ダングレストのユニオン本部からそう離れていない裏路地。
少し歩き回った末、私はやっとそこでハリーを見つけた。目を凝らさなければよく見えない、薄暗いそこで彼は肩を震わせながら立っていた。
背中を向けているせいか表情は分からない。けどれどどんな顔をしているかなんて、その様子を見てすぐに分かった。


「レイヴンか…分かってる。すぐ戻るよ。…オレなんかいてもいなくても同じだろうがな…」
「そうですか。じゃあ戻りながら少し話しましょう」
「!! あんたは…」


私をレイヴンと勘違いしていたハリーは、すぐにこちらへ振り返った。目を見開いた驚いた顔をしている彼に、私は苦笑いを返す。
長い前髪から見え隠れする瞳には戸惑いの色が見えた。…そりゃ、あんな別れ方した私が突然こんなところに立ってたらびっくりするよね。
呆然と立ち尽くしているハリーの手を取り、裏路地から引っ張り出す。ユーリたちも待ってることだし、ユニオン本部には戻らないと。


「なんで、あんたが…」
「ユニオンに用があって。それで騒ぎを聞いてあなたを探しに」
「…なら、知ってるだろ。オレがユニオンにいたって何も出来ないこと」


私に手を引かれるまま歩いていたハリーから手を弾かれた。
痛くはなかったけど、それなりに強かったそれにまた苦笑が零れる。今のハリーは私と同じくらいの歳のはずだ。…子供でもなければ、大人でもない。複雑な時期。そんな時に彼はドンの孫としてのプレッシャーを背負いながら過ごしてきた。
それに押しつぶされそうになっていたその時、イエガーからの悪魔の囁きをまるで天の啓示かのように受け入れ、ドンを失ってしまった。


「ドンはオレのせいで死んだんだ。そんなオレがユニオンにいられるはずもない。ましや、今まで通りの場所にいるんて…」
「でも実際問題、ドンの跡継ぎは未だに決まってませんよね」
「あのじいさんの後だ。誰も跡継ぎたいだなんて思うわけないだろ。…誰が跡を継いでも荷が重すぎる」


ダングレストの中央広場の隅で、ハリーは顔を俯かせる。
確かに、この街やユニオンにとってドンの存在は大きすぎた。唯一無二の存在だったこそ、それが失われた今、どうしたらいいのか分からないんだ。
…ドンが一番恐れていたことだ。ドンはこの街を守るために奔走してきた。その結果、この街やユニオンはドンに支えられなきゃやっていけないほど、彼に甘える街になってしまったのだ。
普通、こんなときは跡目争いというものが起きるものなのに、ドンの場合はその存在が大きすぎて誰もなりたがらないなんて。


「ハリーは、ドンをどんな存在だって思ってたの? 帝国と対立するギルドを束ね、この街すらも守り抜いたあの人を…神様か何かとでも思ってた?」
「――なっ…そんなわけ…!」
「…私は、そう思ってた」
「え…」


昔、あんなに小さかったハリーの背はとうに私より高くなっていた。顔を上げたハリーは再び目を丸くして私を見つめる。
まだ戦いにも慣れていない頃。ゲームの知識しかなかったあの頃、私はドンにたくさん迷惑をかけたし、たくさん助けてもらった。特にバルボスを倒した後なんかはあとで逆に落ち込むほど慰めてもらったのをよく覚えてる。
人間とは思えないほど、懐が広すぎたドン。力もあって、地位もあって、名声もあって、信頼もあって…自分の道を突き進むには十分すぎるほど才能にあふれた人。完璧すぎるその人を、私は…人間だけど人間ではない"何か"として区別してしまっていた。
ドンはすごいから、あんなことが出来るのだと。ドンは強いから、あんなことを言えるのだと。人間以上の力を持った存在として認識していた。


「でも、違ったの。ドンだって最初からあんなすごい人じゃなかった。力を付けて、何度も間違えて、"経験"をして、やっとのことであそこまですごい存在になったんだって気付いたの。…私たちと何も変わらない人だったんだって」
「……」
「ドンの背中を追いかけてきたあなたを否定するわけじゃないけど…ハリーはハリーなんだよ。ドンには絶対なれない。…だから、ドンのようにって考えちゃ駄目。あなたはあなたのやり方を探さなきゃ」
「……オレは、」


再び掴んだ手首は、今度こそ弾かれなかった。
まだ俯いたままのハリーの手を引いてユニオン本部を目指す。大人しくついてきてくれるものの、ハリーは一言も喋らないままだった。
…今までドン一色だったハリーにはいきなり辛いことを言っちゃったかな。そもそも、ベリウスの事件の時にロクに話もしなかった私の言葉をハリーがどう思うか…。


「ねえ、あんた。ドンの聖核(アパティア)を譲って欲しいんだけど」


そんな気まずい沈黙の中、やっと辿り着いたユニオン本部は不穏な空気が漂っていた。ドンがいない今、ユニオン内はみんなバラバラだ。
ハリーを連れて私が部屋に入った瞬間、リタが駆け寄ってきてハリーに向けてそう言い放った。…あ、挨拶ぐらいしなくちゃ駄目だよリタ…!


「リタ、いきなりそんな直球…」
「……あれはドンの跡目継いだやつのもんだ。よそ者にはやれねえよ」
「なによそれ。それじゃいつその跡目が決まるのよ」
「…知らねえよ。オレに聞かないでくれ」
「ハリー…」


リタの直球な質問が悪かったのか、ハリーはまた私の手を弾くと、部屋の隅へと移動してしまった。
長い前髪で隠れていても伝わるその不機嫌さに、私は今度こそため息を吐き出した。そんな私の肩をごくろうさん、と叩いたのはレイヴン。


「リクちゃんの説教でも動かないか。こりゃ本格的に面倒なことになるかもねぇ」
「ったくしょうがねぇな。ユニオンがしっかりしなきゃ、誰がこの街を守るってんだよ」
「ああ? そりゃ俺たちに決まってらあな」
「…俺たちとはどの俺たちだね」


この場を包むピリピリした雰囲気に嫌気が差したのか、ユーリが挑発するように少し大きな声でそう言えば、簡単に乗ってきたギルドの男。
暁の雲(オウラウビル)だというその男が声を上げれば、天を射る矢(アルトスク)の男が嫌味を含んだ抗議の声をあげる。
いつもならこんなくだらない子供染みた騒ぎを収めるのはドンの仕事だった。…しかしもうそのドンはいない。止める者が誰もいないから、騒ぎは大きくなる一方だ。


「…アホくさ。この世の終わりまでやってろ。仲間内でやりあって自滅ってのはやめてくれよ。全っ然笑えねぇから」
「いいこと思いついたのじゃ。ドンの椅子に流木を座らせておけばいいのじゃ。波にもまれた分だけ人生に苦労しておるからドンの貫録たっぷりなのじゃ」
「あら、いい案ね」
「うん…パティちゃんそれ本当にうまいと思う」


パティちゃんは時々こういう台詞を普通に言い出すから侮れない。
思わず小さく拍手をしてしまった私を、ギルドの屈強な男たちがギラリと睨みつける。…まずい、逆鱗に触れちゃったかな。
隣にいたユーリの背に私が隠れたと同時に、カロルがギルドの男たちの前に立った。


「仲間に助けてもらえばいい、仲間を守れば応えてくれる。ドンが最後にボクに言ったんだ」
「カロル…」
「なんだぁ? このガキ…」


精一杯の勇気をもって前に出たカロルに、暁の雲の男が大人げなく睨みつけながら詰め寄った。
しかし後ろに控えていたユーリが睨みをきかせると、脅えたように肩を揺らし、カロルからゆっくりと離れる。…さすがユーリ。敵を睨みつける怖さは一級品だ。


「ボクはひとりじゃなんにもできないけど、仲間がいてくれる。仲間が支えてくれるからなんだってできる。今だってちゃんと支えてくれてる。なんでユニオンがそれじゃ駄目なのさ!?」
「…少年の言う通り、ギルドってのは互いに助け合うのが身上だったよなぁ。無理に偉大な頭を戴かなくともやりようはあるんでないの?」
「これからはてめぇらの足で歩けとドンは言った。歩き方ぐらいわかんだろ? それこそガキじゃねぇんだ」
「……簡単に言うが、しかし…」
「行こうぜ。これ以上、ここにいても何もねえ」


カロルの言葉が通じたのか、先ほどの騒動で興奮していたギルドの男たちは少し落ち込んだ表情で肩を落としていた。
ユーリの言う通り、これ以上は私たちが言うことはないし、干渉するわけにはいかない。これはユニオンの問題だ。ユニオン自体が気が付かなければいけない。
聖核を入手できなかったリタはこのまま去っていくユーリに声をかけたが、ユーリは私の腕を引いたまま、さっさと本部を出て行ってしまう。


「……どうすんのよ、聖核は!」
「あんな連中に付き合ってる暇あったら他の手考えた方がマシだ」
「他にって、そんな簡単なもんじゃないでしょうに…」
「なに、三日三晩寝ずに考えれば、いいことを思いつくのじゃ。がんばれ、リタ姐」
「またあたし!?」


ユニオン本部を出て早々、リタが再び声を上げたけどユーリの機嫌は全く直ってないみたいだ。
確かに、ああいう人の話を聞かないで場を悪くするばかりの人たちはユーリが嫌っている部類かもしれない。今回のユニオンの人たちは話が通じたみたいだからまだ良い方だと思うけど…。
聖核を手に入れなかった為、リタが提唱した方法で星喰みを打倒することは敵わなくなってしまった。…でも聖核ならまだここにある。そう自分の胸に手を当てていると、ユーリからのキツい視線に気が付いて苦笑を零す。


「リク、お前また余計なこと考えて…」
「――ほらよ」


しかし説教を始めようとしたユーリの言葉は途中で途切れた。
突然投げられた『石』を慌てて手に納めたからだった。目を丸くしたユーリは『石』が投げられた方向へ視線を向ける。
ユニオン本部から出てきていたのは、ハリーだった。たった今ユーリに『石』…ベリウスの聖核、蒼穹の水玉(キュアノシエル)を投げつけたのも彼だった。


「こいつは……くれんのか?」
「馬鹿言え、そいつは盗まれるんだ」
「え?」
「……恩に着るぜ」
「他の連中に気取られる前に、さっさと行っちまいな」
「どういう風の吹き回しよ?」
「さあな。けど、子供に説教されっぱなしってのもなんだかシャクだからな。それに…」


ハリーの視線が私へと向いて、こちらへとゆっくり歩み寄ってくる。私はそれに応えて、ユーリから少し離れてハリーと向き合う。
さっきまで不機嫌そうな、戸惑ったような、悔しそうな…とにかく怖い顔をしていたハリーはどこか吹っ切れたような笑みを浮かべていた。


「オレはドンにはなれない。あんたが言った言葉が分かった気がするよ。ドンは確かにすごい人だ。でもオレは一つ勘違いしてたんだ。…じいさんが何でも一人で出来る完璧な人間だって。…そんなわけないのにな」
「…うん」
「探してみるよ。オレにしか出来ないやり方ってやつを。じいさんが出来なかった方法で、オレはユニオンをなんとかしてみせる。それで…じいさんの頃よりすごいユニオンにする」
「うん!」


そう拳を握りしめたハリーにさっきまでの曇った瞳は見えない。
カロルの"説教"に大分後押しされたみたいだ。はにかむように笑ったハリーに、ドンの面影を見たような気がした。それは顔が似てるとか、そういうものじゃなくて…。


「――"街を守るためでもギルドを束ねるためでも、ましてや帝国に喧嘩売るためでもない"」
「え…?」
「"ハリーみたいな子供が安心して自由に育てられる。その未来を守ることが、街を守ることにもギルドを束ねることも繋がってる。ただそれだけなんだよ"」
「……」
「ドン本人がそう言ってたから、間違いないよ。…ハリー、力みすぎないでね。この街を守りたいって気持ちを忘れないで。そうすればきっと…」


私はそこで思わず言葉を切る。長い前髪に隠れたハリーの瞳が、赤く潤み始めていたからだった。
目の前にいる私にしか分からない変化だろうけど、きっと長年一緒にいるレイヴンは気が付いている。…これはあくまで推察だけど、ドンの様子から見て、ハリーが歳を重ねるごとに言葉を交わすことが難しくなっていたのだと思う。
私が過去に見たハリーとは(幼かったっていうのもあるだろうけど)仲が良かったはずなのに、現在では少しギクシャクしているように見えた。その距離を、ドンもハリーもよく感じていたのだろう。
そして今、初めてドンが守りたかったものを…ハリーが知った。あの遠かったドンが願ったのは、たった一人の…ハリーが安心して暮らせる未来。


「…頑張ってね、ハリー」


無意識に手を伸ばし、少し高い位置にあるハリーの綺麗な金髪の頭を撫でて、私は彼に背を向けた。
レイヴンも軽くハリーの肩を叩いて、私に並ぶ。ユーリたちに視線を合わせて、私たちはその場から去った。
ドンがこの様子を見たら、私に「余計なこと言いやがって」って悪態づくかもな。こういうことをバラされるのが嫌いな人だったから。


「ありがとう…アウラ、」


一滴の涙を流したハリーの小さな呟きを、私は知らない。
けど、彼がこれから下を向くことはなかなかないだろうということだけは想像できた。ハリーにだって私たちと同じように、支えてくれる仲間がいるのだから。




***




ベリウスの聖核、蒼穹の水玉を手に入れた私たちはリタの指示でそのままゾフェル氷刃海に向かうことになった。なんでも活性化していないエアルクレーネが必要なんだとかなんとか。
…よく考えたら私、あのときユーリたちとはぐれちゃったからゾフェル氷刃海初めてなんだよね。砂漠も砂漠だったけど、あそこはゲームで見た限り北極ってあんな感じなんだろうなぁと思わせるような場所だ(もちろん北極はそこほど生易しくないだろうけど)。
防寒具とか持ってないからなぁ…吹雪いていないことを願うしかない。


「バルボスにラゴウ、ドン、イエガー、デューク、アレクセイ…ああ、あの皇帝候補の殿下もいたわね。それに加え、ドンの孫ハリーまで」
「え? ジュディス…何の話?」
「リクがいかに男たらしかっていう話」
「ぶふっ!?」


次々と流れている海面を見下ろしながら、考え事をしていると、背後から話しかけてきたジュディスから大問題発言をされた。
口に何も含んでなくて良かった。水でも何か入ってたら全て噴き出していたところだ。


「な、何言ってるのジュディス!」
「あら、本当のことでしょう? 驚いたわ、いつの間にハリーって子と仲良くなっていて…」
「ハ、ハリーとは十年前に知り合ってたからで…! っていうかバルボスとかラゴウとか…物騒な名前まで出てくるのはなんで!?」
「あの人たちもあなたを誘拐した人たちだから、あなたに惹かれたのかと思って」
「違うよ! …あ、いやバルボスとかだけじゃなくて全員違うから!」
「でも確かにリクの攫われ体質ってすごすぎるよね」


カロルまでそんなことを!
私の悲鳴に似た声を聞きつけたのか、思い思いに船の上で時間を潰していたみんなが集まってくる。リタは本を読みながらまだ術式を組み立てているのか、寄ってくるようなことはしなかったけど、顔だけこちらに向けている。
…いや、こんな話を聞きつけて集まってこないでよみんな!


「ん〜色んな男と仲良くなってるのは事実じゃない? あのイエガーとも仲良かったみたいだしねぇ?」
「やめてレイヴン、話が余計にややこしくなる!」
「わたしは一時期ヨーデルとの仲を応援していたんですよ、リク。あんなに楽しそうにしているヨーデルを見たのは十年前以来でしたし…」
「デュークともいい雰囲気だったわよね」
「あの…本当に…勘弁して…!」
「そうじゃ! 悔しいが、今のリク姐にはユーリという世界一かっこいい恋人がいるのじゃ! からかうのはよくないのじゃ」


パティちゃんの悪気のない一言で、場の空気が一瞬のうちに固まる。
ジュディスとエステル(事情を知ってる組)はにこにこと笑ってたままだけど、レイヴンとカロル…そしてリタは目を見開いたまま硬直していた。
この固まった空気を一番最初に壊したのは、ただ口を開けて目を丸くしていたカロル。


「ええええええーーっ!!?」
「マジ? ねえこれマジ? とうとう? とうとうやったのか青年ー!!」
「嘘よ…これは夢だわ…そう、悪い夢…早く覚めるのよリタ・モルディオ…!」


興奮している男二人に対し、リタは顔を青くしたまま本を自分の頭にぶつけ、ぶつぶつと何かを呟いていた。…な、なんか想像以上に危ない状態だ…!
私がその様子に冷や汗を流している中、背後から私の肩を叩いた大きな手に、心臓が驚きで飛び上がる。


「…まぁ、そういうことだ。つまり恋人であるオレにはリクの男たらしってやつをなんとかしなくちゃならねぇ義務があるってわけだ」
「あの…ゆ、ユーリ…? 肩がすっごく痛いんだけど…」
「大丈夫よリク、顔はすごく笑顔だから」
「大丈夫じゃないよジュディス! …め、免罪! 私は何も悪くないから!」


肩を掴まれた流れ、首に腕を回された私は見事に身動きがとれなくなってしまった。
ど、どうしてこうなった…! これからゾフェル氷刃海に行って星喰みを倒すために真剣に取り組むはずだったのに…!


「全員に知られちまったんだし、いい機会だ。もうちょっと行動を考えるように躾けてやる」
「青年、躾けるだなんてそんな大胆な言葉、少年たちの前で言わなくても〜」
「? それのどこが大胆なの?」
「それは青年とリクちゃんがふぁっ!?」
「教育的指導よ、おじさま」


目の前でレイヴンがジュディスの拳を受けている光景を眺めながら、私はユーリにずるずると船室の方へと引きずられていた。
エステルは笑ったままだし、リタは青い顔のままブツブツと何か言ったままだし、パティちゃんはすでにラピードと遊んでるし、カロルは倒れたレイヴンを起こしてるし、ジュディスはこっちに向かって手を振っている。


「だから私は何も悪くないんだってば〜!」


そんな私の声も虚しく、船室のドアは強い音をたてて閉められる。
この後、私がこの部屋の中でユーリに何をされたのかと聞かれれば、ご想像にお任せしますとしか答えられない。…それほど口にしたくない出来事だった。


(こうしてくだらないことで一喜一憂出来るのも、あと僅か)

- ナノ -