲まれてしまった。窓一つないこの部屋に煙は充満してヨーデルも私も咳き込み始める。助けを待っている暇はないと感じた私はヨーデルにどいてもらって扉に体当たりを続ける。結構力強いつもりだったが、扉はみしみしと音をたてるだけ。


「姿勢を低くして!煙吸っちゃ駄目だよ!」


そう言う私の肺にも煙が回って視界が霞んできた。咳き込みを続けすぎて喉が痛いし、身体中の力も入らなくなってきた。何回か体当たりを続けてきたが徐々に力が抜けていて、とうとう私は膝をついてしまう。


「げほっげほっ!」
「リクっ…!」


倒れた私に駆け寄ってくれたヨーデルの額には汗が滲んでいた。せっかく綺麗な若草色のコートも煤だらけになってしまっていた。
…このままじゃ本当にまずい。こんなに息が辛いのは初めてだ。
火の手が私達の直ぐ傍まで寄ってくる。煙だけじゃない。赤い炎がすぐ足元まで…もうなり振り構っていられない。魔術を…そう思っても上手く口が回らない。


「…げほっ、げほっ……?…誰かいるんですか…?」
「…!」


扉の外の気配を感じたヨーデルが小さく呟いたその言葉に私ははっと顔を上げる。全身の力を振り絞って扉を叩いた。向こうにいるであろう彼に助けを求めて。


「ユーリ…っ!!」


無意識に彼の名前を呼んだ瞬間、乱暴に扉が開かれた。やっと開いた扉から白い煙がどんどん外へと出て行く。煙にやられた目ではよく見えなかったが、扉の前に立っているのは見覚えのあるシルエット。


「ユーリ…」
「お前っ…リク?!!」


ユーリの手が私の肩を掴んだ直後、背中に重みを感じた。…ヨーデルが気を失ってしまったのだろう。あれだけ煙を吸ったのだから無理はない。ユーリもそれに気付き、はっと顔色を変える。


「ユーリお願い…早く、ヨーデルを…」
「…っ馬鹿野郎!お前も来るんだよ!!」


怒鳴るようなユーリの声を聞くのは本当に久しぶりで、私はこんな状況なのに思わず笑みが零れてしまった。ユーリはヨーデルを担ぎ、私を支え立たせてくれるとすぐに走り出す。
「行くぞ!」と彼のかけ声と共に身体が宙へと浮いた。海水に身を落としなんとか燃え上がる船から脱出できたものの、両手を拘束それた私は上手く海面に出れない。
元々辛かった呼吸が更に辛くなり、本格的に三途の川が見えてきたような気がする。このまま海底に沈むんじゃないかと諦めが入ったそのとき、離れていなかったユーリの腕が力強く私を引っ張り、海面に顔を出すことが出来た。


「げほっごほっ…!」
「無理して呼吸すんな。ゆっくり深呼吸しろ」
「ユーリ…」
「ったく…なんつーことに巻き込まれてんだよ、お前」


霞んだ視界の中でも微笑んでくれたユーリがなんとなく分かって、私も口端をなんとか上げたる。
生きてる。私を支えてくれているユーリの腕がそれを実感させてくれた。
そして彼のもう片方の腕に気を失ったヨーデルがいることにも気付き、心底胸をなでおろす。


「その子たち、一体誰なの?片方とは知り合いみたいだけど」


ツンとした女の子の声。初めて聞くはずのその声はどこかで聞いたことがあった。視線だけを向けてみると茶髪の少女…リタがこちらをジト目で見つめている。


「ヨーデル…!」
「何、あんたも知り合い?」


次に声を上げたのは可愛らしいソプラノ声。リタの隣で綺麗なピンクの髪が揺れる。ヨーデルの姿を見て驚いているようだ。…それもそのはず、彼女も皇帝候補の一人だから。


「助かった、船だよ!おぉい!おぉい!」


私達の背後を見て茶髪の少年が元気良くはしゃぐ。どうやら助けの…騎士団の船がここまで来てくれたようだ。
こうやって改めてここにいるメンバーを見回してみるとあのギルドの男が子供の集まりと言ったのも頷けるような気がした。少年少女ばかりだ。


「リク?…おいっ!」
「……」


ちゃんと助けの船が来てくれたことに安心したのか、急に全身の力が抜け始めた。それと共に私の意識も遠のいて…必死に呼びかけてくれたユーリの声が最後に聞こえた。




***




気を失うなんてこの世界に来てからの体験だった。至極平和だった私の世界で気を失うなんてどこか凄い怪我するかとか、よほどショックなものを見たかだけで、どちらも体験したことがなかった私はそんなことする機会もないだろうと思っていた。
でもこの世界に来て、胸におかしな石が埋まってて、そのせいで気絶して…その後誘拐されるときに気絶…今度は火事の煙を吸いすぎて気絶とは…


「う…っ…」


それだけこの世界が私の世界よりも危険に包まれているということだ。
私は重い瞼をこじ開ける。ここまで重いと思うのは初めてかもしれない。それだけ煙を吸ってしまったのだろうか。


「…目が覚めたかい?」
「フレン…」


最初に目に入ったのはヨーデルと同じような金色。でも背負っている銀と青が彼とは違うと教えてくれる。立派な騎士の姿をしたフレンが私を見下ろしていた。
そういえばフレンと会うのも随分久しぶりだ。


「良かった…気分はどう?怪我はしてないみたいだけど…」
「うん、大丈夫…ありがとう」
「まだ起き上がらなくていいよ。安静にしたほうが…」
「ううん…本当に大丈夫だから」


気遣ってくれるフレンを安心させるように笑って私は上半身を起き上がらせた。フレンは慌てながらもそんな私を支えてくれる。ちょっとふらついたけど、さっきと比べて全然呼吸が楽だ。


「君がヨーデル殿下と一緒に誘拐されていたなんて…本当に驚いたよ」
「あはは…私もびっくり…死ぬかと思ったよ」
「テッドから話を聞いたときは身が裂けると思った…」
「…ごめん。テッドは大丈夫だった?急いでたとはいえ無理矢理木箱に詰め込んじゃったから…」
「君のおかげで無事だよ。ただずっと落ち込んでたな」


それは悪いことをしてしまったかもしれない。あのときは本当に何も考えられなくてあんな行動しちゃったけど…逆に心配かけちゃったかな。女将さんもセリーヌさんもレイシスもきっと…
そこまで考えて私はあることに気付いた。…ベッドが微かに揺れている。いや、地面も微かに…?


「ここは騎士団の船の中だよ。カプワ・トリムに向かってる」
「…船ってなんかトラウマになりそう…」
「ははっこの船は燃えたりしないし、もう着くと思うから我慢してくれ」


フレンがそう微笑んでくれた直後、部屋の扉が開いた。私達の視線は途端に開いた扉に集中する。そこから顔をだしたのは無表情のユーリだった。


「…目が覚めたのか」
「ユーリ、病人の部屋なんだからノックぐらいちゃんとしたらどうだ?」
「次から気をつけるよ」


いつもの説教じみたフレンの言葉を軽く流し、ユーリは部屋の隅にあった椅子を引っ張ってきてベッドの横に腰掛けた。フレンと並んで私を見る。先ほどのフレンと同じように容態を伺ってきたので、同じように大丈夫だと返す。


「…セリーヌが心配してた。レイシスも」
「…うん」
「強盗に襲われた翌日に誘拐って…お前って本当に…」


飽きられてしまっただろうか。またあの時のように怒られてしまうかもしれない。確かに強盗の次は誘拐って…私ながら本当に信じられないような破天荒さだ。ユーリじゃなくても自分の警戒心の無さに呆れる。


「どんだけ俺を焦らせれば気が済むんだよ…」
「え…?」


次にきたのは怒声でも呆れた溜息でもなく、温かいユーリの手だった。ごつごつした男らしい大きな手が私の頭を乱暴に撫でている。


「焦る…?」
「リクが誘拐されたって聞いたそのときから僕が止めに行くまでずっと君を結界の外まで探しに行ってたんだよ、ユーリ」
「おいフレン!」
「ユーリが私を…?」


目を丸くして呆然とユーリを見つめれば、私の頭を撫でていた手を引っ込め、バツの悪そうな顔を誤魔化すように首を掻く。
私はユーリと喧嘩したままこんなことになってしまったから、てっきりもう呆れられてしまっているとばかり思ってたけど、フレンの言っていることが本当だとしたら…


「ユーリ…」
「なっ…何泣いてんだよ!」
「だって…」


私はとんだ薄情ものだ。私が無茶ばかりしたばかりにユーリにそんな思いをさせるなんて。
あんなことがあっても一度も泣かなかったのに、どうしてか今はユーリの顔を見て涙が溢れ出す。


「ごめんねユーリ…私自分のことしか考えてなかった」
「…俺も言いすぎたよ。悪かった」


情けないと思いつつも私は泣き続けた。今まで我慢していたのが溢れ出し、なかなか止まらない。周りのことを考えて行動したつもりだったけどそれがこの結果で、逆にたくさんの人に心配をかけてしまった。
「とりあえず無事で良かった」と呟いたユーリの言葉に更に涙が出てきて、フレンとユーリに私が泣き止むまでずっと傍にいてくれた。


(女の子を泣かせるなんて、罪な男だねユーリ)
(…今回ばかりは言い返せねえよ…)

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