卒業からはじまる関係/鍾会 1/2


 夕日が射す静かな教室で二人きり。
 普通なら多少雰囲気のあるシチュエーションなのだろうが──

「おい、なまえ」
「はい?」
「机に向かっているというのに、ペンを走らせる音が全く聞こえてこないとは、一体どういうことだ!?」
「えっと、その……て、てへっ?」
「はぁ……」

 全教科赤点という逆快挙を成し遂げたこの阿呆の補習授業中では、そんなものあるはずがなかった。この惨状を目の前にして、軽く眩暈がしてくる。思わず頭を抱えた。

「『てへっ』じゃない! やる気はあるのかお前は。この私が、お前一人に、貴重な時間を割いてやっているんだ、真面目にやれ」
「はーい先生、すみませんでしたー」

 なんとも気が抜ける返事。この数日間ずっとこの調子で、さすがに苛立ってくる。

「そもそも何故、全教科赤点なんて取った?」
「それは……私が勉強できないからで……」

 苛立ちとともに、前々から抱いていた疑問をぶつけると、彼女は目を逸らしながら答えた。その仕草は発せられた言葉よりも正直なものだった。

「嘘をつくな」

 なまえの体がびくりと跳ねる。

「お前の以前の成績は悪くなかった。いや、むしろこの私が良いと認めるほどだった。それが今はどういう訳か、急激に落ちている。徐々にではなく、だ」
「それは……偶然ですよ」

 顔を伏せ、白を切り続けるなまえ。だが、そんな言葉に騙されてやるつもりなどない。

「偶然な訳がないだろう、お前を見ていればすぐ分かることだ」
(どれだけお前を見つめてきたと思っているんだ)
「……何があった?」
「何にもないですよ。な、にも……」

 彼女は顔を伏せたまま、力なく答える。スカートと手の甲の上に、ぽたぽたと涙が落ちていく。

「ごめん、なさい……。卒業して……先生と、別れたく……なかった、から……」

 言葉を詰まらせながら、消え入りそうな声でなまえは呟いた。
(あぁ、まったく、本当に──)
 ようやく出た心の声を聞いて、呆れにも安堵にも似た息を深く吐く。

「お前は阿呆か、勝手に自己完結するな」
「え……?」

 手近なノートを手に取り、なまえの頭をぽすりと軽く叩く。彼女は目をぱちくりとさせていた。言葉の意味を理解出来ていないらしい。

「卒業したら終わりだと誰が言った? 卒業しても、会うことぐらい出来るだろう。それをまるで今生の別れみたいに……しかもこんなことまで……阿呆としか言いようがないね」

 肩をすくめて言ってやる。卒業して終わりになど、誰がさせるものか。私にとっては、それが“はじまり”になるというのに。

「……と、いうことは……卒業してからも会ってくれるってことですか!?」

 なまえは急に顔を跳ね上げ、詰め寄ってくる。先ほどとは打って変わって無駄に満面の笑みで、無駄に目を輝かせていた。思わず見惚れ……いや、そんなことより無駄に顔が近い。……いやどれも無駄ではないのだろうが。

「あ、ああそうだよ! 分かったら少し離れろ! 心臓に悪い!」
「あっ、すみません、つい……」

 そう言って、照れくさそうに離れた。まったくとわざとらしく呆れた素振りをして、平静を装う。

「使いなよ。顔、酷いことになってるぞ」

 持っていたハンカチを取り出し、彼女に差し出す。目を丸くしてハンカチと私を交互に見た。

「今度はなんだ……?」
「いえ、先生がハンカチを貸してくれるなんて思わなかったので、嬉しいです……!」
「……人を何だと思っているんだ、お前は。まぁいい、お前には……」

 笑顔の方が似合う。
 言いかけた言葉を咄嗟に飲み込んだ。

「……? どうかしたんですか? 顔が赤く……」
「どうもしていないし、顔も赤くない! そんなことより、お前はちゃんと勉学に励んで、早く卒業しろ」

 これ以上追究されても面倒なので、瞬時に別の話を振って半ば強制的に終了させる。だが、その別の話というのは……ただの私の願望だった。

「励んでも卒業までの時間は変わりませんよ?」

 悪戯っぽく微笑むなまえ。……私の気も知らないで。

「……飛び級でもしろ」
「いや、そんな無茶な……」

 何でもいい、早く卒業しろ。毒牙にかけようと狙う奴らばかりで気が気じゃない。なのに関係は『教師と生徒』から、変えることさえ出来ない。“はじまり”もしない。
 だから早く、卒業してくれ。


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