同じ月が見られるまで/tkrb 和泉守兼定 1/1


 皆が眠りに落ち、辺りが静寂に包まれている中、縁側にどかりと腰掛け夜空を仰ぐ。円い月をぼうっと見つめながら、昼間の国広とのやり取りを思い出す。

「歴史は歴史、か……」

 自分の言葉を言い聞かせるようにもう一度口にする。
 歴史は歴史。すでに決められた運命を覆していい道理はない。前の主の選んだ人生を冒涜するような行為をしていい理由もない。重々理解していた。だが、あの場に……函館にいては、それを言い聞かせなければ感情に負けてしまいかねなかった。目前にある、前の主の死を回避出来るかもしれないという可能性から来る衝動的感情に。
 段々と視界に映る蒼白く光る月が滲んでぼやけていく。

「……何考えてんだ、らしくもない」

 舌打ちをしながら頭を振って項垂れる。歴史は歴史だと、頭の中で反芻する。何度も、何度も、切り刻むように。

「あれ? 兼さん?」
「……! あんたか……」

 もう誰も起きていないだろうと油断していたせいか、やけに体が跳ねた。
 オレのことを「兼さん」と呼ぶのは二人しかいない。見るまでもなかったが、声の方を見ると月明かりに浮かぶ主がいた。
 俺が主の元へ来るより先に国広がいた影響か、出会った時、主までオレのことを「兼さん」と呼ぶようになってしまっていた。特に嫌ということもないので放っておいているが。

「ごめん、驚かせちゃったかな」

 主は気遣わしげな様子でオレの隣に控えめに正座した。

「いや、別に謝ることじゃねぇさ。で、あんたも眠れねぇのか?」
「うん。……兼さんは泣いていたの……?」
「はぁ!? な、泣いてねぇよ!」

 少し滲んだだけだと思いながら、なるべく目を合わせないようにしていたというのに。主から顔を背け、服の袖で乱暴に目元を拭う。

「国広くんから聞いたよ、昼間の……函館でのこと」
「あの……馬鹿……!」
「あっ、私が無理に聞き出しただけで国広くんは何も悪くないから! ……だから、その、ごめん……」

 主は困ったような頼りない笑みを浮かべ謝ると、どこか悲しげな顔で目を伏せた。それを見てぐしゃぐしゃと頭を掻く。だからこいつに聞かせるような話じゃなかったってのに。

「国広から何をどこまで聞いたかは知らねぇが、あんたは気にすんな」

 本当に、主が気にするようなことなど何もない。それだけを素気無く伝えるが彼女の表情は未だ曇ったまま。

「ごめん……」
「だから、謝んなって。あんたが気にするようなことは」
「兼さんが……他の刀剣たちの中にも、前の主のこと思っている人がいるのは知ってる」

 主はオレの言葉を遮り、ぽつぽつと語り始める。その表情があまりにも苦悶に満ちていて、「気にするな」とは軽々しく言える空気ではなかった。

「知って、いるけど……でも……。それでも私は、あなたたちに命令しなければならない」
「……もういい」
「『敵を斬り殺し、自身の心を押し殺し、前の主を見殺せ』と」
「もういいって言ってるんだ!」

 気が付けば慟哭のような叫び声で主の言葉を制止していた。視界が歪み、目に映る全てのものの輪郭が消える。

「もう……いいんだ……」

 振り絞るように呟くと、瞳から雫が溢れ頬を伝っていった。その瞬間、顔が温かな何かに包み込まれる。それは主がオレの頭を抱きかかえるようにして抱きしめているからなのだと気付いたのは数拍置いてからだった。

「ごめんなさい、本当に……。こんな、人間が……主で……」

 オレの目から零れ落ちる水滴が、主の服に小さな染みを作っていく。一粒、二粒、頬を伝っては、ただ静かに。
 主の顔を見上げる。滲んだ瞳では彼女の表情が判然としない。けれどきっと、今にも泣きそうな顔をしているのだろう。そう思った時に、オレの頬に雫が落ちてくる。あぁやっぱりと、だからこいつにだけは聞かせたくなかったんだと、少しだけ国広を恨みながら頭に回されている主の手を解いた。

「あんたは何も悪くないのに、何であんたが謝るんだよ」

 そして、彼女の手を引き寄せ、主がオレにしたように彼女を抱きしめそっと頭を撫でる。

「だって私は……!」
「あんたは何も悪くねぇよ、ただ正しいことをしてるだけだろ。“審神者”なんだ、誰よりも正しくないとなんねぇ」
「正しく、なんて……」

 主は小さく首を振って否定した。
 正しさとは一体何か。それを見失いながらも、迷い模索する彼女は、やはり正しいと思う。安堵するように小さく息を吐いた。

「でも、それでもしんどいってんなら……今のうちに泣いて、全部吐き出しちまえ」

 宥めるようにぽんぽんと軽く頭を叩くと彼女はオレの胸に顔を埋め、静かに嗚咽を漏らし始めた。
 自身の心を殺しているのは、オレたち刀剣だけじゃない。使命と感情の間で押し潰されそうになっているのは、オレだけじゃない。刀剣たちの主であり、それらを束ねる審神者である彼女もまた、自身の心を殺し、オレたち刀剣に命を下している。

「オレは……あんたが主で本当に良かったよ」

 刀剣の痛みが分かる主で、自身に返ってくる痛みに涙を流せる主で。だからこそ、オレたち戦える。
 体を震わせ、耐え忍ぶように泣く彼女を抱きながらふと夜空を仰ぐと、滲み、歪んでいた視界が明瞭になっていることに気付く。濃紺に浮かぶ月が鮮明に瞳に映る。
 抱きしめる手に少しだけ力を込めた。主の涙が枯れる頃に、同じ月が見られるようにと。だからその時まで、オレはただ彼女の傍にいよう。

(2015/6/16) (投稿:2015/3/3)


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