1
――深夜零時過ぎの離宮
見回りの使用人以外は寝静まり、離宮内は閑散としていた。
頭上高くには月が昇り、煌々と辺りを照らす。森に囲まれた離宮には、虫や鳥の泣き声だけが響いていた。
だがそんな中、アスぺラルの軍師――リーンハルトは静かに廊下を疲れた様な表情で歩いていた。
それもその筈。彼は今まで王都にある本城に仕事の為いた。軍師という高位の立場の為、一日中議会などに追われているのだ。そして、ようやく帰れたのが日付が変わる少し前。
それから馬車に乗り込むと、こんな遅い時間になっていた。
(お腹空いたなー……結局、飯抜きだったしね)
アルセル公国が不穏な動きを見せたり、重要な会議があったり、ルデルト家の動向を探ったり、と彼の悩みは実は尽きない。
今日の様に遅く帰る日も珍しくはない。特に、ここ最近は連日帰りが日付の変わった後であった。
(何か食べて、軽く風呂に入ろう。あ、チェックしなきゃ書類もあったけど……明日の朝するかな)
いつものふざけている様な表情ではなく、軍師としての鋭い表情をしていた。
しなければならない事は山程ある。片付けても片付けても、全て無くならないのが現状であった。
しかし、それでも働くのは彼なりに理由があるのだ。大切な理由が。
リーンハルトは広間へと向かった。使用人には先程軽食の用意を頼んだので、持ってきてくれるからだ。
きっと広間は誰もいないだろう、と思いつつリーンハルトは広間の扉を開けた。
「……おかえりなさい」
リーンハルトに投げ掛けられたのは少々不機嫌気味なロゼッタの言葉であった。
金と翠の檻 程なくして夜番の使用人が軽食を持ってきてくれたので、リーンハルトは広間の席に着いた。その前の席には特に何かをするわけでもなく、ロゼッタが座っている。
リーンハルトはスープを飲みながらじっと彼女を見た。格好は寝間着だが、いつもならこの時間は寝ている筈である。
「何?」
彼の視線に気付いたロゼッタは首を傾げる。
「いや、それはこっちの台詞だよね、ロゼッタお嬢さん。どうしたの、こんな時間に? 夜這いか何か?」
「違うに決まってるでしょ」
口を開けばふざけた事しか言わないリーンハルトに、苛立った様に一蹴するロゼッタ。
だが、本当にリーンハルトには彼女が此処にいる理由が分からなかった。こんな時間に広間に居た事は今までなかったのだから。
「子供は寝る時間だよー。ちゃんと寝ないと、成長しないよ。でっぱりとか、くびれとか」
「……余計なお世話よ」
逐一反応してくれるロゼッタが面白くて、リーンハルトはクスクスと笑い声を立てる。こうやって人と話しながら食べる食事はいつ振りだろうか、と思ってしまう。
「で、どうしたの? 添い寝希望? それとも添い寝以上希望?」
「だから、違うわよ……!」
ロゼッタとしてはリーンハルトと会話するだけでも一苦労であった。何故なら、この男は逐一話の腰を折る。しかも、下の方で。
赤面して反応すると彼が喜ぶのを知りつつも、ロゼッタはついつい反射的に突っ込んでしまっていた。
「最近、帰り遅いのね……」
「ん? あぁ、そうだね。色々忙しいから」
笑いながらリーンハルトは言う。だが、本当のところは笑い事ではない。実際は死ぬ程忙しく、あまり休む暇がないのだ。
「城に行くのも早いし」
「お仕事だから」
仕方ない、とリーンハルトは大袈裟に溜息を吐いた。彼の仕草は何事も明るく見せてしまう。
だが、ロゼッタの表情はあまり芳しくない。リーンハルトとは対照的に暗い。
prev | next
[
戻る]