短篇 | ナノ
1



「さて、本日の講義は終了です」

 とある日の午後、離宮ではシリルの講義が終了していた。あっという間に短くなってしまった白墨を黒板の縁に置き、シリルは柔らかく微笑んだ。

「ありがとうございました、シリルさん」

 今日の講義は穏やかで実に充実したものだったとロゼッタは思う。リーンハルトがいないので邪魔はされないし、リカードに嫌みを言われることもない。順調にこの国の文字も文化も吸収していた。
 ロゼッタは使っていた本を閉じ、ペン先を軽く拭きとる。それから慣れた手付きで書き殴った紙を集めた。

「そういえば、今日はアルが一緒じゃないんですね?」

「今日はハチとノアの所に行ったみたいです」

 ロゼッタが講義中、側近のアルブレヒトはよく彼女の隣で一緒に講義を聞いている事が多い。最近は離宮内は安全ということもあり四六時中一緒にいることはない。
 彼女自身、アルブレヒトには自由にしていて欲しいというのもあるし、いつも近くにいられても監視されている気分になる。それに彼もまだ遊び盛りの年齢。ロゼッタの護衛ではなく、したい事をすれば良いのにという気持ちもあった。
 今頃ノアに邪魔だと言われながらも、地下室でハチとのんびりしているに違いない。

「ロゼッタ様はこれからどうなさるんですか?」

「んー、特には決めてないですけど……」

 地下室にいるアルブレヒトをわざわざ呼び出すつもりはない。唯一歳が近くて同性のラナは仕事中。遊び相手がいないので彼女のする事は限られてくるだろう。

「とりあえず、部屋に戻ります。シリルさんは?」

「これから軍師に頼まれた書類を片付けますので、ここに残ります」

 もう戻って大丈夫ですよ、とシリルは言ってくれた。ここに残っても彼の仕事の邪魔にしかならない気がして、ロゼッタは軽く会釈して勉強部屋という名の書斎を出たのだった。




 書斎を出たロゼッタはとりあえず自室を目指して離宮内の廊下を歩いていた。部屋へ戻ると言ったものの、戻った後はどうしたものかと考えていた。
 夕食までは大分時間が余っている。しかし、離宮内でして良い事はあまり無い。

(この前ラナに勧められた本でも読もうかしら)

 いつも暇を持て余している彼女に、友人でもあるラナは本を貸してくれた。なかなか面白いらしいが内容は所謂恋愛小説らしい。手を出すのを少々躊躇していた部分はあるのだが、暇だし読んでみようという気分になったのだ。
 本来の彼女ならば天気が良い日は外で駆け回る程元気であった。しかし、今の彼女の立場がそれを許さない為読書というお淑やかな時間の潰し方しかないのである。
 だが本を読むこと自体は嫌いじゃない。元々字が読めなかった為、読書という行為には一種の憧れがあったのだから。本が自由に読める環境は彼女にとって幸せなものであることには違いなかった。

「あら? あれは……」

 ふと前方に目をやると、見知った顔が歩いていた。彼女は足を止め、食い入るように彼を見つめる。
 あちらもロゼッタに気が付いたようで、少し不機嫌そうに眉を寄せた。

「リカード、どうしてこんな時間にいるの? 仕事あったんじゃないの?」

 真面目なリカードがサボりとは思えないが、いつもは遅くまで城で仕事をしている筈である。こんな昼過ぎに離宮にいるのは珍しい。

「……ちょっとな。体調が優れないから戻ってきた」

 額を押さえ、渋い表情でリカードは呟いた。

「珍しいわね。大丈夫なの?」

 リカードの具合が悪いというのは初耳である。あんまり体調が悪くなるという姿を想像出来ないというのもあるが、彼も人なのだからそういう時もあるのだろう。しかも、彼の性格上具合が悪くても無理して仕事に取り組みそうだ。
 ロゼッタとリカードの仲は良好とは決して言い難いが、最近は普通に言葉も交わす。それに病人に苦言を言うほどロゼッタも子供じゃない。彼が具合が悪いと言えば、それなりに心配だってする。

「顔色は大丈夫そうだけど……部屋に戻った方が良いわよ」

 早めに自室へ戻る様に促すと「ああ」とリカードは頷いた。
 しかし、部屋に戻ると思ったのも束の間、リカードの体が少しふらついた。

「え? ちょっと! 大丈夫なの?」

 咄嗟に隣にいたロゼッタは彼を支える形となる。辛うじてリカードの意識はるものの、どうやら体に力が入らないらしい。
 自分の足で地面に立ちながらも、大分体重はロゼッタに寄り掛かっていた。
 そこまで具合が悪かったとは、とロゼッタは溜息を吐く。しかし此処で見捨てる事も出来ない彼女はリカードに肩を貸し、彼の部屋へと戻る手助けをすることにしたのだった。


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