小説 | ナノ

 グレヒルジムにはマシンコーナーの奥にカーテンで仕切られたエリアがある。この先プライベートレッスンエリア、と張り紙が出されているが、そこを人が出入りしているところはあまり見られない。
 プライベートレッスンはマンツーマンで個人レッスンをしてくれるサービスで、会費以外にも別途料金が必要なので予約でいっぱいということはまずない。
 客層的にも、大半を占めるおばちゃん層は無料のヨガやエアロビと大浴場を目的としているためそこまで本腰を入れてレッスンをしたいわけではない。
 次にこのグレヒルを支える長年通い続けている層は、今更個別指導が必要ということもないためあまり利用しない。
 これだけで会員の大半が利用しないサービスとなっているわけだが、それでも要望があるためこのような場所を設けているのだ。
「よろしくお願いします」
 今日この中に入っていったのは、杉本鈴美だった。そして彼女を先導するように入っていくのはベテランインストラクターの虹村形兆。
(……な、なんだか……)
 その様子を見送りながら、まだ新米とも呼べる仗助はごくりと唾をのんだ。
(仕事中にこんなこと考えちゃいけねーの分かってんだけどさ、エロい!)
 形兆がカーテンをあげてやってそこを鈴美が通って薄暗い奥へと進んでいく、という図が、なんだかよからぬ場面を想像させてしまうのだ。
(いやいやいやいや、だめだめだめだめ)
 気合を入れるように頬を叩いて、フロアのモップ掛けに無心で取り組むことにした。

「個別指導の資格?」
「っす」
 しかし煩悩が消えることなく一日中よからぬ妄想が脳を支配していたので思い切って聞いてみることにした。
「資格なんてそれらしいもんは……CPRくらいしか取ってないからな、俺は」
 CPRとはCardioPulmonary Resuscitationの略で、心肺蘇生の資格のことである。もちろんこの資格がないので救助活動を行ってはいけないということはない。
 だが激しく心臓に負担をかけることもあるジムという場所に勤めるのならば、当然一度は勉強させられる。この資格については仗助も取得済みであった。
「じゃ、じゃあ俺も個別指導してもいいってことすか!?」
「お前のキャリアで許可が降りりゃな……おい東方、聞いてるか?」
 仗助がポヤンと天井を見つめたままトリップしているのを見て、形兆は大きなため息をついた。どうしてこんなことを急に聞いてきたのか、昨日鈴美に個別指導を行ったことを形兆は思い出して仗助の脳内をズバリ言い当てた。
「言っておくが女、しかも若いなんて客はそうそういねぇのは知ってるだろ。大体がオッサンの相手だからな」
「うっ!なぜそれを!」
「顔に書いてるんだよ!!」
「あー、今妄想で結構いいとこまで行けたのにぃ……」
「ぼさっとしてねぇでとっとと〆作業戻れ!俺ァもう帰るぞ!」
 しかしフロントに一人取り残された仗助は、またしても妄想の続きに思いを馳せるのであった。

「仗助くん、ここ、支えてくれる?」
「はいっす!」
「もっと、上」
「えっ、でも……これ以上手を上げると、その……あ、当たりマス」
「いいの。それとも、私みたいなオバサンの体はあまり触りたくない?」
「滅相もない!」
「ねぇ、仗助くん……仗助くん……」

「仗助くん?」
「は?……あっ!す、スージー先生、お疲れっす!」
「大丈夫?もうお店閉めちゃうよ?」
「えっ。あ、やべ。すんません、これだけ終わらせてすぐ出ます!」
 先ほど帰ると宣言した形兆は、本当にもう帰ってしまっていたらしい。いつまでも片づけを終えられなかったことを謝罪しながら戸締りを済ませると、駐輪場に留めてあるロードバイクにまたがる。
 裏道を抜けて大通りに差し掛かるといつも信号で足止めを食うのだが、その時間に先ほどの妄想をふと思い出す。
「オバサン……俺、年上の女の人で妄想してた、よな」
 きちんとトレーニング目的でジムに来ていて、でも個別指導が不要なベテラン会員でもない、年上の、女性……。
「……あ」
 信号が青に変わった。妄想の中の女性の顔がくっきりと見える前に、仗助はペダルを踏みだした。


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