アスペラル | ナノ
13


***


 そこは無法地帯だった。
 床に投げ出された本の山。高価な糸で織られた衣服。宝石が入った小箱。盤と駒。カードゲームのカード。とても高価な魔石入りの望遠鏡。何に使うかも分からぬ高価な魔具。全て床の上だった。部屋の主はそれらの事など気にも留めず、室内でも飛びきり多く開いた窓に腰掛け、外を見ていた。
 風に揺れる髪はさらさらと流れる金髪。肩程まで伸ばしており、少し幼めの容貌と合わせるとまるで一瞬女の子と思わせる様な風貌の少年である。特徴的なのは何もかも吸いこんでしまいそうな程真っ黒な瞳だった。

「リオネル様」

 重低音が室内の奥から響く。
 少年は突然の声に肩を震わせるが、見向きもしなかった。

「使用人も困っております。せめて衣服だけはベッドの上に放り投げるなりして下さい。床の上では汚れます」

「……それが使用人の仕事だろ。それ位使用人にさせればいい」

 外を向いたままリオネルと呼ばれる少年はぶっきら棒に言い放つ。
 重低音の主――黒髪に藍色の瞳の三十歳前後の精悍な顔付きの男性は溜息を一つ零し、床の上に放り投げられた衣服を一つ一つ拾い始めたのだった。普段この部屋を掃除する使用人が可哀想で、見ていられなくなったというのが本音だ。
 だが、彼とて使用人と大して変わらない。名目上は目の前の少年の側近だが、要は身の回りの世話をする世話役。世話役だが、目の前の少年のわがまま放題には手を焼かされている。

「これは……」

 衣服や玩具と一緒に床に転がっていた今日の日付の新聞。
 自分の主は新聞に目を通す様な勤勉さを持ち合わせていないのは、男もよく知っている。そんな主が新聞を自室に持ち込んだ。十分異様な事態だった。
 しかし、本日の新聞は少年の興味を惹くには十分過ぎる内容だったのだろう。

「……どうでしたか」

「なにが?」

 鳥の形をした空を飛ばして遊ぶ玩具をいじりながら、平然としている少年。とぼけているのか、それとも本当に意味が分かっていないのか。少年の噂を聞いた者ならば後者だと思うだろうが、長く側近をしている男は前者だと自信を持って言えた。

「漸く姉君が登場したわけですが」

 あぁ、とわざとらしく理解したかの様な声を上げる少年。抑揚がない声は心底どうでもよさそうだった。

「それ、叔父上が置いて行っただけだし」

 だろうな、と男は心の中で呟いた。少年が持ち込む筈もない新聞。となると、誰かが少年に渡したとしか思えないのだ。
 とは言え、使用人が少年に新聞を渡すわけがない。そんな事をすれば目の前で新聞をバラバラに引き裂かれて終わるのが目に見えている。
 少年が新聞を引き裂かずに渋々持ち帰る羽目になる相手など、そうそういないのだ。父親、母親、そして後見人である叔父位だろう。

「では、目は通されていないので?」

「通した。読めって言われたから。叔父上には『今後お前の敵になる女だ』って言われたけど、叔父上の敵でしょ。別に僕は関係ない」

 いじっていた鳥の玩具を窓の外へと放つ。ぱたぱたと羽を動かす鳥だったが、数秒もしなうちに落下していた。

「……興味はあるんですね」

「はぁ?」

 ようやく少年は男の方を向いた。眉を不機嫌そうに寄せながら男を睨んでいた。

「いつもなら読めば捨てる筈です。新聞を取っておく程興味があるのだと、俺は思いましたが」

「……興味はある。今まで知らされていなかった姉上だ、どんな奴なのかは知りたい」

 誤魔化し様がなかったからだろうが、少年にしては珍しく素直な返答だ。よく見れば新聞には強い折り目が付いていて、何度も彼がその新聞に目を通した事が読み取れる。
 そういえば、と男は思った。少年はずっと一人っ子で育った。
 突然姉が出来たと言われれば狼狽してしまうが、それでも兄弟が出来る事に興味はあるのだろう。

「良いものですよ、兄弟は」

 懐かしげに、男は口元に笑を浮かべた。

「煩い。分かったような口を利くな」

 優しい声音で男は言ったものの、少年にはぴしゃりと厳しい口調で言い返される。だが、こういったやり取りは慣れていた。いつもの事なのだ。今では特に何とも思わないから不思議である。
 すると、少年は窓枠から降りて部屋の床に降り立つ。

「……気が変わった。準備しろ」

「どちらへ?」

 少年の無茶振りはいつもの事。男は特段慌てる素振りを見せずに、冷静に聞き返した。

「久し振りに王城へ行く。今回は長めに滞在する」

「……承知致しました、リオネル王子殿下」

 堂々とした面持ちと、はっきりとした言動。普通の少年とは思えない程の出で立ち。
 王家の血筋を引く事は見た目からして瞭然だっただろう。
 金髪の少年――魔王後継者の一人リオネル=アスペラルに、男は頭を下げたのだった。





 何事も時間を経れば移り変わっていく。

 人の気持ちも、情勢も、思想も、関係も。
 誰かの意思とは関係なく、それは時に優しく、時には残酷に。

 流転していくこの世界に、ロゼッタ=アスペラルはまだ足を踏み入れたばかり……



end
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