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深海王(一撃男)
※ネクロマンサー夢主

▼深く広く

走って、走って、追いかけても追いつかなくて。運動不足の体は何度もバランスを崩して倒れて。それでも諦めなかった。諦めたくなかった。力になりたかった。少しでも私も、人々の救いに、ヒーローになりたかった。
雨をめいっぱい吸い込んだ外套が重い。転んだ時に水たまりに突っ込んでしまった事もあったから、雨水はもう下着まで届いている。

「待ちなさい。今度は私が相手になります」

到着した頃には既にジェノスさんはボロボロの状態で、私の姿を捉えて小さく名前を呼んでいた。
魚人と呼ぶに相応しい見た目の巨大な怪人。名を深海王。この街を脅かす者。
彼が振り返り、私を見て一言。ただ一言、放った。

「あらあら、随分と可愛らしい子が来たわね」

慈悲も慈愛もなく、言うなれば新しい獲物を前にした強者の余裕。事実、私は彼に手も足も出なかった。
鎖を引き上げる事すら叶わず、雨を受けて身体能力が向上した彼に殴られ、蹴られ、首を折られかけた。
私の首を掴んで持ち上げ、品定めするように見つめて、可愛いから持ち帰ろうかしらと口にして……。
それなのに私が感じたのは恐怖や嫌悪ではなく、敗北の悔しさだけだった。

彼がサイタマ先生に倒されて死んでしまった時、安心感と虚無感が綯い交ぜになって気持ち悪かった。
街を、人々を脅かす者がいなくなったのは良い事だ。それなのにどうして、少しでも“また会いたい”と思ってしまったのだろう。
可愛いと言われたことが嬉しかったから?
殴られ、蹴られ、痛い思いをしたのにどうして?
生者を何度も見送って、死者を何度も引き上げて使役してきた。今更おかしな感情を抱く訳もない。
地獄へ行く死者は私の駒として動くことを引き換えに再びこの地上へ戻ることができる。引き上げた地獄の死者は、贖罪として精一杯働く者、地上へ戻れるならなんでもいいと言うことを聞く者と様々いて、彼もきっと後者だろう。それなのに。

「好奇心だろ。興味とか」

この件を、この感情をサイタマ先生に相談すると、そんな答えが返ってきた。
好奇心や興味。言われてしっくりときた。
死者を使役することに抵抗も無くなってしまい、今では“必要だから引き上げる”以外の考えをしなくなった。死んだら全て終わりだ。生きてきた時に積み上げたものは例外なく全て失って、いつか人にも歴史にも忘れ去られてしまう。
歴史が忘れた者たちを私は知ろうと思わずにいた。知りたいと思う者がいなかった。ようやく、知りたいと思える者が現れた。そういう事なのだろうか。




雨と記憶を媒体に、鎖を地面に下ろして念じた。すぐに鎖から腕へ伝わる手応え。
一気に引き上げてしまえば、頭に霊特有の三角巾をつけた深海王が姿を現した。
身体は半透明。私から触れることはできても、彼は誰にも何にも触れることはできない。私が許可を出し、力を取り戻すための贄がなければなにもできない。

『あら、いつぞやの可愛いお嬢ちゃんじゃない』

私を見下ろす巨体。詰め寄るように腰を折って私に近づく彼に、私はめいっぱいの笑顔を向けた。

「興味が湧いたので呼びました。私はネクロマンサーの名前。これからあなたの主人になります」

頬を包んで言ってやれば、驚いたように瞳を開く。彼は“生と死”をしっかり理解している頭のいいお方のようで、主人だと言った私に怒ったり、死を受け入れられず暴れたりという面倒なことはしなかった。
事の説明をする私を見下ろし、ニヤリとなにかを含んだ笑みを浮かべ、逞しい腕を胸の前で組んで呟いた。

『死んでも面白い事があるなんてね』

「ええ、そうですね」

駒ではなく友人として地獄から引き上げたのは初めてで、私もこれからが楽しみだった。