刀剣を彩る者/tkrb 日本号(+長谷部) 1/1


 秋の夜長、月の光は淡く紅葉を照らし出し、葉を象った影が風に舞い落ちる。鈴虫の鳴き声も徐々に弱くなり始め、夜にも徐々に静寂が戻りつつある中、縁側で一人、月を肴に杯を傾ける。気が付けば俺がこの本丸に来てから一週間が過ぎようとしていた。

「“もう”か、それとも“まだ”か……」

 空になった杯に酒を注ぎ、杯の小さな水面に浮かんだ月をぼうっと見つめながら呟く。
 どちらにしても、この一週間、ここで過ごして分かったこと、見えてきたことが確かにあった。それら一つひとつを確認でもするように考えながら杯に口を付けようとした瞬間、人の気配を感じ取り、そちらに目を向ける。すると俺に気付いたその人は、口元に笑みを浮かべこちらへ歩み寄った。

「酒の匂いにでも誘われたか? 主さんよ」
「そうそう、芳醇な香りにつられて来たの。お隣よろしいですか、日本号さん?」

 主は悪戯っぽく笑うと、座って飲んでいる俺の顔を覗きこむように首を傾げて尋ねてくる。

「いいぜ。酒に釣られて来たんじゃ、飲ませねえと帰りそうにもねえだろうしな。杯は一つしかないが、ほらよ」

 冗談めかして笑い、先ほど酒を注いだ杯を主に差し出せば、彼女は「話が早くて助かる」と満面の笑みでそれを口にした。

「はあー久しぶりに飲むお酒は格別だなぁ」

 酒を飲み干すと、頬に手を添えどこかうっとりとした笑みで感嘆の息を漏らす主。そのなかなかに良い飲みっぷりに思わず噴き出してしまう。

「飲みたかったなら我慢なんぞせずに飲めばいいのによ」
「一応これでも刀剣男士を束ねる審神者ですから。みんなに主と呼ばれているのだから、飲んで醜態を晒す……なんてことになったらさすがに格好がつかないし、みんなに申し訳が立たないでしょう?」
「で、飲んでいいのか?」
「用法、用量を守って正しく飲めば良い薬です」

 主は満面の笑みでそう答えた。が、片手に持っている杯が審神者としての言葉の説得力を根こそぎ削ぎ落としている。……まあ、他人のことをとやかく言えないのだが。

「ここの生活にも少しは慣れた?」
「ああ、少しはな」
「そう、ならよかった」

 気遣わしげに俺を見つめる瞳が穏やかな喜色に染まる。が。

「岩融は長押もろとも鴨居を突き破って襖を閉められなくなったり、愛染は畑に出た猪を喧嘩と称して狩ろうとしていたのにいつの間にか猪の背中に乗って猪乗り回してたり、鯰尾は馬当番を任せたら『嫌いなやつはいませんか?』って馬糞両手に目をきらめかせながら訊きにやってきたり……まあ色々話題には事欠かない所だけど」

 先ほどとは違う、何とも悟りきった穏やかな……むしろ穏やか過ぎて哀愁すら感じる表情で遠くを見つめている主。だが、思い返すようにゆっくりと目を閉じ、再び目を開けると、心底幸せそうな、そんな笑顔を咲かせた。

「でもそれが、そんな日々が楽しいんだ、本当に。みんなも良い子達だから……だから、出来れば仲良くしてね」

 主の言葉にあった、ほんの少しの間。彼女が何を言いたいのか、大体検討はつく。

「他の連中とはそれなりに仲良くはできそうだが……どっかの誰かさんのことなら、それは“あいつ”次第としか言えねえな」

 きっと主は俺と“へし切長谷部”の折り合いの悪さを言っているのだろう。互いに仲良くしたいわけでもない以上、現状より良くなるようなことは無いに等しい。……主には悪いが。

「それより、あいつは主や他の連中とはどうなんだ?」
「そうだな……みんなとは仲が悪いわけじゃないけど、どこか一線を引いているように見える、かな。私も長谷部を頼りにしてて、彼もそれに応えてくれる。けど……」

 考えあぐねるように黙っている主に問うと、困ったような顔で笑い、視線を手元の杯に落とした。そして、杯の縁を指でなぞりながらぽつりぽつりと語り始める。だが、言葉が切れると、目は伏せられ、笑顔に悲しみの色が滲み出す。

「でも、どこか……自分を追い込むように無理をするところがあって、そのことに長谷部自身が気付いていないみたいで……無理はしないで欲しいけど、どうすれば、どう伝えれば、彼に届くのか分からないんだ」

 まるで答えを探すように一つひとつを言葉にして語り終えた主は俯き、表情は窺い知れない。手にある杯に視線を向けても、映るのは丸い月だけ。
 心の中で深い溜め息を吐き、呆れと苛立ちが入り混じった言い知れぬ怒りが胸中で渦を巻き始める。その怒りの矛先は主であるはずもなく、今も見え隠れしているとある打刀に向けられている。本当に、どうしようもない。だが、どうにか出来るのはそのどうしようもないやつ、ただ一人だけ。……俺では彼女の抱える不安を取り除くことは出来ない。だから余計に苛立つ。あいつにも、俺自身にも。

「なーんて、主として情けないね。もっとしっかりしないと!」

 半端な慰めなど何の意味も成さないと、どうすべきか思案している間に主は勢いよく顔を上げ、満面に笑みを浮かべると誤魔化すように杯を一気に呷った。気丈ともいえるそれは、あからさまな空元気だった。
 そもそもへし切長谷部の話を振った俺に非があるというのに、しくじった。これではあまり人のことばかり責められない。自身の不甲斐なさに溜め息が漏れそうになるが、主に気を遣わせることになるのは明白なので漏れ出す前に飲み込む。
 それから主は杯を離さず、本丸で起きた刀剣たちとの日常を話し始めた。酔った勢いで語られる本当に他愛のない、些細な日常の話。けれどそれは、「日々が楽しい」と語った時と同じ、幸福に満ちた表情で紡がれていく。話の中には、へし切長谷部とのことも含まれているものもあった。それでも先ほどの空元気とは全く違う、心からの笑みを浮かべていた。
 それだけでよく分かる。彼女がどれほど刀剣を、共に過ごす日常を想っているかが。

 俺はただ丸い月をぼうっと見上げながら、主の話に耳を傾ける。

「日本号、人の話聞いてる?」
「おう、聞いてる聞いてる」
「本当にー? お酒ばっかり飲んでるから主の話なんて右から左なんでしょー? 」

 訝しむような目を俺に向けながらも、どこか愉快そうに主は笑う。
 主のろれつは限りなく怪しく、語尾は間延びし、頬をほんのりと上気しており、且つ妙に絡んでくるようになるほど出来上がっていた。そこまで飲ませた覚えはなかったが、さすがに止めるべきだったかと今更過ぎることを思う。

「主さんよー、飲むのはもうそこら辺にしとけって」
「うー……もう少し……まだちょっとだけ日本号と飲みたい……」

 そう言うと後ろに倒れこみ、うわ言のように「もう少し」「ちょっとだけ」と繰り返す主。次第にその声も小さくなり、代わりに規則正しい寝息が耳に届く。

「だからあれほど『うわばみと飲む時は空気に飲まれるな』って言っておいたんだがな」

 とは言っても、飲まれる空気にしたのは俺なんだろうが。
 振り返り主の顔に目をやると、それはそれはこの上なく幸せそうな表情で微睡みに落ちていた。
 時折していた忠告もご覧の通りあっさりと無駄になり、短い溜め息を吐く。どうしたもんかと頭を掻いた。

「このまんまにしておく……わけにもいかねえか」

 残っていた酒を飲み干し杯を置く。起きる気配のない主の膝の下に手を入れ抱え上げると、大して力を入れる間もないまま、彼女の体は持ち上がった。彼女も彼女で身じろぎ一つすることなく寝息を立てている。とりあえずと主の寝室に向かおう一歩踏み出そうとした瞬間、背後から首筋に冷たい感触が向けられる。

「主に気安く触れるな」

 声だけで分かる。声からしてもう辛気臭い。全く以て面倒な刀。

「ったく、主に触れるにもいちいちお前にお伺いを立てねーといけねえってか?」

 主を抱えたまま、視線を後方に移すと、へし切長谷部が刀の切先を俺の首筋に突きつけ、睨め付けているのが目に入る。

「下らん戯言はいい。主を置いて早急に立ち去れ」
「よく言うぜ、ずっとこっちのことを監視でもするみてーに出歯亀してたくせによ。気付いていないとでも思ったのか?」

 主が俺と飲み始めた頃から、既にこいつはいた。当の主は気付きもしていない様子だったもんで、俺も気にしないように努めていた。だが見えていなくても確かにいるというのは妙に気が散るわ、それだけで興を削ぐわ、余計にこいつに苛立つわで碌なもんじゃない。

「貴様……! 下卑た言い方をするな。俺はただ主のそばで主をお守りしたいだけだ」
「へーへー。近侍を外されたってのに、とんだ忠犬だこったな」

 振り返り、鬱憤を晴らすようにわざと煽るような口調で返す。実際俺が来てから近侍は俺に変わった。きっと俺がどういう刀剣なのかを確かめるための主の判断だったのだろうが……事実は事実だ。するとへし切長谷部の眼光は一層鋭くなり、刀は月の光を妖しく反射し、名の通り俺を圧し切る機を窺っているようだった。

「俺に挑もうってんなら相手してやってもいいが、主を抱えたままだってこと、忘れんなよ」
「だから言っている、主を置いて立ち去れと」
「主の眠りをそんなに妨げてえのかお前は。いいから先に主の寝室に行って布団敷いてこい。相手して欲しいならその後でしてやるよ」

 そう言うと苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながら突きつけていた刀を鞘に収め、そして足早にその場を後にした。本当に面倒な野郎だと溜め息を吐きながら、主を起こさないようにゆっくりとした歩調で寝室へと向かった。

***

 主の寝室前に着くと、へし切長谷部の相変わらずの表情と瞳が出迎える。意に介さず寝室に足を踏み入れると、布団がきっちり、しわ一つない状態で敷かれていた。変なところで無闇に完璧に仕上げてくる辺りが妙に鼻につく。……すぐにどうでもいいこととして頭を切り替え、主を布団の上に降ろし、掛け布団をそっと被せる。そして傍らに腰を下ろした。

「もう用は済んだはずだ、早く」
「良い主だな」

 背後からの言葉を遮り、呟く。ほんの少しだけ戸惑うように影が動いた。

「俺が初めて主に会った時、訊いたんだ。『俺が来るまで何杯飲んだんだ?』ってな。何て返ってきたと思う? 『酒は飲んでないけれど、涙は何回も飲んだ気がする。でもそれももう尽き果てた』ってよ」

 返事はない。けれどただ静かに聞いていると分かった。だから、そのまま続ける。

「それで『来るのが遅い、どこで飲んだくれていたんだ』っつって、可笑しそうに俺を小突いてきやがった。本当に、正三位、日の本一の槍と呼ばれてるこの俺に、畑仕事やら馬の世話やらを押し付けてくるだけはある」

 だが同時に「この主ならば、それもいいかもしれない」と、そう思わせた。幸せそうな眠りに就いている主を眺めながら、胡坐の上で頬杖をつき小さく笑う。するとへし切長谷部は黙ったまま、俺とはほのんの少し距離を開けて正座した。

「良い主かなど、貴様に言われるまでもない」

 へし切長谷部を横目でちらりと見てみると、どこまでも真摯な瞳で主を見つめていた。

「俺がここに来るまでの日常を聞かされた。くだらないことなのに、それが幸せだと物語るような笑顔でな。が、お前の話になった途端、その笑顔に影が差した。この意味、分かるか?」

 今度は何も返ってはこなかった。ただ座した膝の上にある拳が力んで小刻みに震えているのが視界の片隅に入る。

「今の主が一番だと言うのなら、その一番を心配させるな。不安にさせたのがお前なら、それを取り除けるのもお前だけだ」

 以前へし切長谷部自身が覚えておけと言った言葉の揚げ足でも取るかのように呟く。そして自分の発した声には先ほどまで感じていた怒りや苛立ちが欠片もないことに気付いた。単に冷静さを取り戻しただけか、それとも目の前で眠る主の成したことか。

「……貴様に言われるまでもない」

 一拍置いて返ってきた言葉は揺るぎのない確かな決意のようなものを滲ませていた。ならば、俺から言うことはもう何もない。

「いつまでもここにいては主の睡眠を妨げになる。さっさと出るぞ」
「わーってるって」

 立ち上がり、揃って寝室を出て静かに襖を閉める。

「さて、これから飲み直すとするかね」
「まだ飲むつもりか」
「どっかの誰かが覗き見してたからな。飲み足りねーんだよ」

 お互い嫌悪感を隠しもせずに言い合う。やはり主の願いは残念ながら当分叶いそうもない。心の中で形だけの謝罪を述べる。

「……礼は言わんからな」
「当たり前だ、礼は主にしろよ」

 そのやり取りを最後に、月の光に照らされた縁側の通路を反発するように歩き出したへし切長谷部を見送る。俺も宣言通り飲み直そうと主と飲んでいた縁側まで戻り腰を下ろした。そして、盃に残り最後の酒を注ぎ、盃を口に運ぼうとして……手を止めた。

「参ったね。いっぱいで飲む気になんねえ」

 刀たちの話をする主の笑顔が脳裏に蘇り、妙に胸が満たされていき、気が付けば酒を飲む気力もすっかり落ち着いてしまっていた。

「やっぱり、あんたは良い主だ」

 どうしようもない在り方をしていた刀一つを変えようとしているのだから。そして何より――

「俺も……時間の問題かもな」

 先刻、主の座っていた所にそっと杯を置き、まるで他人事のように呟く。
 少しずつ、ごく自然に在り方に影響を与えていく彼女。こんな短い時間で、俺の酒の手を止めさせるのだから相当なもんだろうと小さく笑った。

「さて、俺はどんな風に染められるのか……精々楽しみにしておくか」

 本来、在り方を変えられるなど不快の極みだろうに、今は何故かそれがどうしようもなく心を躍らせた。もう既に染められつつあることを自覚しながらも、今後の期待と楽しみに満たされる胸を涼やかな風が吹き抜けていく。そして、何かを予感させるかのように傍らに置いた月を浮かべた杯に葉がひらりと舞い降りて水面を揺らし、赤く彩った。


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