短篇 | ナノ
1


「今日は暇ね……」

 そう言って穏やかな昼下がり、ロゼッタは本を開いた。

 今日、珍しく彼女には講義が一つもない。何故ならば、全員仕事があるからだった。ノアは仕事の為に地下で実験。リーンハルト、リカード、シリルさえ今日は本城へ外出していた。
 講義を行う先生がいないならば、ロゼッタには勉強しようがない。なので午後には自室のソファの上で読書を始めていた。

「……ロゼッタ様、お茶持ってきた」

「あ、ありがとうアル!びっくりしたわ」

 突然部屋の入口で声がして振り向くと、そこにはお盆を持ったアルブレヒトが立っていた。お盆の上にはティーポットとティーカップ。
 午後は読書をすると彼には言っていたので、どうやら気を利かせて持ってきたらしい。

「読書するから嬉しいわ」

「うむ、ここに置く」

 嬉しそうなロゼッタに、満足そうに頷いたアルブレヒトは近くにあったテーブルにお盆を置いた。まだ熱い紅茶が入ったティーポットからは、湯気が漏れでいる。
 そしてアルブレヒトは近くの木製の椅子に腰掛けた。彼はロゼッタの側近のため、いつでも傍にいる事を心掛けているのだ。

「……」

「……」

 ロゼッタは読書をしているため無言。アルブレヒトは元々無口なので無言。室内は異様に静かであった。

「……アル、もしかしてずっとそこにいるつもり?」

 椅子に座ってじっと彼女を見ているアルブレヒト。読書しているだけとはいえ、ロゼッタは非常に居心地悪く感じた。
 だが、彼はうむ、と頷いたのだった。

「いつでもすぐ守れる様に」

 素直で真面目、そして従順。従者の鑑の様な彼だが、ロゼッタは目眩がしそうだった。
 だが、彼にこれ以上言っても無駄だろう。彼はかなり頑固で、実際彼女の傍を離れるのは少ないのだ。

(……しょうがないから、放っておこう)

 飽きればその内何処かへ行ってしまうだろう、とロゼッタは読書を始める事にした。
 今日読むのは赤い背表紙の本。書庫で本を探していた彼女に、シリルが読み易いという理由で勧めてくれた本であった。シリルのお勧めとあって、読み易くなかなか面白い本である。
 ロゼッタは栞を挟んであったページから、読書を始めたのだった。


   ***


 しばし経った頃、アルブレヒトはソファの前で困った表情で立っていた。ソファの上には無防備に眠るロゼッタ。そう、いつの間にか彼女はソファの上で寝息を立てていた。
 しかもほんの少し、目を離した間にだ。彼はどうするべきかと悩んだ。

(風邪、引く。けど、起こすのは駄目)

 出来る事なら主人の眠りを妨げるのは好ましくない。気持ち良さそうに眠っているのだから。
 ならば、と彼が出した結論はただ一つ。眠っている間に彼女を運んでしまえば良いのだ。

(うむ)

 これなら良いだろう、とアルブレヒトは早速行動に移した。
 まずはそっと彼女の手から本を抜き取る。それはテーブルの上に置いておく。そして、彼女を起こさぬ様にそっと抱えた。
 幸いな事にここはロゼッタ部屋。ソファからベッドまでたかが数メートルの距離。

 最小限物音を立てぬように、アルブレヒトは彼女を抱えたままベッドに近寄って行った。
 彼女をベッドに下ろす時も出来るだけ注意を払った。衝撃を与えてしまえば、彼女が起きかねない。彼女の髪一本一本にも注意を払いそうな程、アルブレヒトは気を使っていた。

(……うむ、これで大丈夫)

 満足気にアルブレヒトは頷く。
 ロゼッタは寝ていた場所を移されたと気付く事もなく、ベッドの上で穏やかに寝息を立てていた。彼女の美しい銀の髪は散らばる様にベッドの上に投げ出されていた。

 ふと、アルブレヒトは寝ている彼女を見下ろした。
 彼と大して年齢の変わらない少女。だが、敬愛する王より勅命を受けた時から彼女は彼の主だった。彼女自身は王位を継ぐ事も、従者がいる事も乗り気ではない。それでもアルブレヒトは選んだ、彼女に仕えるという事を。
 思えば不思議な出会いだったかもしれない、と彼は思う。

 しかし嫌いじゃない。むしろ、良かったとさえ思える。
 理由はまだ分からないけれど。

 穏やかに眠る主の見て、アルブレヒトはそう思うのだった。



Your dream won't die

(自分が守る、絶対に……だから、ゆっくり、お休みなさい。ロゼッタ様)




――夕刻

 シリルが仕事で本城から帰ってきたのは日も暮れそうな夕刻だった。今日一日留守番をロゼッタとアルブレヒトにさせてしまった事を申し訳なく思っていた彼は、真っ先にロゼッタの部屋に向かった。

「失礼します、ロゼッタ様。今日はすみません、仕事で……」

 扉を開きながらそう言い掛けて、シリルの言葉は止まった。そして言葉を発する代わりに、彼は表情を綻ばせたのだった。

「どうしたんだ、シリル。そんな所で?」

 少し遅れてやって来たリカードが、不思議そうに尋ねる。

「いえ、アルブレヒトらしいな、と」

「は?」

 ふふふ、と笑うシリルに更にリカードは首を傾げた。そして何があったんだ、と彼はロゼッタの部屋を覗く。

 ロゼッタはベッドの上で眠っていた。
 そしてアルブレヒトはベッドにもたれかかる様にして、彼もまた寝ていた。珍しい事に穏やかな表情で、彼の左手はロゼッタの手を掴んでいたのだった。



end


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