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カリカリと万年筆が紙の上を走る無機質な音が部屋に響いていた。たまに止まる万年筆の先――たった今まで書いていた文面を読み、シリルは少しだけ眉を寄せた。眼鏡の奥では藍色の瞳が少しだけ迷いの色を見せていた。
そして何かを考えた後また万年筆を走らせ、文を認(したた)める。
早朝のせいか、離宮内は妙に静かだった。今頃使用人達はこの離宮に住む身分の上の者のために、食事の準備をしたり、掃除をしたりしているのだろう。
本来ならシリルの身分など使用人と大差ないものだが、今は魔王の隠し子であり王位継承候補者――ロゼッタの家庭教師の一人。勅命の為に普段なら考えられないが、離宮に一部屋与えられていた。
「……姫は火と氷の魔術が使用可能。現在精霊との正式な契約は一切無し。追って調査は続行」
シリルは人間の国アルセル公国からロゼッタを連れてからの経緯などを、詳細に書き記していた。その道中で起こった事柄や疑問点なども。それが彼の義務であった。
「尚、本人の王位継承の意思は皆無」
全て包み隠さずに書かなければならない。堅苦しい言葉で、今のロゼッタは王位継承に興味無い事を記した。
そして、手紙の最後には自分の名前を署名する。
「さて」
シリルは万年筆を置いて席を立つと、先程まで文字を書いていた手紙を持って窓辺へと向かった。
窓辺には鳩が一匹座っていた。まるでシリルが手紙を書き終わるのを待っていたかの様に、大人しくシリルを見ている。
「お願いしますね」
シリルはそう呟くと、持っていた手紙を鳩の脚に括り付けた。飛んでいる最中落とさぬ様にしっかりと結び付ける必要がある。だが、紙なのであまり力を込め過ぎても破けてしまう。案外調節が難しいとシリルは思った。
手紙を脚に括り付けられた鳩は、シリルを一瞥すると大空に向かって羽を広げた。バサバサと羽音を立てて飛び立っていく。
小さくなっていく鳩を見届け、一つの仕事をやり切ったシリルは窓を閉めた。
「今日はよく晴れそうですね」
薄いカーテンを引きつつ雲一つない空を見上げて、シリルは僅かに目を細めた。
アスペラルは寒暖の激しい国ではない為、暖かい晴れてる日の方が多い。だが、晴れてるだけで心も穏やかになる気がしてシリルは嬉しかった。
「今日は……ロゼッタ様は午前が軍師の講義で、午後が予定無しでしたね」
壁に掛けられた暦を見て、今日のロゼッタを予定を思い出す。
ロゼッタの側近のアルブレヒトでは少々頼りないので、シリルがロゼッタの生活面の管理も多少担っていた。特に予定などの管理はほとんどシリルの仕事に。
細かい仕事の方が得意なシリルにとっては苦ではなかった。今では朝に一度ロゼッタの予定を確認するのが日課になっている。
「そういえば……」
とある事を思い出し、暦をもう一回シリルは凝視した。顔を近付け、数字を指でなぞりながら多分全員が忘れているだろうという事を今一度思い出す。
(そうだ、こういう時は軍師の所へ相談へ行きますか)
リーンハルトならば良い意見をくれるだろう、とシリルは早速自室の扉を開けた。
きっと軍師のリーンハルトはこの時間帯は寝ている。もう少し経たないと彼は起きない人だ。昨日だって帰ってきたのは日付けが変わった数時間後なのだから。だが、その事は勿論知っているシリル。しかし、リーンハルトを叩き起こしてでも訪ねる理由があった。
それに何だかんだ言って、リーンハルトは怒って追い返したりする人ではない事をシリルは知っているのだ。
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