享と付き合い始めたきっかけを、私は今でも鮮明に覚えている。

それは、中学二年のことだった。
サッカーの有名な葉蔭中学に入学したというのに、享が未だに地元のFCにいるのは知っていた。
その理由が、怖いと思ってしまったからだということも。
中一はクラスが違うこともあって彼と過ごす時間は殆どなかったが、たまに一緒に登下校をしてもサッカーの話になることは滅多になかった。
だけど中学二年で同じクラスになり、以前のように享の部屋で課題に取り組むことが増えたある時、私はついに聞くことにした。

「なんでサッカー部に入らないの…?」

対面の席に座っていた享はハッとした顔で私を見た。
だけど視線はすぐに逸らされる。

「……オレのレベルじゃ、あの部活ではやっていけないさ」

享の気持ちなどわかっていたことだった。
だけど本人の口からその言葉を聞いた瞬間、私は深く絶望すると共に強い怒りが込み上げてくるのを感じた。

「ふざけないで…!」

考えるよりも先に私は立ち上がり享を見下ろし、見上げてきた彼の頬を思いきり叩いた。
先程よりもずっと驚いた顔で享は一瞬動きを止め、そしてゆっくりと再び視線が重なる。
彼の口が開くよりも先に、私は言葉を続けた。

「何がレベルよ!結局享は怖いだけなんでしょ!?」

回りに劣ってしまうかもしれない自分が。回りとの能力差を感じてしまうかもしれない自分が。享は怖くてたまらないのだ。

「いつまで逃げてるの!?サッカーしてる享をずっと見てきたんだから、享がどれだけ上手くなったかも、今はもうFCにいるべきプレイヤーじゃないってことも知ってる!何でやる前から諦めてるの!?それにレベルが足りてないと思うなら、今まで以上の努力でカバーする気概くらい見せてみなさいよ!」

涙がにじみ、今享がどんな顔をしてるか見えないけれど、それでいい。
見たくなかった。今見てしまったら、言葉を続けられないと思うから。
もうどうとでもなれ!そう思いずっと言えなかった言葉を叫ぶ。自分勝手な、この想いを――

「ずっと享が好きだった!だから、私が好きになった男はこの程度だったなんて思わせないで!」

叫び終わると同時に、私は机の上の課題と鞄を掴み足早に彼の部屋を出た。
階段を駆け降りて玄関を抜ける。その途中で享のお母さんが声をかけてくれた気がしたけど、それに反応する余裕なんてなかった。



それから二週間が経ち、私と享は全く話すことがなくなった。私自身冷静に話せる自信がなかった。
教室で見る彼はいつも通り――いや、むしろ晴れ晴れとした顔をしているように見える。
あのことを気にしてるのは私だけなのかと思ったら悲しくて、辛くて。
友達に遊びに誘われたけれどもそんな気分にも慣れず、授業を終えて早々と家に帰った。
部屋で課題をやろうと思っても、全く集中できない。
ため息を一つ吐くと、ふいにコンコンというノックが響いた。お母さんだろうと思い、どうぞと声をかけるとドアが開く。
勉強机の回転椅子をそちらに向けると、目に映った姿は予想すらしていないものだった。

「と、享…!?」」

「いきなりすまない」

享がうちに来たのは久しぶりだとかそんなことはどうでもいい。そんなことよりもこの戸惑いをどうにかして欲しい。

「どうしたの…?」

「話したいことがあって」

享は私の前までやってくると、真っ直ぐと私の目を見つめた。
そういえばこんな目をした彼を見るのはいつ以来だろう。
この目をした享に何を言われるのかわからなくて怖くて、手が震えるのを感じて咄嗟に体の後ろに隠した。

「横浜ジュニアのセレクションを受けてきた」

「へ?」

とても間抜けな声が出た。
思考が全く追いついていない私に彼は更に続ける。

「前から気になってたんだ。ジュニアにはプロを見据えた選手たちが沢山いる。沙紀に言われてからいろいろ考えて、受けてみようと思えた」

「け、結果は…?」

漸く少し脳が機能してきて、今一番気になっていることを聞いた。
沈黙は一瞬だったような気もするし、すごく長かったような気もする。

「受かったよ」

「本当!?おめでとう!!」

感極まって思わず椅子から立ち上がり享の両手を握った。
握った手はよく繋いで歩いていた頃とは違い、私のものよりずっとずっと大きくて、男女の体格差を改めて実感した。

「あ…ごめ…っ…」

はたと我に返り離そうとしたけれど、今度は逆に享に手を握られる。

「沙紀のお陰だ。ありがとう」

笑顔だった。本当にいい顔だった。
私の好きな享の心からの笑顔だ。

「好きだよ、沙紀」

「へ…?……えっ!?」

唐突すぎる台詞に一瞬何を言われたか分からなかったが、すぐにそれがこの前ぶちまけた告白の返事だと気づいた。

「オレの今までの人生には殆ど沙紀が隣にいて、これからもずっとそうあって欲しいと思ってる。それに、あそこまでの感情をぶつけてくれる人を、オレが手放せるわけないだろ?」

「本当、に?」

「こんなこと嘘じゃ言えないよ。こんなオレだけど、側にいてくれないか?」

人間嬉しくても涙が流れるのは本当なのだと知った。
声が出せない代わりに大きく頷くと、嬉しそうな、だけど少し恥ずかしそうな笑い声が聞こえてきた。

「抱きしめてもいいか?」

断る理由なんてないのだけど、享は答える隙すら与えてくれなかった。

「というか、そうさせてくれ」

元々サッカー以外のことではあまり自分を優先しない人だけど、私の前では昔からたまにこういう少し自分勝手なところを見せてくれてたなと頭の片隅で思い出す。
これからも、この姿は私だけが独り占め。
少しぎこちない動作で包み込まれた腕の中で、私は幸せに満ち溢れていた。





「どうかしたか、沙紀」

「ううん、ちょっと昔を思い出してただけ」

薬指にはまった指輪を眺めながら、どうやら自分の世界に入ってしまっていたようだ。
隣にいる彼の肩に頭を預けると優しく髪を撫でられた。
その手が気持ち良くて、もう少しだけ擦りよる。
あの日から四年以上の時間が経った。
享はプロとしての人生を歩むことが決まり、私も進学が決まっている。
最近は、実家に戻ってきた享と束の間の休息をのんびりと過ごす日が増えた。
私の指に輝く指輪は、進路が別れて今まで以上に一緒にいられなくなるだろうからとデートの折りに彼が買ってくれたものだ。

「享あったかい」

「もしかして部屋寒いか?暖房強めるよ」

「いいの。享にくっつけるし」

鈍いよと呟けば、慣れた手つきで更に抱き寄せられた。

「そんな理由がなくても、沙紀なら触れてくれてかまわないよ」

女心がわかってないとからかうつもりだったのに、甘い声で反撃を受けた。
負けたなぁと悔しく思いつつもこの温もりが心地よくて、私はそっと目を閉じた。





ただの幼馴染はもういない






テーマ:『家』、『仲直り』、『告白』
出典:DROOM








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