絶対を与え合える存在/凌統 1/2


「くそっ……! なんだってあんな奴と……!」

 黒くて重苦しい感情を乗せて、壁を思い切り殴りつける。だが、心は晴れることはなく、拳には鈍い痛みが広がるだけ。
(親の仇と一緒に戦えだって?)
「一体どんな顔して戦場に出ろって言うんだっつの……」

 仲間だと認められるわけがない。認めるわけには、いかない。
 拳を強く握り締める。壁を殴った痛みで、新しい痛みは掻き消される。

「この痛みみたいに慣れろってことかい。……そんなの、まっぴらごめんだっての……!」
「凌統?」

 もう一度壁を殴ろうと拳を振り被った瞬間、不意に声を掛けられる。

「なまえ、か」
「何やってるの!?」
「何って、別に……」
「別にじゃない! 血が……!」

 ふと自分の手を見ると、血が伝い落ちていた。鈍痛がするだけで全く気が付かなかった。
 どこか他人事のように眺めていると、なまえは目を潤ませながら、慌てた様子で俺の手に布を巻きつけた。

「どうしてこんなことを……」
「さて、ね」
「……甘寧のこと?」

 白を切り続けて何も言わないつもりだったのに。そいつの名前がなまえの口から出た途端に、自分の中の何かが凍りついたような気がした。

「やっぱり、そう……なんだね」
「あいつの名前を出さないでくれるかい」

 相手がなまえだというのに、自分でも驚くほど冷たい声で吐き捨てていた。

「うん……ごめん。でも、聞いてほしいんだけどさ」

 それでもめげることなく、俺に語りかけ続けるなまえ。他でもない彼女の言うことだからと、静かに聞く。が。

「もし、もしもだよ? 凌統が誰かに討たれたとして……」
「はぁ!?」

 縁起でもない上に、突拍子もない話の出だしに、今まで出したこともない素っ頓狂な声が出た。

「え!? 何か変なこと言った?」
「むしろ言ってないとでも思ってるのか、あんた。というか、どんだけ失礼……ぶふっ……!」

 段々おかしくなってきて、思いっきり噴出してしまう。さっきまで凍りついていた何かが一瞬で溶けていくのを感じる。

「な、なにも笑うことないじゃない!」
「悪い悪い。でもあんたがあまりにもしれっと失礼なこと言うもんだから……くっ……腹痛い……!」
「ごめんなさい……。なら、もういい」
「だから、俺も悪かったって。で? 続きは?」
「……もし、もし凌統が討たれて、私がその仇を取ろうとしたら……凌統は、どう思う?」

 俺に問いかけてくるなまえの目は真剣そのもの。だから俺も、それに応えなくてはならない。

「俺の仇は……取らなくていい」

(誰が惚れた女にそんなこと望むかっての)

「そっか。うん、そっか。そうだね」

 何故か心底安心したように、うんうんと頷いているなまえ。一人で納得して、俺の存在が蚊帳の外に置かれているようで、若干むっとしてしまう。

「で、それが一体何だってんだい」

 自分で思っているより不機嫌になっていたのか、声音にまで出ていた。だが、彼女はそんな俺を気にもせず……いや、きっと分かった上で流した。

「もし私が討たれた時は、仇なんて取らなくていいよ。忘れて……いいよ」

 妙に穏やかな笑顔で、そう告げられる。笑顔とは裏腹に、瞳は悲しげに揺らいでいるように見えた。
 なまえが言いたいことは、分かっている。仇を取った所で、何も変わらないということ。黒い思いに囚われて欲しくないってことも。
 甘寧のことも、なのだろう。……悪い奴じゃない。ただ、自分が割り切れていないってだけで。
 本当に、お節介というか何というか。まぁ、悪い気はしない。むしろ嬉しいと言っていい。だが──
 わざと頭を抱える動作をした後、これ見よがしに深い溜め息を吐いてみせる。これだけはなまえに言わなければならない。

「ったく……さっきから縁起でもないこと何度も言うなっての!」

 なまえの頭に軽く手刀をお見舞いする。「あだっ!?」という、何とも情けない悲鳴が聞こえてきた。

「い、痛い……」
「いや、そんなに痛くした覚えは……でもまぁ、自業自得ってやつだ」
「はーい、すみませんでしたー……」

 なまえを喪うなんて、想像したくもない。だというのに、なまえには反省の色が見られない。なので、にこやかな笑みを浮かべつつ、手を上げてみる。

「どうやらあんまり反省してないみたいだね。もう一発、いっとくかい?」
「結構です! 本当にすみませんでした!」

 どう見てもその場凌ぎの謝罪。
 なまえの頭の上にもう一度手をかざすと、彼女は身を強張らせ、ぎゅうと強く目を瞑った。
(本当に、人の気も知らないで……)
 上げた手をなまえの頭にそっと乗せ、出来るだけ優しく撫でる。恐る恐る目を開けるなまえ。その瞳を真っ直ぐに見据える。

「なまえの背中は俺が守る。あんたは死なせない、絶対にね」

 見開かれるなまえの目。理解が追いついていないのか、驚きの表情を浮かべたまま、瞬きを繰り返す。
 こんな状況で放っておかれるのは、若干……いや、かなり恥ずかしい。とりあえずと彼女の頭から手を離し、目の前で振ってみる。

「なまえ? おーい、聞こえてるかー?」

 しばらくの間、反応がなかったが、段々と表情が喜びの笑みに変わっていくのが分かった。左右に振っていた手を急に握られる。

「それなら、私は凌統の背中を守るよ。絶対に、死なせない」

 柔和な笑みを浮かべ、真摯な瞳に見つめられる。お陰でどうしていいか分からなくなってしまった。でも、目は逸らさない。

「……はぁ、まったく……あんたも物好きだね」

 溜め息も、皮肉も、ただの照れ隠しでしかない。……隠せているのかどうかは知らないが。

「じゃあ、俺の背中、あんたに預けるよ」
「私の背中もよろしく」

 これでお互い大真面目に言っているのだから、思わず笑ってしまう。

「にしても……お互いに背中を守りあうってことは、だ」
「うん?」
「戦場でも一緒ってことだ。あんまり俺から離れるなよ?」
「凌統が私から離れなければ大丈夫」
「今から敵さんに突っ込んでいく気満々かい……」

 絶対。そんなものは存在しない。明日、また会えるかだって分からない。今、この瞬間にだって、喪うかもしれない。
 分かっている。お互い分かっていて、もしもの話をしたのだろう。
 絶対は、ない。それでも、あんたを置いていきたくはないから。あんたの手の届く場所に居たいから。

「ついて行く俺の身にもなれっての」

 わざとらしく肩をすくめて見せる。
 なまえを、俺と同じような置いていかれる側にはさせない。絶対に。


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