アスペラル | ナノ
14


「ロゼッタ様……!」

 知っている声がして、ロゼッタは顔を上げた。遠くから息を切らした二人が駆け寄ってくるのが分かる。アルブレヒトとシリルだ。二人は探しに来てくれたのだロゼッタを。
 ロゼッタの全身から緊張感が一気に抜けた。二人の姿を見たら、ようやく安心出来たのだ。

 気が付くとロゼッタもその場から逃れる様に駆け出していた。そして安心感を求めるかの様に二人に寄っていく。

「無事ですかロゼッタ様?!」

 いつも穏やか笑っているだけのシリルも、肩で息をしながら真剣な表情をしている。混乱で言葉にならないロゼッタは、ただ何度も頷いた。

「……心配した。良かった、無事で……」

 無表情は相変わらずだが、汗を掻いているアルブレヒトも必死に探してくれていたに違いない。

「……」

 言葉の出ないロゼッタに、アルブレヒトは首を傾げた。少しだけ身を屈めて彼女をそっと覗き込む。純粋な瑠璃色の瞳がロゼッタを捉えた。

「怪我した?どこか痛い?何かされた?」

「……あ……だ、だいじょうぶ……」

「本当に大丈夫ですか?ちゃんと素直に言って下さい」

「……えぇ。大丈夫よ」

 あまりにも必死な二人の姿に、少しだけロゼッタは口元に笑みを浮かべた。先程まであった恐怖はどこかに吹き飛んでしまったかの様に、今は姿を隠してしまっている。

「……その、ごめんなさい。それから……探してくれて、ありがとう」

 それは宿屋にいる様に言われ、約束を破った事に対する謝罪だった。それから、必死に探してくれた感謝をロゼッタは素直に述べる。
 すると、シリルはふわりと笑い左手をロゼッタの頭に乗せた。男性の手にしては繊細な指をした綺麗な手だ。頭に乗せると言っても、優しく触れる程度に乗せただけである。

「……今度から、勝手に出ては駄目ですよ」

「えぇ、ごめんなさい……」

「あと、もう大丈夫。もう恐がらなくて、良いですよ」

 全てを見透かしていたかの様なシリルの言葉に、ロゼッタは目を見開いた。先程まで感じていた恐怖心を彼は気付いていた様だ。慈愛に満ちた瞳で柔らかく微笑み、彼はロゼッタの頭を優しく撫でた。

 アルブレヒトは男達の方を一瞥した。未だ氷塊に身動きを封じられている。

「……ルデルト家……」

 アルブレヒトは男達に数歩だけ近付いていく。

「やはり、ロゼッタ様を探していましたか……」

 そう言ってシリルはロゼッタを自分の背に隠す。未だ氷塊に捕われていても油断は出来ない。少しでも男達から距離を取る為だった。

「お前らは……陛下の侍従共か」

 男達もアルブレヒトとシリルの正体に気付いたらしく、憎々しげに呟いた。
 アルブレヒトの手は腰の双剣に添えられている。いつでも戦えるという事だろう。

「……ルデルト家という事は、首謀者は言わずともあの方ですね?」

 丁寧だがどこか冷めた口調でシリルは訊ねた。訊ねているというよりは、詰問に近かった。

「……さぁな」

「しらばっくれますか」

 だが男達も素直に答えるわけがなかった。

「……それよりも、その女は化け物か?」

「ロゼッタ様がどうかしましたか?」

 シリルは珍しく眉をひそめる。急に何を言いだすのか、と思った様だった。
 男達の物言いに無礼と感じたのか、アルブレヒトは「口を慎め」と男達を睨んだ。だがアルブレヒトが凄んだ所で男達が黙る事はない。

「……今まで人間の国に住んでいて、魔術の教養はないと聞いていたが……詠唱も無しに一瞬で凍り漬けだ。契約だってろくにしてないはず」

「それ、ロゼッタ様が……?」

 流石にシリルも驚きを隠せない様だった。ロゼッタに魔術の教養が無いのは勿論彼も知っているので、魔術を使えないと思っていたのだ。それに契約の儀も行っていない。
 しかし、よく考えれば男達を凍らせる可能性がある人物など、ここにはロゼッタしかいない。男達が自らするはずないのだから。

「……ロゼッタ様は陛下の子。ならば、素質ある。それに、詠唱を不要とする魔術もある」

 当然、と言いたげにアルブレヒトが答えた。彼らの話についていけないロゼッタは、シリルの後ろに隠れて様子を見ているしかなかった。
 何故化け物呼ばわりされるのか、ロゼッタには全く分からない。

「まぁ、確かにロゼッタ様は陛下の御子であり、私達と同じ《詠誓の民》ですからね……私共には計り知れない潜在能力があるかもしれません」

「はっ……それが、アスペラルを破滅に導かないと良いがな」

 男の含みのある言い方に少しだけロゼッタは引っ掛かった。無意識に彼女はシリルの服をぎゅっと握り締めていた。

「いや、それも無いか……」

「え?」

 男の妙な呟きにシリルとロゼッタは意味が分からないという表情を浮かべた。しかし、いち早くアルブレヒトが事の異変に気付く。

「ロゼッタ様……!後ろ!」

 振り向き様にそう叫ぶと、彼はロゼッタの元へ走り出そうとする。しかし、少し離れているアルブレヒトには間に合わない。
 何故彼がそんなに慌てているのか分からないロゼッタは振り向いた。

 見たのは、白刃が振り上げられている光景。
 ルデルト家の者はまだ数人近くにいて、遅れて来た様だった。

「……っ?!」

「ロゼッタ様!」

 瞬時にシリルは後ろからロゼッタの身体を力強く引いた。身を挺する様にシリルは彼女を庇う。


 ザッと何かが断ち切れる音が響いた。


 しかし、倒れたのは剣を振り上げていたルデルト家の男。剣を持っていたその腕は既に無かった。二の腕の中程で存在していた腕は断ち切られ、地の上で跳ねたと思ったら静止した。

「シリルさん……?!」

「……私は大丈夫ですよ……無傷です」

 シリルの返答にロゼッタは胸を撫で下ろした。彼の声音から、本当に大丈夫の様である。
 だが、あの一瞬で何が起きたのか分からない。シリルが斬られると思った瞬間、男が倒れたのだ。

「……おい、大丈夫か……シリル?」

「……?」

 シリルの名を呼ぶ男の声がして、ロゼッタは顔を上げた。まだ若い男の声だ。だが、アルブレヒトではない成人男性。

 顔を上げた先――シリルの肩越しに、一人の男が剣を片手に立っていた。

 漆黒の髪にガーネットの様な紅い瞳の男だった。黒い毛並みとその瞳に秘めた荒々しさは……


 ふとロゼッタに、黒い獅子を連想させたのだった




第2幕end

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