ルキナ+マイユニ

※時間軸はヴァルハルト決戦の帰国後


このままこの子の首を締めれば、きっと私はこの世界の『ルキナ』になれるでしょう


目の前には何も知らずすやすやと眠る私がいた

何の悲しみも知らず、痛みも知らず、血の汚れも知らない赤ん坊の私が

…何も知らないからこそ、こんなにも穏やかな寝顔をしているのでしょうか

そっと頭を撫でる

見渡せば綺麗に整頓された部屋

寝転がって落ちないよう柵で守られたベッド

可愛らしいぬいぐるみに囲まれながら、温かい毛布の中にその子はいた

たまに廊下から侍女がパタパタと足音を立てながら通り過ぎる音が聞こえる

シンとした部屋に差し込む昼下がりの光が心地好い

私の知る未来とは、真逆

幼い頃の記憶に太陽の光が差す事は無かった

徐々に減っていった人間の数

毎日食べられる訳では無かった食事

物心付いた頃には既に染みついていた屍兵を斬る感触

知らなかった両親からの愛情

「…貴方は…、良いですね」

私にもこんな時期があったのでしょうか?

幸せそうに眠る私を見て小さく微笑んだ

その心に沸き起こったのは大切にされているという微笑ましさ

そして、小さな妬み

帰国後お父様は直ぐに自国の外交や政治に追われた

お母様はお父様に寄り添うようにその書類の手続きや交渉に励んでいた

戦いの無い今、私に存在理由は無い

私自身自分の所在に困っていたのかもしれない

居場所を求めて彷徨うように城を徘徊していた

そして、この部屋に辿り着いたのだ


長い事考え込んでいたらしい

窓から差し込む光は大分傾いていた

赤子を飲む込むように立ちすくむ私の影

妬みの火がゆらゆらと揺らぎ始めたその時

私の手は、まだ据わっていないその首元に迫っていた

「…」

このままこの子の首を締めれば、私はこの世界の『ルキナ』になれるのでしょうか

この世界のルキナが私一人になれば、私は『ルキナ』の幸せを独り占め出来るのでしょうか

柔らかい首に手を添える

僅かな緊張と共に飲み込んだ息

そして手の平に力を込めた


しかし、それが実行される事は無かった

「あー…あ、うー」

首を締めるその前に「私」が寝苦しそうに声を挙げたから

ハッと我に返った理性

それとほぼ同時に手を引っ込める

苦しい

鉛のように重い苦しみに襲われた

この子も私だからか

まるで天に吐き出した唾が自分に返ってきたかのように呼吸が苦しくなる

だけど苦しいのは喉じゃなくて

胸の奥底

この子は、お父様とお母様の大切な宝なんだ

この世界ではこの子が“正”の存在

“偽”はこの私

なのに私はもっと愛されたいと欲をかくあまりこの子を

この子の首を…

「…っ」

その時初めて自責の念がずしりと押し寄せた

私はなんて恐ろしい事を

なんて浅はかな事を

無意識にぽろぽろと落ちた涙

堪えようにもなかなか止まらない

赤ん坊の私が起きないよう声を押し殺す分、大粒の涙がとめどなく溢れた

「ルキナ、何処にいるんですかー?」

廊下に侍女の足音はもう無かった

代わりに私を呼ぶお母様の声が聞こえる

「ルキナー?」

『私』を探す声

「え…
ルキナ、泣いているんですか?!」

扉が開きその声が室内に響く

嬉しかった筈なのに、嗚咽を挙げてしまってろくに返事が出来ない

「どこか痛むのですか?」

駆け寄り顔を覗き込むお母様

その表情は心から私を心配していた

この人は時空を歪めてやって来た偽りの私の事も『ルキナ』と言ってくれた

『娘』だと言ってくれた

「…お母様」

蚊の鳴くような声でぽつりと呟く

「お母様…」

私の肩に置かれた手を握り締め返す

…温かい手

「お母様…お母様」

娘の証を何度も何度も噛み締めた

「何か…あったのですか?」

ふと目についたお母様のもう片手には書類の束

…仕事の途中でも、私を忘れないでいてくれた

『私』の存在を認めてくれた

背に負っていた何かがふと、軽くなったのを感じた

「…いえ、何でもありません。元の世界の事を思い出して少し気が滅入ってしまっただけです」

赤子の眠るベッドへ視線を向ける

「うー…う」

己の指をくわえる私と目が合った

「あら、ミルクが飲みたくなってしまったのでしょうか?」

優しく『私』を抱き上げるお母様

私もその隣へ歩み寄った

「…起こしてしまって、ごめんなさい」

頭を撫でようと伸ばした手

すると小さな手の平が、私の小指を懸命に握った

柔らかくて温かい、小さくとも確かに生命の存在する手

私の目はまだ赤く涙の跡が残っていたかもしれない

…でもこれが、私の精一杯の笑顔です

「次に会う時までに…貴方に送る祝辞を考えておきますね」

次に会う時

それはきっと最後の決着が着いた時でしょう

戦うために存在する私が必要とされなくなる、そんな温かい世界


まだ言葉は思い浮かばない

けれどいつか平和な世界を取り戻したら

その暁に、私は私へ幸せを託します

だからそれまでゆっくり、お休みなさい


そう言って小さな手と指切りを交わした





小さな契りに見出だしたのは、大いなる希望


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