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 あなたは何か信仰する宗教はありますか?日本人の多くが特定の宗教を持たないと言いますが、何かを信仰する心はありますよね。無神論者のビジネスマンが「金しか信用しない」とかいうドラマのようなセリフを言っているとしましょう。この場合彼は金を信仰している、とも言えるんじゃないでしょうか。
 信仰の対象は神に限らない。偶像か、実体を持っているか、実在人物なのか、それが何であれ、強すぎる信仰心というのは人を盲目にさせる。目を開きながら何も見ていないその姿が、私は恐ろしい。

 無視から始まったいじめが、ついに物理的な実害を伴うまでに発展した。最初はどちらかといえば避けられている程度だったのが、明らかに悪意を持って侮蔑のまなざしを向けられるようになり、今日はとうとう机と黒板に根も葉もない悪い噂を殴り書きにされていた。クスクス笑う声が誰から上がっているのか分からないのが気味が悪い。
 私は黒板を消すことはなかった。机に関しては油性で書かれているから消せるような道具を持っていないため最初から諦めた。これが削られて描かれた罵詈雑言なら、プリントに書くときに紙が破れてしまうだろうからまだマジックの落書きでよかった。どんな机で勉強しようが、私の勉強効率は変わらない。なら別に構わない。私は構わないのに、どうしてあなたは……
「おい、書いたヤツ誰だ」
 ポルナレフ君。どうしてあなたは無関係なことにそう怒りを露にするのか。私には理解できないし、する必要もない。

 次の日の被害はより深刻だった。私の机も黒板も綺麗だったけど、主犯と思しき男子生徒二人が入院のためしばらく学校に来なくなった。トラブルの原因に私があるのだとすれば、きっと先生は私に話を聞くため貴重な時間を削りにかかってくるだろう。勘弁してほしい。
「主人さん、助けてもらっておいてその態度?」
 クラスメイトからこういった忠告を受けるのも煩わしい。態度に出していないつもりだったけど、逆に態度に何も出さないことがポルナレフ君への失礼に当たるらしい。これは一つ勉強になったから、まあいいか。でも学習したことを応用できないようでは意味がない。私は一つ、完璧な返答を心がける。
「ポルナレフくん、助けてくれてありがとう。でも暴力はよくないわ。彼らも入院してしまうほどの悪行を犯したわけじゃないし、第一あなたが怪我をしてしまうかもしれない」
「心配いらねーって。俺はああいう卑怯な連中に後れを取るほどヤワじゃないし、それに公子のための怪我なら名誉の負傷ってやつだ」
 答えになってないわよ、それ。何の理由も説明せずに心配いらねーと言われれば余計心配になるものだし、怪我すると私が困るといっているのにあなたの名誉になるっていうのがもう、意味がよくわからない。いえ、わかるんだけど……なんというか、私のこういうところがきっとダメなんでしょうね。いじめられる原因なんでしょうね。
「公子、君のことは俺が守るよ」
「いえ、本当に平気なんで。私は妙な噂こそたてられてはいるけど、誰も私に暴力を振るったりしないし、物を隠したり壊したりもされていない。そういった噂は私気にしないから、守ってもらうような実害は出てないのよ」
「どうして……そんなこと言えるんだ。やつらは君の名誉を、尊厳を一方的に傷つけた!これが実害と言わずしてなんと言うんだ!」
 これよ。彼のご家庭が特定の宗教を持っているかどうかは分からない。けれど彼は名誉だの正義だの、そういったものを信仰している。そしてそれは何があっても正しいことであると私に押し付けてくる。確かに、私だってあんなことをされてまったく気分を害さないわけじゃない。けれど私たちはクラスという集団である以上、こういったトラブルはつきものなの。それを悪いことをしてはいけないという正しすぎる道徳観で正そうとするのは傷口を広げるだけなのよ。正しいことが正しいとは限らない。これが、何かを盲目的に信仰している人間には分からないのよね。彼らの正しいことは絶対だから。
「ポルナレフくん。私は名誉というものに特に価値を見出せないの。そもそもああいった下衆な行為に目くじらをたてれば彼らは余計に喜ぶだけだと思うから、皆が私を無視するように、私も彼らを無視しているだけよ。お互いに実害の出ないギリギリのところまでしか干渉しない、ある種良好な関係を保っていたの。だから、あなたが心配するようなことはないわ」
 ここまで理由を話せば理解してくれる、とは思わない。けれど私がどういう人間か分かったでしょ。せめて心配いらねーというなら、その根拠をこの程度は話してほしいわ。
「……強いな、君は」
「そうでもないわ。助けてくれたたことには本当に感謝しているから。ありがとう」
 これはなかなかいい反応だと思う。彼も、頭では理解してくれたみたい。これから先私達も良好な関係を築けそうね。お互いに、干渉しあわない、パーソナルスペースを侵さない関係。それが、最高のクラスメイト。

 そう。ポルナレフくんとはいい関係になったと私は思った。けれど他のクラスメイトは当然違う。
「主人さー、ポルに対してあの態度ねーわ」
「ポルってばかっこいいのに、主人さんはどうして興味ないの?」
「もうちょっとニコってしたら?アイツ、女が笑うだけで喜ぶしさ」
「いいなー、私もポルナレフから守る、とか言われたぁい」
 正直うるさい。今まであれだけ無視を決め込んでおいて今更何を言っているのやら。その友人面、皮が分厚いようね。
 そしてこの状況の変化は、良好と思われたポルナレフくんにも影響を及ぼしてしまう。
「主人さーん、今日私用事あるから日直変わってくれない?」
「いいわよ」
「ありがと。じゃあ日直書き換えておくね」
 そう言って彼女は日誌を私の机に置くと、黒板の右下の日直の名前の欄を消して主人と書いた。その隣に書かれている名前、つまり、男子の当番はポルナレフくんだ。
(ああ。そういうこと)
 正直安請け合いしたと思った。これは私のミスだ。私が悪い。
「公子、ゴミ、一緒に捨てに行こうか」
「ゴミ箱は一つだから私が行くわ」
「公子、次の授業の準備物取りに行こう」
「数学は私がいくからポルナレフくんは英語の時間をお願い」
「公子、日誌の記入だけど……」
「私は掃除しておくから、そちらお願いできる?」
 私、堅物に見えるとよく言われるけれどそうでもないのよ。こういうのをフラグをへし折るっていうの。その程度のネット知識はあるくらいには、家で勉強以外のこともしてるわ。そして彼がフラグを立てようとしているのも目に見えている。
 不思議でしょうね。明るくて、かっこよくて、スポーツ万能で、誰もが友達になりたがり、女子はあなたと恋仲になりたがる。だからこそあなたは、口説き落とせない女というのが不思議でたまらないんでしょうね。でも、私強烈に何かを信仰している人、苦手なの。ごめんなさいね。
 ごめんなさいね。
 ごめんなさいね。

「ごめんなさいね。私強烈に何かを信仰している人、苦手なの。皆こと言ってるのよ」
 私は放課後、クラスの男女に教室に留まるよう命令され、出入り口を塞がれていた。ポルナレフくんが名誉を信仰するように、彼らは、ポルナレフくんを信仰していた。
「主人さん。ポルとくっつけば幸せになれるよ」
「あんなかっこいい人、二度と現れないよ」
「主人さんはポルナレフと付き合うべきだよ。なにが気に入らないの?」
 皆が皆、彼は素晴らしい人格者でそんな彼からのアプローチにいい反応をしない私がまるで異教徒であるかのように見ている。死んだ異教徒だけが良い異教徒だ、なんて過激派がいないことは不幸中の幸いだけど、この目を開きながらも私を見ようとしない彼らの視線に晒され続けることが、もう限界だった。
「おーい、皆帰らねーの?」
 塞がれていた扉は外から開かれた。のんきそうなポルナレフくんの声が吉凶のどちらに転ぶのか分からないけど、とりあえずこの状況を何とか出来そうなことに安堵する。
「まさかオメーら……」
「ち、違う!ほら、帰ろう、皆」
 まああんなことがあって数日しか経っていないのだから、ポルナレフくんがそう思うのは無理もない。蜘蛛の子を散らすようにして皆が帰った教室で、ポルナレフくんは一人残って私の肩に手を置いた。彼は身長が高いものだから、こうやって私が座っていると随分頭の位置が違ってくる。
「何もされてねーか?」
「平気よ。ありがとう」
「なあ、やっぱり、俺たち付き合おうぜ。公子は俺の女だっつったら、ああいう馬鹿げた真似はしないだろうし……いや、そういうことじゃないか。単純に俺が君をほしいから、付き合ってほしい。俺に、君を守る大義名分をくれないか?」
「私、ポルナレフくんみたいな真っ直ぐな人、興味ないの。それに私に立てられてる悪い噂はまだ消えてないのよ。私と付き合うってあなたが思っている以上の面倒ごとがあるからやめたほうがいいわ」
「大丈夫だよ。その噂の出所、俺だから」
「えっ……?」
 さ、さすがにこれには私も動揺したわ。彼、悪びれる気の全くない、いつもの純真な目でそう言うもの。
「どういうこと?」
「悪い噂が立って、孤立したところを助けてあげれば簡単に俺に靡くかなーと思ってさ。公子にこういう噂があるって聞いたけど皆知ってるかっていう風に聞いて回っただけさ。でも、想像以上のメンタルの強さで俺の方が先に参っちまったよ。おまけに周囲は暴走しはじめて手が付けられなくなってきたしよ。あ、あの黒板とか今日のこととかは俺は関与してねぇぜ。あいつらが勝手にやりはじめたの」
「……そう。そこまで計算してのことだったの」
「軽蔑した?ンなわけねーよな。公子ってばそういう駆け引きが大好物なの、俺ちゃーんと知ってるぜ」
「ええ。どうして私がそういう人好きだって分かったの?」
「好きな女だからな、ずっと見ていりゃ気づくもんさ。ここまで当てたんだからご褒美ちょうだいよ」
「……いいわよ。付き合いましょう、私達」
 教徒のフリをした異教徒。明るいふりをした策士。彼の目が濁っていないのであれば、お付き合いするのも悪くない。


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