「エストーー!!」
授業が終わり廊下を出たところで、僕の名を呼ぶ慣れ親しんだ声。 振り返れば、案の定笑顔で駆け寄ってくる恋人の姿があった。
「エスト!今授業終わったところ?一緒に帰りましょう!」
「えぇ、いいですよ」
こんな素っ気ない返事でも、ルルは嬉しそうに笑う。 自分のこんな一言でも喜んでくれるのは、きっと彼女だけだろう。
「あ、そうだ!お母さんがクッキー送ってくれたんだけど、エストも食べる?」
鞄の中をゴソゴソと漁り、ルルは綺麗に箱に詰められたクッキーを僕に差し出した。 母親からのクッキーなんて、僕には無縁の話だな、なんて頭の隅で考える。 僕の両親など、所詮僕を物としか考えていないのだから。
「エスト……?」
そんな僕の様子にルルは目ざとい。 しまった、と思った。 彼女にごまかしがきかないことを僕は知っている。
「…いえ、ただ、母親からのクッキーなんて、僕には無縁だと思っただけです」
とっさに遠回しの言い方ができなかったことに、内心悪態をつく。 こんな楽しくもない話、聞かせたくなんかないのに。 しかしルルは一度瞬きをすると、にっこりと笑った。
「エストは私の大事な人だもの!きっと将来、私のお母さんはエストのお母さんにもなるのでしょう?だから、私のお母さんからのクッキーはエストのお母さんからのクッキーよ!」
ぽかん、という擬音語はこういう時に使うのかと思った。 それと同時に顔が赤くなるのを感じて、彼女から顔を背ける。
「あ…、あなたって人は……」
本当に敵わない。 気付いていないのだろうか、それではまるでプロポーズだ。 それに…、とルルは何食わぬ顔でさらに言葉を続ける。
「いつか私が毎日エストにいろんなものを作ってあげる!お母さんのクッキーみたいに愛情を込めるんだから!!今は上手に作れないけど……、いつか!!……きゃっ!?」
限界だった。 僕はルルの腕を引き、腕の中に抱き寄せる。 彼女のたった一言で、僕は無かったはずの未来を見つける。 何の希望もなかった未来に、夢を見る。 本当にあなたはどれだけ僕の心を埋め尽くしていくのだろう。 どれだけ僕に新しい感情をくれるのだろう。
「エ、エスト……」
ルルが僕の胸に手を置き、少し空間を空けてうっすらと朱に染まった顔で僕を見た。 こんなこと、さっきのプロポーズ紛いのことに比べたら恥ずかしくもないだろうに。変な所で羞恥心の働く人だ。 そんなところも愛しいなんて、口に出すことはできないけれど。
「エスト、お母さんからのクッキー、食べましょう?」
そう言って再び差し出されたクッキー。 僕はそっと一枚取り、口に入れる。 サクッと音がして、甘い味が口に広がる。 苦手なはずの甘い味。だけれど嫌な気にはならず、何故だか心が温かくなった気がした。
愛情
「パパーー!」
一直線に駆けてきて飛びついた小さな影。
「どうしたんです、そんなに急いで。また誰かさんに似てきたんじゃないですか?」
そう言ってその子供を抱きとめたのは、その子と同じ目の色をした青年だ。
「ママがね、クッキーつくって、パパがきたらおちゃにしようって!だからよびにきたの!!」
「そうでしたか。では、行きましょうか」
青年が子供を抱き上げると、その子は嬉しそうに青年に抱き着いた。
「ママのクッキーすき!」
「……そうですね、愛情が入っていますから」
そう言って青年は子供のふわふわとした髪を撫でる。 その顔は、優しく微笑んでいた。
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