アスペラル | ナノ
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 リカードにしてみれば、こんな状況でアルセル王を見逃すということは有り得ない話だった。
 褒章や名誉が欲しい訳ではない。ただ、ここで殺さなければまた争いが起きると知っているからだ。
 エセルバート本人も彼女の言葉には驚きを隠せない様子だった。

「ふざけるな……! こいつを見逃すというのか!」

「見逃すんじゃなくて人質よ。王を人質にすれば侵攻してるアルセルの兵は無条件ですぐに引くでしょう」

「殺せば済む話だろうが。王を殺されれば統率力が無くなる。兵は引かざるをえない」

 リカードの言葉は一理ある。王が殺されれば混乱はすぐさま兵士に広がり、統率が出来なくなるだろう。将は自国への退却を余儀なくされ、全軍撤退となりえる。
 それは勿論ロゼッタも考えたこと。王を殺せばどれだけアスペラルにとって有益か、考えなかったわけではないのだ。
 しかし、ロゼッタはアスペラルだけの為に動いていたわけではない。シスターや子供達が暮らす教会がある、このアルセルも助けたいという気持ちがあったからだ。

「じゃあ、アルセル王をここで殺せば本当に兵が全部引くのかしら。王の仇を討とうとアルセルの兵が暴走しないと言える?」

 仇を討ちたいと思わせるだけの価値がアルセル王にあるかという話は、ここでは置いておくとしよう。だが王への忠誠心がある騎士は必ずしも撤退するとは限らない。アスペラルへ一層牙を剥く可能性もある。

「それに兵が撤退したとしても、次のアルセル王が立つだけ。その時だって先代の王の仇を討つという目的で侵攻されかねないわ」

 ふとロゼッタが中庭の入口へ目をやると、入口にはリーンハルトとシリルの姿があった。リーンハルトはシリルに肩を貸して貰って動いている状態。遠目で見ただけでも分かる程怪我もしている様だった。
 二人とも驚いた表情を浮かべ、ロゼッタを見ていた。
 だが彼女は二人に向き直ることはなく言葉を続ける。

「王を殺す覚悟はしていた。けど私はアスペラルも助けたいけど、アルセルも助けたいの。アルセルには大事な家族がいる。アルセルは今は帝国の属国、王が倒れれば国がどうなるか分からないわ」

 二十数年前の戦いで、アルセル公国は隣国リシュアムの属国となっている。今は自治を認められているものの、アルセル王が魔族に殺されたとなれば国の存続がどうなるかは分からない。リシュアムに吸収される可能性もある。
 存続が危ぶまれれば国政も乱れる。一番の被害を被るのは国民、それはロゼッタもよく分かっていた。
 オルト村など辺境の小さな村は生活が裕福ではないのだ。真っ先に被害を受けるだろう。

「アルセル王が人質となれば即刻兵の撤退、それと以後アスペラルの不可侵を約束させることも出来るでしょう。アスペラルにとってはまず悪い条件になるわけがないわ」

「そんな約束、いつ破られるか分からんぞ」

「それはそうでしょうね。関係が対等じゃない分、難しいかもしれない」

 例え国同士で条約を結んだとしても、それは結局紙切れ一枚の約束。破ろうと思えば容易い。ロゼッタとて約束が永劫続くとは思っていなかった。

「でもそれは相手がアルセルでもリシュアムでも誰であっても、同じ事が言えるでしょう。なら、試してみるしかないじゃない…………これが私のやり方よ」

 ロゼッタ自身、この自分なりのやり方が正しいかは分からない。リカード達からして見れば正しくはないだろう。リカードならば真正面から「間違っている」と言いそうだ。
 だが手探りの中で見付けた、これが彼女なりの道。アスペラルとアルセル両国の事を考えた上での決断だった。
 ロゼッタ以外の者はもう誰も言葉を発しなかった。
 何を考えているのか分からないが、入口のリーンハルトやシリルは静かに動向を見守っている。
 リカードは険しい顔付きで彼女を見つめ、ローラントは剣をエセルバートに向けたまま僅かに口元に笑みを浮かべていた。

「例え何度アルセルが約束を破ったとしても、何度だって私が止めるわ」

 自分に言い聞かせる様に、力強くロゼッタは言い放った。
 決心は固い、彼女の声音からはそう読み取れる。

「アルセル王の身柄は確保した、という事はもうこれで今回のアスペラルとアルセルの戦いは終わりよ……!」

 何者にも反論の余地は与えない物言いで、アスペラル王女は鮮烈に宣言した。
 何時間も経っていたのだろう、既に外では日が昇ろうとしていた。

 とある晩、アスペラルとアルセルの戦いは思わぬ形で幕を閉じたのであった。










 後、このアスペラルとアルセル公国との何度目かも分からない戦いをアスペラルのイルカッタ領にちなみイルカッタ戦役と呼ぶ。
 アルセル王の捕縛により、勝敗はアスペラルに軍配が上がった。
 アルセル軍は降伏し撤退。予想よりも早い終結に、被害は他の争いよりも少なかったと言われる。
 イルカッタ戦役後、不可侵の条約が締結。これが破られるのは十数年後の話だが、それはまた別のお話。

 尚、数百年後までイルカッタ戦役の話はアスペラル史において名を残す事となる。
 ロゼッタ=エリシャ=シェルム=アスペラルが歴史の表舞台に初めて登場した事が所以である。



end
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