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アスペラルとアルセル公国との争いが終結した夜から、既に十日も経った。
あれからロゼッタ達はリーンハルトとリカードと別れ、離宮へとこっそり帰って来たのだった。事後処理は軍師であるリーンハルトと騎士団長のリカードがするという話でまとまったからである。
あの夜は鮮烈な一晩だった。
今でもロゼッタはあれは夢だったんじゃないかと思う位だ。特に離宮に戻って来てからは平穏な日常に戻った。アスペラルについて学び、食事をし、そして温かいベッドで眠る。こんな穏やかな毎日のせいか、一層あの一晩が夢の様に思えて仕方ないのだが、夢ではないのだ。
シリルから聞いた話では、未だ国の中心ではごたごたしているらしい。戦争が終わっても撤退や処理があるからだろう。また、あの晩の事を知っている者が殆どおらず、リーンハルトやリカードは連日質問攻めだと聞く。
(平和ね……)
窓辺に置かれた椅子に座りながら、ロゼッタは窓の外を見渡した。室内には彼女ただ一人。彼女がアルセルから帰って来ても外の風景は変わらない。風景の見え方も変わらなかった。
元々彼女の存在は公にされていない。その事もあり、今回の戦争終結の件では彼女の名前は伏せられていた。そのせいかリーンハルト達が英雄視されている様な話も聞く。別に彼女は手柄や名誉が欲しかったわけでもないのでどうでも良い話だが、二人がそのせいで苦労しているかと思うと何とも言えない気持ちになった。
ロゼッタが出来ない後始末を二人が代わってくれているに等しい。
会ってお礼を言いたいものの、アルセルで別れてから二人とはずっと会っていない。二人は王都の王の居城にいる筈だが未だ仕事で帰って来れないのだ。シリルにいつ頃帰って来るのか聞いても、彼は苦笑いを浮かべるだけである。
「……失礼する」
突然部屋の扉が開く音と男性の声が聞こえ、ロゼッタは扉の方を見遣った。
手に盆を持った黒髪の男性がこちらにゆっくりと歩いて来ていた。
「頼まれていたお茶だ。ここに置くぞ」
「……ありがとうローラント」
ロゼッタは目の前のテーブルにティーセットを置いた男性を見上げた。元騎士様にお茶を淹れて貰うなんて贅沢ね、とロゼッタは苦笑する。
彼はローラント=ブランデンブルグ。いや、元アルセルの騎士なので今はただのローラントと言った方が正しいだろう。
今はロゼッタに忠誠を誓った為アスペラルに身を寄せている。
「謹慎の身も大変だな」
置かれたティーカップに慣れない手付きで紅茶を注ぎながら、ローラントは苦笑して見せた。
そう、ロゼッタは今謹慎の身である。謹慎の身とは少し大袈裟な気もするが、勝手に離宮を抜け出して人間の国に行ったのだ。戻った後はグレースにはしっかりと叱られ、しばらくは離宮の中で大人しくする様に厳重に注意されたのだった。
退屈だと思いつつも室内で彼女が大人しくしているのは、そういう理由からである。
「まぁ、しょうがないと思うわ。すっごく心配させちゃったんだもの。ローラントも座ったら? 席空いてるわよ」
彼女の向かいの席が空いているので、彼女はローラントにそこに座る様に促した。いくら忠誠を誓って彼女に尽すと言っても、始終横で起立されていてもロゼッタとしては落ち着かない。どうせなら一緒にお茶を飲んでくれた方がまだ良い。
彼女の申し出に、ローラントは素直に向かいの席に座った。
「……なんか、さっぱりしちゃったわね」
目の前に座った彼を見て、ふとロゼッタは呟いた。
「?」
「ローラントの髪よ、髪。バッサリしちゃったじゃない」
「ああ、髪か。そうだな」
後ろ髪を撫でようとして、ローラントは手を止めた。今は癖の様に撫でようとしたが、もう後ろには短い毛しかないのだ。
アスペラルに来て、ローラントは長かった黒髪をばっさりと切った。リカードに毛先を魔術で焦がされたのもあるが、彼はアルセル公国の騎士団長として顔が知れ渡っている。印象を変える為に髪を短くし、衣服もアスペラル風に変えたのだ。
狙い通り彼の印象はアルセルの時とは随分違っている。
「綺麗だったのに勿体ないわね」
女性のロゼッタから見ても彼の長い艶やかな黒髪は羨ましかった。惜しげも無く彼は切ってしまったが、それはきっと彼が男だからだろう。
「いいんだ、あれは。もう伸ばす気もない」
「そうなの? 好きで伸ばしてたんじゃないの?」
「あれは願掛けだ。もう叶ったから必要は無い」
そう言って笑うローラントの顔はいつになく穏やかだった。アルセル公国に居た時は決して見る事は無かった表情だが、アスペラルに来て徐々に彼の表情が和らいでいくのがロゼッタにも分かった。
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