相思華/徐庶 1/1


 次の戦での協力を仰ぎになまえ殿の国に訪れ、謁見の間へと通される。しばらくしてなまえ殿が姿を現した。

「徐庶殿、花を見に行かない?」

 なまえ殿が玉座の前に着いたと同時、その彼女から唐突な誘いを受ける。驚きで拱手の動作が中途半端なところで止まってしまい、慌てて頭を下げた。断る理由はない。願ってもない申し出ではあるのだが。

「ですが、それでは……」

 次の戦の協力を懇願するなどという、花とは不釣り合いで無粋な会話は出来そうにない。出来たとしても、彼女一人で進めていい話ではないだろう。そう考えて躊躇していると、なまえ殿は微笑んだ。

「あなたの言いたいことも、ここへ来た理由も承知しているよ。その件については協力を惜しむつもりはないから、安心していい」

 察した、というより、とうに知っていたといった様子だった。やはり彼女には何でも見透かされているように感じる。けれど不思議と嫌な感じはしない。むしろ、心地よいとさえ思っている。ただ……俺からは、なまえ殿の考えを測りかねていた。

「ええと、俺なんかでよければ……」
「じゃあ、行こうか。少し歩くけど、そこまで距離はないから」

 心に立ち込め始める暗雲を払うように承諾の返事をするとなまえ殿が歩き出し、その後ろについて行く。

「あの、なまえ殿、護衛は付けないのですか?」

 歩を緩めることなく目的地に向かっている様子のなまえ殿の背に問いかけると、彼女は立ち止まり振り返った。

「ん? いいんだよ。自分の身くらいは自分で守る。それに、護衛なんて付いていたら、徐庶殿と落ち着いて話すことも出来ないからね。それとも……徐庶殿は護衛付きの方がよかった?」
「いえ決してそんなことは……!」

 悪戯っぽく笑うなまえ殿を見れば、その問いが冗談だとすぐに分かる。それでも焦って否定したのは、冗談でも誤解されたくなかったからなのか、単純に彼女の心遣いが嬉しかったからなのか。

「ええと、俺はただ、あなたの身が一番大事だと思っただけで……。なまえ殿に何かあったら、俺はきっと……俺自身を許せなくなる」
「ありがとう、その気持ちだけで十分だよ。……徐庶殿は優しいね、本当に」

 彼女は俺の目を見つめ、優しく微笑んだ。けれどその笑顔にはどこか影が差しているような気がして、何か掛ける言葉を探すが思いばかりが喉でつかえて声にならない。

「まあ、臣下たちには心配されるし、時々怒られたりもするんだけどね。悪いとは思っているんだけど」

 結局何も出来ないまま、なまえ殿はいつもの笑顔に戻り、また歩き出した。俺は静かに彼女の後を歩く。胸の中に広がりつつある、払ったはずの暗雲に気付かない振りをしながら。

***

 なまえ殿に連れられるまま、森の中の緩やかな坂を登っていく。はっきりと人の通る道が出来ていて足場は安定しており、木漏れ日も差しているため、歩くのは苦ではない。だが、どこか互いに言葉少なになっているような気がして妙に落ち着かない。
 地を見つめながら歩いていると、なまえ殿が立ち止まった。

「さ、着いた。この先だよ」

 彼女の声に顔を上げ、出口と思しき木々を潜る。そこには丘一面を染め上げる鮮烈な深紅が広がっていた。燃え盛る炎のような妖美な花の赤に目を奪われる。花に釘付けになっていた視線を前方へ移すと、澄み切った青空が目に入る。鮮やかな花の赤と空の青の対比に思わず息を呑んだ。

「彼岸花、だよ」

 言葉を失っている俺の顔を覗き込み、花の名を口にしたなまえ殿。花の名前と赤と青の光景、そしてその光景を背にして俺に笑いかけるなまえ殿の姿を胸に刻み込むように眺める。

「数日前に咲き始めたの。丁度徐庶殿が来てくれたから誘ったんだけど……急に誘ってしまってごめんなさい」
「そんな、謝らないでください。……ええと、誘ってくれてありがとうございます。この景色、とても気に入りました」
「喜んでもらえたならよかった。出来れば徐庶殿と一緒に見たいと思ったから……」

 彼岸花を初めて見たわけではないのに、何故か胸に込み上げるものがあった。それはただ、この景色が綺麗だからというだけではなくて、きっとなまえ殿の気持ちが嬉しいからなんだろうと、彼女の安堵したような笑顔を見てそう感じた。

「せっかくだから、もう少し近くで見ようか」

 なまえ殿の言葉に導かれるように、咲き乱れる彼岸花の間を歩く。花たちの中心で立ち止まり、辺りを見回す。

「『天上の花』、か。この景色は壮観ですが、どこか怖い気もしてきますね」

 単純な恐怖なのか、それとも高揚か。色鮮やかな赤に取り囲まれ、背筋にぞくりと何かが走る。そんな俺を見て、なまえ殿は邪気のない顔で笑った。

「彼岸花が天上に咲く花なら、ここはさながら死者の国になるのかな。徐庶殿と一緒なら、それもいいけど」
「なまえ殿が隣にいてくれるのなら、俺は……どこへでも行きます。たとえ行く先が死者の国であっても」

 なまえ殿の目を真っ直ぐに見つめて伝えるが、彼女はどこか困惑した笑みを浮かべたまま、一言「ありがとう」と礼を言うと俺から目を逸らした。そして、しゃがみ込んで彼岸花の茎にそっと触れた。それは明確な拒絶ではなかったが、違和感を覚えるには十分過ぎるものだった。胸の中の暗雲にも似た違和を潰すように、胸の服を握り締め、静かに息を吐いてから手を離した。

「徐庶殿は、彼岸花の異称に『相思華』という名前があるのは知ってる?」
「確か、『葉は花を思い、花は葉を思う』という意味があったような……」
「うん。一般的な花なら、花と葉は寄り添うように生える。でも彼岸花は……花と葉、同時に存在することが出来ない。花が咲く時には葉の姿はなく、草が生える頃には花はもう枯れている」

 なまえ殿はそう言うと、悲しげな瞳で花弁を優しく撫でた。その姿がどこか妖艶に映り、引きつけられる。そして同時に、彼女をひどく遠くに感じさせた。
 見て見ぬ振りをしながら彼岸花の茎に目をやると、確かに葉と思しきものは生えていない。

「だから『相思華』……。同じ場所、根から出ても、どんなに思い合っていても、互いに互いの姿を見ることさえ出来ない……なんて、なんだか悲しい花ですね」
「……そうだね。強く思っていても、一緒にいられないのなら……始めから、思わなければ……」

 なまえ殿は俯き、表情を窺うことが出来ない。ただ、独り言のように呟いた声は悲しげに聞こえて、彼岸花の花弁を撫でた時の彼女の瞳を想起させた。

「なまえ殿……?」
「ん? 何?」

 引き留めるように彼女の名前を呼んだが、見上げてくるなまえ殿の瞳も表情も、いつもの明るい笑みに染め変わっていた。先の悲しげな雰囲気は錯覚だったのかと思えるほどに。だが、開いた距離までは元に戻らない。それどころか、より離れたように……まるで一人置き去りにされたかのように感じた。けれど。

「きっと葉は、花の姿が見えなくても、一緒にいられなくても、花を思うことはやめないと思います」
「それが、悲しい結末を招くとしても?」
「たとえどんな結末が待っていたとしても、花への思いは……きっと消せません」

 思わなければ、楽になれるとしても。先に悲愴な結末が待っていると知っていたとしても、思いは誰にも消せない。

「花は幸せだね、葉にそんなに思ってもらえるなんて。でも……花は、葉への思いを切り捨てようとするかもしれない。もしそうなったら、葉も思いを捨てるのかな」

 立ち上がり俺を見つめたなまえ殿の表情は、語るにつれて曇っていく。彼女の言った“葉も思いを捨てるのか”という疑問は、どこか“そうあって欲しい”かのように聞こえた。

「きっと、捨てられません。簡単に捨てたり消せたりするなら、葉は……きっと花も、想い、恋い焦がれたりなんてしない」

 だからなのか、気が付けば突き放すように告げていた。一瞬愕然としたなまえ殿だったが、すぐに諦めたようなぎこちない笑み浮かべた。

「……そっか。そう、だね」

 それからなまえ殿は黙ったまま、俺に背を向けた。依然としてなまえ殿の真意は見えない。それでも、この思いは途切れることなく、ただ一人、彼女に注がれるだろう。いつか俺自身が、この思いを否定しようとする日が来るとしても。だが、そんな意思とは裏腹に、深い赤の中に佇む彼女を見ていると、何かを決定的に違えているような言い知れぬ不安に襲われる。
 穏やかな風が丘を吹き抜けていく。その風は彼岸花を揺らし、俺の心をどうしようもなくざわめかせた。


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