「オサムちゃん…?」

コンビニに行く途中、軒下で雨宿りをしている懐かしい顔を見かけ、気付いたら声をかけていた。
彼は私の姿を認めると顎に手を当てながら首を捻った。

「香川です。中学の時にお世話になった香川春香です」

名前を告げれば、ぽんっと手を叩いて満面の笑みが向けられた。

「おぉ、香川か!べっぴんさんになっとるから分からんかった」

昔と変わらない笑顔を向けてくれた彼は、私が中学三年の時にお世話になった先生であり、私の初恋の人だ。



中学三年時、私は進路に悩んでいた。
やりたいことも、いきたい学校もない。成績は悪くはなかったから大体の学校を選べてしまったのも嬉しい悩みでもあった。
そんな時たまたま相談した教師がオサムちゃんだったのだ。

「渡邊先生はどないな理由で先生になったんです?」

当時オサムちゃんは新任教師で、私と接点は全くなかった。
ただ教師の中では一番年齢が自分に近いという理由だけで、丁度廊下を歩いていた彼に声をかけた。

「なんや、進路の悩みか?」

突然声をかけたというのに不信がられることもなくむしろ私の悩みを見抜いたことに驚きつつも正直に頷いた。

「別に将来何したいかを今決める必要はないやろ。行きたい学校があればそこに行ければ儲けもん。それもないなら今行けるベストを選んでおけばええってオサムちゃんは思うで」

そもそもオサムちゃんがこの職決めたんも大学入ってからやしなぁ、と朗らかに告げられた言葉に、どれだけ背中を押されたことだろうか。
その後親や担任とも話し合い、結局第一志望を自分の成績で足りる範囲で最も偏差値の高い府内の高校へと決めた。
このことがあってから私は時々彼と話をするようにり、呼び方はいつの間にか渡邊先生からオサムちゃんへと変わっていた。
オサムちゃんは新任とはとても思えないほど自由な人で、放課後に彼と話す時などは大抵応接室や進路指導室を貸切り、お茶を飲みながらのんびりと気兼ねなく話すことができた。
そんなオサムちゃんに恋心を抱いたのは当然の流れだったと思う。
だけど卒業式を迎えても私にはこの想いを告げる勇気もなく、次第にこの気持ちは風化していった。



あれから四年。
まさかこんな再会をするとは思ってもいなかった。
話を聞いてみると、学校へ向かう途中に雨に降られたのだという。どうするかと考えていたところで私に声をかけられたとのことだった。

「入っていきますか?」

傘を見せれば、助かるわおおきにとオサムちゃんは私の横へと収まり、そしてそのまま自然に私の手から傘を抜き取った。

「ほな、行こか」

肩、腕、手――時々触れ合い、微かに感じる体温にドキリとした。
今この状態を傍から見たら恋人同士に見えたりするのだろうか…?そんなことを考えている自分に恥ずかしさが込み上げる。

「香川はもしかして東京の学校にでも行ったん?」

「何で知ってるんですか!?」

「東京訛りになっとる」

東京の大学に進学し、一人暮らしを始めて早数か月。
考えてみると親しくなった友人も、アルバイト先の人たちも、東京や神奈川など関東近郊出身の人ばかりだ。
もしかしたら気付かないうちにそちらに馴染んでいたのかもしれない。

「帰省したの昨日やし、まだ東京と大阪の差に対応しきれてないんかもしれへん」

意識して口調を戻すと、なんだか違和感を覚えた。
いつの間にか昔の自分と随分違う人間になってしまったように感じる。

「えぇんちゃう、無理せんでも。そのうち自然に戻るやろ」

学校まであと少し。
時々触れ合う腕が、熱い。

「まだ時間あるんやったら茶くらい飲んで行かへんか?」

昇降口の前で告げられた提案に頷いたのは、ここで別れるのはおしいと思ってしまったからだ。
通されたのは懐かしの応接室。ふかふかのソファーに座り少し待っていると、給湯室からお茶を持ってオサムちゃんが現れた。
テーブルに湯呑を置きドアへと戻ると、プレートを空室から使用中へと交換して鍵がかけられた。

「久しぶりやな、こういうの」

「ほんま、懐かしいです」

会話のネタには事欠かなかった。高校生活、東京での新生活、友達とのこと、部活のこと、他にも沢山。否応なしに月日の流れを思い知らされた。
オサムちゃんも同じように色々と話してくれた。どうやら今年の男子テニス部は全国準決勝まで行ったらしい。

「…そういや、男はできたんか、ん?」

ニヤリとした表情が早く答えろと促すかのようにこちらに向けられていた。
まさか初恋の人にこんなことを聞かれるとは思ってもいなかった。

「ま、まぁ、高校時代には……」

初めてのお付き合いは高校一年生の時。同じ部活の飄々とした、だけどいざという時は誰よりも頼りになる先輩だった。しかしそれは先輩の卒業によって別れを告げられた。
二人目の人は高校二年の終わり、友達の彼氏の友人の大学生。胡散臭そうな笑顔に最初は警戒心を抱いたが付き合いが長くなるにつれてそれもなくなり、明確な言葉もないまま付き合いが始まった。けれども結局私の受験で会うことも減り、始まり同様明確な言葉もなく終わりを迎えた。

「――そんな感じですよ。最近は生活に精一杯でそれどころじゃないです」

「香川は年上好きやなんやなぁ」

オサムちゃんは突然向かいの席から立ち上がると、私の隣へと腰かけた。

「…ほな、次はオサムちゃんと恋愛してみんか?」

冗談だろう、そう思っているのに顔を覗き込まれて心臓が高鳴った。

「言うとった元彼、オサムちゃんにちょっと似てると思わへん?」

言われてハッとした。
嘘だと思いたかった。でも一度考え出してしまうと今まで付き合った二人ともどことなくオサムちゃんに似た部分を持っていることに気付いてしまう。
まさか私はずっとオサムちゃんの欠片を違う男性から拾い集めようとしていたということなのか。

「まだオサムちゃんのこと完全に吹っ切ってくれた訳ではなさそうやね」

「え、ちょ、オサムちゃん…!?」

オサムちゃんは背もたれと肘置きに手をつくとその中に私を囲いこんだ。
逃げ場はない。追いつかない思考と、早鐘のごとく脈打つ鼓動。どうしていいかわからない。

「オサムちゃんもな、香川への気持ち忘れておらへんで」

「どういう…」

「好きやで。昔も、今も」

甘い声での囁きと共に頤を固定させられる。

「オサムちゃんも大人やからな。生徒に手を出す訳にはいかんかった。それにお前にはこれからまだまだ沢山の出会いがある。逃がしてやるつもりやった」

せやけど、と普段の飄々とした姿からは想像もできないほど真っ直ぐな瞳が私を射抜くように見つめていた。
大人の男だった。それはまぎれもなく教師の眼ではなく、一人の大人の男の眼をしていた。

「ここで再会してもうたら、もう逃がせへんわ」

本当は再会した瞬間から香川やとわかっとったんやでと告げられた瞬間、私は無意識にオサムちゃんの服の裾を掴んでいた。

「狡い……オサムちゃんのアホ……」

「アホでええよ。香川が手に入るなら」

なんで好きって気付かせるの――言葉を発する前に唇が塞がれる。
今までしたどんなキスよりも情熱的で激しくて、震える腕でどうにか彼の胸元を掴んだ。
東京と大阪。元生徒と教師。一筋縄ではいかないことは分かっている。
だけど、この熱をもう手放すことはできないと悟ってしまった。もっともっと与えてほしいと思ってしまった。
Tシャツの裾から忍び込んだ熱を持った手を、私は拒むことなく受け入れた。





逃れられない熱







出典:DROOM
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