嫌悪も執着のうち/徐庶 1/1


 軍議を終え、玉座の間から各々が出ていく中で、俺はある一人の女性の背中を追いかけていた。しばらくの間、その彼女と一定の距離を保ちつつ歩いていると、彼女は不意にちらりとこちらに視線を投げた。だがすぐに視線を前に戻し、歩調を早めていく。
 そして、人気のない階段の前に差し掛かった所で痺れを切らしたようにその彼女……なまえが振り向き、苛立たしげに睨みつけてきた。

「……それで、一体何の用?」

 俺に気付き、話を聞くつもりでここへと誘導したのだろう。ならば気兼ねなく話も聞けるというものだとゆっくり息を吐いて、止め、意を決して告げる。

「君はどうして……いつも俺の進言に横槍を入れるんだ?」

 普段より低くなっている自分の声色に、先に睨みつけていたのは俺の方だったのだと気が付く。
 なまえとは特別親しいわけではないが、特別仲が悪いというわけでもなかった。そもそも互いに顔と名を見知っている程度の認識で、さしたる接点もないはず。だというのに、彼女は俺の策、あるいは俺自身が気に入らないのか、毎回と言っていいほど横槍を入れてくる。最初は俺に非があるのだと思うようにしていたが、こうも立て続けにやられると、ただ俺に難癖を付けたいだけなのではないかという考えがどうしても過る。
 俺が問うと、なまえは黙ったまま目を閉じた。

「これが俺の用だよ。出来ればはっきり答えてくれ」

 聞いているのか、いないのか。分からないながらも用件を述べると、彼女は深くため息を吐き、目を開けた。冷ややかで鋭利な眼差しが俺を射抜く。

「あなたの策は……考え方は甘すぎるんだよ。それでは劉備殿が天下を掴めない」

 俺の全てを否定されたような気がして反射的に出そうになる打ち消しの言葉を何とか押し留め、歯噛みする。そしてゆっくりとそれを飲み込み、息を吐く。

「俺が甘いのは自覚していることだ、認めざるを得ない。だけどそれは……俺のやり方はきっと劉備殿の望む」
「それが駄目だと言っている!」

 怒気を含んだ声に遮られ、思わず気圧される。険しかったなまえの表情はより険しさを増し、怒りが深く刻まれていた。

「あなたがどんな考え方をしていようと私には関係ない、興味もない。けど……自分の理想を劉備殿と重ね、押し付けるのはやめて」
「俺は……そんなつもりでは」
「なら何だと言うの? はっきり答えて」

 考えてもいなかったなまえの答えと新たな問いに言葉が詰まる。否定しようにも、目の前に突きつけられた事実がそれを許してはくれない。無意識……いや、気付いていながら目を背けていたその事実に項垂れることしか出来なくなっていた。

「劉備殿は光なんだよ。そして私たちは、その光の下の影であらねばならない。……光に憧れて、光に手を伸ばしたりしては……いけない」

 どこか自分を戒めるように呟いたなまえ。顔を上げると、彼女は苦悶の表情で拳を握り締めていた。その姿に、まるで自分を見ているような、共感めいた何かが重なる。それと同時に、嫌悪する自分自身の一部まで重なった気がした。

「きっと、君の言う通りなんだろうな。俺は……光に憧れている」

 もしなまえが俺と似ているのだとしたら、彼女の言葉は紛れもない事実ということになる。先に俺に指摘した、『劉備殿に理想を重ね、押し付けた』ことが事実であったのと同じように。

「分かったなら、今後はもう少し考えてから進言して」

 なまえは目も合わせず、一言そう吐き捨てると早足でこの場を去った。去っていく彼女の背中に、見たことのないはずの自分の背中を見た気がした。そしてその後ろ姿は、まるで居た堪れなくなり逃げ出したかのように映った。

***

 あれから俺が進言することはなくなり、それに伴ってなまえが横槍を入れてくることもなくなった。だが。

「…………。どうして徐庶がここにいるの」
「君は、俺がどういう考え方をしているのか、『関係はないし、興味もない』と言っていたと思うんだけど」

 互いに会いたいわけでもない、むしろ会いたくもないので避けている節すらあるにも関わらず、書庫や鍛錬所、廊下、果てはただの道端……事ある毎に遭遇する。そして今日は、あの時の人気のない階段。俺は何となしにここへ来て、階段に腰掛けていた。まさかここにまで彼女が来ることはないだろうと踏んだが、結果はご覧の有り様だった。
 日常になりつつあるこの不本意な光景に、なまえはこれ見よがしにため息を吐いて去っていく。

「ため息を吐きたいのは俺の方だよ……」

 愚痴を言ってみたところで去ったなまえに届くはずもなく、愚痴はため息とともに消えていった。

***

 相も変わらず、なまえとやたら遭遇する日々を送っていた。そんな中であることを思い付く。それは“軍議で進言したなまえに横槍を入れる”という単純なもの。理由は、彼女が一体どんな反応をするのかが気になる。あとはほんの少し意趣返し。それくらいなものだった。

「ここにいると思ったよ、なまえ」
「……今度は何の用?」

 例の階段に腰掛けるなまえに声を掛けるも、こちらに一瞥もくれず冷淡に返される。
 考えていた通り、軍議で彼女に横槍を入れ、自分の意見を述べた。彼女の述べた「攻め込まれている領土を守るべきだ」という意見の上から、「その上で疲弊した敵国へ侵攻した方がいい」と。なまえからしてみれば、意見を乗っ取られたものだろう。そして、俺の意見が通った。この際、結果はどちらでもよかったのだが、俺が挙手をした時の彼女の吃驚した表情と意見が賛同された時の苦々しい表情は何故か心を引かれるものがあった。
 軍議が終わった後、なまえは足早に姿を消した。そして俺は、彼女を追うようにしてここへ来た。

「私を笑いに来た、とか?」

 自嘲気味のなまえの言葉に静かに首を横に振ると、彼女が立ち上がった。

「そう。なら、私はこれで」

 こちらには用などないとでも言うように、俺の脇を通り抜けようとするなまえ。だが、すれ違う瞬間に彼女の手首を半ば強引に掴み上げ、引き留める。

「何? もう行きたいんだけど」
「こんな所で、一人で勝手に落ち込まないでくれ」

 口を突いて出たその言葉には、無意識に怒りのような感情が滲んでいた。今のなまえを見ていると妙な苛立ちに駆られる。まるで落ち込んでいる自分自身を見せつけられているようで。

「落ち込まないでって……それがあなたの望みだったんじゃないの?」
「俺は、君を落ち込ませようとしているわけでもなければ、傷付けようとしているわけでもないよ。ただ……なまえに興味があるだけだ、君と違って」

 そう返すとなまえは俺の手を払い、向き直った。上がった口角とは反して、呆れと敵意の宿った瞳が俺を睨め付ける。

「あなた、思った以上に良い性格してるね」
「それはお互い様、だろう? それに一応、俺の進言に君の言う甘さはなかったと思うけど」
「……そうだね。徐庶の意見は別に間違ってもいないし、正しかった。そもそも、私があなたに口出しするのはよくて、あなたからは駄目……なんて道理はないのだから徐庶は正しいよ」

 なまえの先ほどまでの敵意は鳴りを潜め、表情も物憂げなものへと変わっていく。

「だから、余計に……」
「“腹が立つ”?」

 言葉を付け足すと、「そういう所も」とでも言わんばかりに不愉快そうな顔をするなまえ。だがすぐに、諦めたようにため息を吐くと、また階段に腰を掛けた。それに続くように、少し距離を空けて彼女の隣に座る。

「一応言っておくけど、徐庶の意見に口出ししていたのは、あなたの弁が間違っていると思ったから、だからね?」
「知ってるよ。俺もまず前提として、それだけでは駄目だと思ったから口を挟んだ」

 お互い相手を見ないように視線を逸らしながら淡々と話す。その口調とは反比例するかのように、胸の中の妙な親愛と嫌悪が交錯する。それはどちらとも、共感めいた何かから生じていた。

「徐庶を見ていると、昔の……捨ててきた自分を見ているみたいで苛々する」
「なまえを見ていると、この先君のようになるのかもしれない不安と、情けない自分の姿を見せられているような不快感で苛立つよ」

 当て付けがましく言い合ってみても、形容しがたい感情ばかりが浮いては沈んでいくばかり。
 あの日から、嫌になるほど互いに互いの存在を感じる羽目になっている。忌避すれば、何の悪戯か、幾度も引き合わされる。

「俺は君に興味がある。そして、もっと知りたいと思っている」

 ならばいっそのこと自分からその存在に近付き、触れれば、何かが変わるかもしれない。変えられるかもしれない。

「私はあなたに興味を持ちたくないし、知りたくない」

 思わず口の端が上がる。興味もなく、知りたいとも思っていない人間に対して、「自分を見ているみたいで苛々する」なんて言うだろうか。でも、今は。

「そういうことにしておくよ」
「それはどうもありがとう」

 お互いの含みのある言葉を最後に、沈黙が降りてくる。
 俺となまえとの間にある開いた隙間にそよ風が通り抜けていく。居心地が悪くて、でも何故か落ち着く、二人の世界。俺も彼女もこの場を離れず、だからと言って何かをするわけでもなく、ただこの不思議な感覚に浸っていた。


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