「神楽」
薄いベージュの壁に囲まれて、彼女ともう1人がそこにいた。 神楽は大分のびた髪を一纏めにしてベッドに座っている。
自分はどこか他の空間に飛ばされてしまったのだろうか、と思うほどの不思議な違和感。 沖田はこちらに向かって微笑みかけている神楽へと、一歩一歩近づいていった。
「お疲れさまヨ」
「…お前も」
「私はお疲れさま、なんて言われることしてないアル。だいすきな人との間にできただいすきな子どもを見るために頑張った。それは全然お疲れさまなんかじゃないネ」
ふわり、と。 諭すように言葉を紡ぐ彼女は、もう母親の顔だった。 沖田は自分だけ置いていかれたような気持ちになって俯く。
出産予定日だった今日、過激な攘夷浪士がテロを起こした。人手や状況から言って1番隊隊長の沖田が出動しなくていいはずもなく。
こんな自分でも、父親になれるのだろうか。 今さらながら沖田は頭の端でそう思った。
神楽のベッドの傍に置いてあるベビーベッドに寝ている小さな小さな赤ん坊。それが、自分の子どもという実感が全くといってなかった。
家庭環境にはあまり恵まれていなかった沖田。
親の愛とはどのようなものだったか? 『愛する』というのはどのようにすればいいのか?
「抱いてあげてヨ、おとーさん」
無言のままベビーベッドを見下ろしていた沖田に、神楽は促すように言った。
その言葉にびくりと肩を震わせた沖田は、そのあと恐る恐るといったように手を伸ばし我が子を抱き上げた。
羽のように軽かったが、緊張でいろいろなところに力が入る。 微かに匂ったミルクの香りに、沖田は腕の中にある温もりを壊さないよう優しく、しかし先程より強く抱きしめた。
初めて抱いた感触。 瞬間さまざまな想いが沖田の中を巡っていった。
(…あぁ、そうだ)
どんな風に愛すとか、そんなことどうでもいいんだ。 考えても無駄なんだ。
だって、ほら。
こんなに愛しい。
考えなくても勝手に浮かんでくる。 初めて彼女と出会ったころ。毎日飽きず喧嘩をしたこと。気付いたら好きになっていたこと。想いを告げたときの彼女の笑顔。そして家族になれたときの幸せ。
そんなのがぐちゃぐちゃに、ひとつにまとまって最終的に辿り着くのは。
「…わたし、しあわせヨ」
自然にポロポロと流れる沖田の涙を、細く白い指で触れる。そんな神楽の瞳も揺れて潤む。
頬を流れ落ちる温かい雫を2人は拭おうとはしなかった。
「…俺も、幸せ、でィ」
「うん」
「…なんて言ったらいいかとか、いくら考えても全然出てこねェけど、…ありがとう、ありがとな」
「…うん、総悟もありがと…私に幸せくれて…ほんとに、ありがとう」
涙を張り付かせたまま、お互いに微笑みあった。
それはきっと1番の笑顔で。
それはきっと世界一の幸せで。
ポタリ、と2人の涙が沖田の腕の中に落ち、反応するように小さな手が動いた。
その小さな手で、この子は何を掴むのだろう? そのまだ閉じたままの瞳で、この子はどんな風に世界を見るのだろう?
自分たちの愛の結晶が、今こうして呼吸をしている。大人顔負けの力で、絶対に離さないとでもいうように真っ白な手を握っている。
それだけで心が震えた。
「ねぇ総悟」
「ん?」
「この子は太陽に愛されるかナ?」
窓から見える景色は、雲ひとつない青空。柔らかな木漏れ日がキラキラと降り注ぐ。
沖田はそっと神楽の額に口付けると、優しく囁いた。
「絶対に愛される。俺が保証してやらァ。こいつも…お前も」
そう言うと、神楽はとびきりの笑顔で頷いた。
これから先、どんなに辛いことや悲しいことがあって俯いてしまったとしても、最後はきっと笑顔になれるから。
どうか生きることだけは諦めないで。
どうか、どうか 愛しい人と一緒に空を見上げて。
いつだって、あなたの幸せを願ってるよ。
「誕生日おめでとう、悠希」
あおぞら。
(ねぇ、)
(むかしばなしを聞かせて)
あおぞら。の柚葉様から。 ひっそりと隠れファンなのです。 本当にキュンキュンする小説で。
この度閉鎖ということでとても残念です。 でも素敵な作品を読むことが出来て良かったです。
ありがとうございました。 お疲れ様でした。
2010.02.28
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