30
*** ロゼッタ達が眠る隣室で、グレースは繕い物をしていた。普段ならば寝ている時間だが、今日は特別。騒動が収まるまでは起きていなければならない。有り余る時間をランプの火を頼りに繕い物へと費やしていた。
しかし時計を見ればもう二時。そろそろ様子を見に行こう、とグレースは針と掛けていたメガネを机の上に置いた。
先程まで騒がしかった声もいつの間にか聞こえなくなっていた。
寝てしまったのだろうと思いながらも、ランプ片手にグレースは部屋を出た。
「……全く、ここは男子禁制だよ」
部屋を出たグレースはロゼッタ達の部屋の前に居る人影にギョッとして、ランプで照らした。暗い廊下で突然ランプに照らされた金髪の青年――リーンハルトは少し顔をしかめる。
「グレース……様子を見に来ただけだよ。安心して、皆ぐっすり」
室内の様子を見る為に少しだけ開けていた扉をリーンハルトは音を立てぬよう、そっと閉めた。
特に怪我した様子も無さそうな彼に、グレースは安堵した。
「捕物は終わったのかい?」
「……結局失敗。逃げられたってさ」
誰の責任だと責めるつもりはないが、失敗で終わったのは痛手だった。これで相手方が諦めるとは到底思えない。しいて言うならば、これは序章なのだろう。
すぐにまた違う手で来る事は予想できた。
険しい顔で思案しているリーンハルトに、グレースは深い溜息を吐いた。
「物騒なことも程々になさいな」
「分かってるよ」
リーンハルトは複雑な表情で言うが、そう言いつつも、この男は分かっていないのだ。グレースが何度言っても危険な行為をし、何度も繰り返す。全ては王の為、と。
この眼前の男も、かつてグレースが愛した男もそうだった。
王を責める気はないが、いつか王の為にリーンハルトが命を散らすのではないかとグレースは恐れていた。十七年前、そうして死んだ男が居たのだから。
「……ジルベール様の二の舞になる様な事だけは止めておくれよ」
「親父の話はしなくていい」
その名前が出た瞬間、不機嫌そうな表情でリーンハルトは拒絶した。
昔からそうだった。生前はずっと城に居て、息子であるリーンハルトの事をあまり構う事もなく、呆気無く死んでしまった父親。リーンハルトはそんな父親に複雑な心境をずっと抱いており、あまり話をしたがらない。
しかし、そんなリーンハルトが父の形見である短剣――柄には百合が彫られ、柄頭には緑色の石、鞘には蛇が巻き付く様な模様が描かれたダガーを肌身離さず持っているのも、グレースは知っている。
「とにかく、俺は大丈夫だから。グレースも、早く休みなよ」
「そう言って、この前は怪我して帰ってきたじゃないか」
何とか話を切り上げて帰ろうとするリーンハルトの服を掴んだグレース。彼には振り払う事も出来ず、されるがままに立ち止まった。
この前、というのはアルセル公国との戦いの事。ひょんな事から彼はロゼッタと共にアルセル王を追い、アバルキンの貴族と一人戦った。毒を食らい、魔術を暴発させた彼は体の至る所に傷を作っていた。
ロゼッタにはバレたくないと、秘密裏に痛々しい傷跡の包帯を変えていたのはグレースだった。
「あれはロゼッタお嬢さんの為に戦って出来た怪我だし。名誉の負傷だよ。後悔はしてない」
リーンハルトは自分の発言に自嘲した。
かつては「名誉の死」を憎く思っていたというのに、そんな自分が「名誉の負傷」という言葉を使うとは。いずれ「名誉の死」を誉れ高いと思う時が来てしまうんじゃないかと、彼自身少々の恐れを抱いた。
「それで死んじまったら意味が無いだろう。先に置いて逝ったりするのはジルベール様で十分だから…………ハルト、お前は私より先に死ぬんじゃないよ」
その言葉を彼女に何度言われただろうか。
最初に言ったのは、彼が父親を亡くした時だった。葬儀の最中、嗚咽を漏らしながらグレースは幼いリーンハルトを抱き締めて言っていた。
次は王の侍従になった時。数奇な事に父と同じ道を辿り始めた彼に、グレースは沈痛な面持ちで漏らしていた。
「……考えとくよ…………お袋」
気まずそうにリーンハルトは目を合わせなかった。
絶対に了承だけは出来なかったのだ。王の下にいる以上、父と同じくその命は王へと捧げた。実母――グレース=コーエンよりも先に死なないと明言など出来るはずもない。それが精一杯の母へ返せる言葉だった。
悲しげな色を浮かべているのは分かっているからこそ、居た堪れない気持ちになる。リーンハルトは背を向けて、母譲りの金髪を揺らしながら歩き出した。今度はグレースが引き止める事は無かった。
(クソ……だから親父の話になると嫌なんだ)
暗い廊下を早歩きで突き進みながら、彼は苦々しい表情で父を思い出していた。
自分と母親を置いて死んだ最低な男、それがリーンハルトの父親に対する評価だった。父が死んでから、母が悲しむ姿をずっと見てきたのだ。幼心に、勝手に死んだ父を憎んだ。そして父を殺した王を恨んだ事もある。
ふぅ、とリーンハルトはそこまで考えると思考を止めて息を吐いた。
彼にとって全ては過去の話。今更蒸し返しても意味が無い。それに彼にとっての育ての父は王シュルヴェステルなのだ。あの男ではない。例え、実父の形見を捨てきれず、未だ大切に持っていたとしてもだ。
(とにかく、早くシルヴィーとロゼッタお嬢さんの為にも証拠を掴まないと。それから……『マリア=グレア』についても早急に調べないと)
23幕end
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