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ディアボロ/ドッピオ

 十二月とは酷く忙しいもので、クリスマスも碌に構うこともできず過ぎていった。
 組織を束ねるボスとしてやることは過去よりも現在の方が多く、頭を抱える日々。報告の処理や後始末、取引と徴収、それから大声で言えないことが諸々……全てを済ませて自室に鍵を掛けたのが、三十一日の午後四時頃。革製のソファに腰を下ろした直後、遠い異国からメッセージが届く。
 ──あけましておめでとうございます。では寝ます。おやすみなさい。
 簡潔な内容に少しだけ気が緩む。実にアイツらしい。八時間という時差の向こう側、どうやら日本はもう年を越したようだ。同じような文章を素早くタップしてメッセージを送り返す。再来週にはそっちへ行くという報せと共に。


 文字通り死ぬほど忙しなかった年末年始も、過ぎて終えばなんてことないものだなと、ふと思う。
 報せ通りに日程を組んで日本へ来たオレとドッピオは、別荘として購入した一軒家で名前と共に他愛のない時間を過ごしていた。
 最近流行りのゲームを二人で並んで遊んでいる背中を見ながら、オレは何をしているんだろうなと自嘲する。遥々日本へやってきてまでやることがパソコンで事務作業? ここへ来る時は休み≠フ筈だが……なんだ、これは? 部下の尻拭いはボスの仕事だと分かっていても、苛立ちは中々消えないものだった。

「惜しいー! また負けた!」
「ふふ、ぼくの勝ち。じゃあ最後のひとつは貰うね」

 楽しそうな声に顔を上げる。どうやら菓子の最後の一つを賭けて勝負をしていたようだ。
 諦めることを知らない彼女が「もう一回!」と勝負を挑む。それをドッピオは笑顔で受け入れる。
 なんともまあ、幸せな光景だ。
 銃を握る必要のない戦いとは無縁の世界で、こうして三人で居られることに、オレは確かな幸せを感じていた。昔より忙しくとも、昔より非力でも、昔より危険のない今が心地よかった。
 ふと時計が目に入り、そろそろ休憩するかとひと息つく。そばに置いてあったマグカップに手を伸ばし、すっかり冷めてしまったコーヒーで気分を落ち着かせた。
 背中を向けている二人も少し休憩するらしく、ゲーム機をスリープモードにしてテーブルに置いていた。

「わたし飲み物とってくる」
「ぼくが行くよ」
「もー、わたしが行くってば。座ってて」

 ドッピオが立つ前に肩を抑え、足早にキッチンへ消えて行く名前。
 出会ってから早くも……どれだけ経っただろうか。少しずつ積み上げられてきた信頼が、こうして目に見えるかたちで現れているのは少し嬉しかった。ドッピオの方が歳が近いからだろう。彼女のドッピオへの態度は、オレに対するものよりだいぶ砕けている。少し寂しくもあるが、仕方のないことだ。
 キッチンから戻ってきた名前がココア缶をドッピオに渡す。この家には小さな保温庫があるため、そこから持ってきたのだろう。
 ……というより、飲みながら歩くんじゃあない。躓いて転んだ時にゲーム機にかかったらどうするんだ。
 一言声をかけようとしたその瞬間、彼女が振り向いて缶コーヒーを投げてきた。

「ディアボロさんにも持ってきました」
「……ああ、ありがとう」
「熱いので舌の火傷に注意です」

 確かに、受け取った缶はかなり熱かった。
 既に置いてあるコーヒーが冷めていることをわかっていたのだろう。小さな気遣いに表情が緩みそうになる。
 軽く振ってからプルタブを起こし、熱い一口を流し込む。やはりコーヒーは熱いものに限るな。
 二人の何気ない会話を聞きながら、いまいちやる気が出ない事務作業とやらを再開しようとキーボードに両手を添えた時だった。

「二月といえばバレンタイン! バレンタイン特集!」

 軽快なBGMと共に弾むような声がテレビから流れてきた。なんとなくとつけっぱなしにしていた情報番組には、名前曰く人気のタレントやキャスターが並んでおり、来るバレンタインという日の定番プレゼントなどを紹介していた。

「まだ一月なのにバレンタインの話? 気が早いような」
「街を通った時にそれっぽい装飾がされているお店は結構あったよ。イベントが絡む商品は先取りしておかないと売れないからね」
「へー」
「それにしても……もうすぐサン・バレンティーノかあ」

 両手で缶を持ち、天井を見上げるドッピオ。
 テレビから絶えず聞こえてくる情報は、どれもチョコレートやハート型のものばかり。
 そういえば……日本人のバレンタインはオレ達とは違ったな。女が男にチョコレートを、想いを伝える為に渡す日……だったか。イタリアでは基本的に、サン・バレンティーノは恋人同士が想いを深め合う日なのだが。
 オレもドッピオも、別に名前と恋人という関係を結んでいる訳ではない。訳ではなくとも、渡さない選択肢はない。
 特集を耳にしながら、無難にいくつか頭の中でプレゼントの候補を並べてみる。リストランテは外せないな。一日くらい街を連れ出しても罰は当たらないだろう。

「名前ちゃん、欲しいものとかある?」
「ないけど。なんで?」
「バレンタインだよ? ぼくはキミの恋人じゃあないけれど、気持ちはそれだけ大きくて深いから、何かあげたいんだ」
「うーん……でも欲しいものなんてないよ」

 困ったように笑う名前を見て、そういえばこいつはそういう奴だったなとなんとなく考えた。所謂前世の名前も、物欲のない女だった。欲しがったのは愛と情欲と時間。買い与えることができないものばかりを、たまに口にする。そして……──。

「でもわたしは二人にチョコあげるからね」

 それ以上に、与えるのが好きだ。

「ありがとう、嬉しいよ」
「美味しそうなの用意する」
「名前ちゃんがくれるなら、尚更プレゼントをあげなくちゃね。そうだなぁ……逆に貰ったら困るものって、何かある?」

 チョコレートか。定番の定番、こちらも用意しておいて損はないだろう。トリノでいくつかの老舗店を回ってみるか。イタリアでチョコレートといえばあの街だ。一番いいものを見つけよう。
 いつの間にかパソコンの画面は仕事内容が畳まれ、バレンタインに贈るプレゼントの検索結果に埋め尽くされていた。
 チョコレートは決まりだ。それから高級レストラン。あとは……やはり薔薇の花束か。これは確実に外せないな。
 まだ熱い缶コーヒーを手に東京で取れる一番高価なレストランを探していると、ドッピオの質問に頭を悩ませていた名前がようやく口を開く。

「うーん……薔薇の花束とか……?」

 缶コーヒーを持つ手に力がこもった。

「生花って貰っても困るかも。すごくロマンチックだけど、すぐ枯れちゃうし」
「わかった。他には?」
「高価すぎるものは申し訳なくなるからダメね。アクセサリーとかレストランとか?」
「うんうん」

 正直、ダメだと思った。
 薔薇の花束も、レストランも、高級チョコレートも、口にする前に却下されてしまった。
 缶コーヒーを置き、タッチパッドに指を滑らせ、検索結果を全て閉じる。後ろで肘を立てて頭を抱えるオレの事などつゆ知らず、名前とドッピオは楽しげに話を続けていた。
 オレは女へのプレゼントが分からない。かつての人生で付き合った女……ドナテラにも、そして名前にも、自身の存在を隠す為、誰にも知られない為にロクなものを与えはしなかった。
 サン・バレンティーノまであと約一ヶ月。頭が痛くなるほど悩んだのは、言うまでもない。


 街がピンク色に染まり、冬の気温を吹き飛ばすほどの熱々な雰囲気を漂わせる人々。
 オレは組織を束ねる頭だが、だからといって何日も組織を放置できる訳ではない。渡日しても滞在時間は長くて一週間程度だ。短くとも名前との別れは名残惜しいものの、いつかイタリアへ連れて行くと決めている為、近い将来への楽しみの繰越としている。
 バレンタイン当日。もちろんドッピオと共に日本へ降り、彼女に鍵を預けている別荘へ向かう。
 ドッピオは何を用意したのだろうか。なかなか大きな紙袋を膝の上に乗せていた。

「あ、おかえりなさい」

 別荘の鍵を開けて中へ入れば、リビングで寛ぐ名前の姿。既に暖かな室内がオレたちを出迎える。にしても、もうすっかりおまえの自宅だな……。
 好きに使えと鍵を渡したのはオレだが、増えていく名前の私物と、濃くなっていく匂いに、年甲斐なく胸が高鳴る。
 ドッピオが大きなプレゼントを手に「ただいま」と名前に近寄ると、もうすっかりイタリア式の挨拶に慣れた彼女は、寄ってきたドッピオの頬に自身の頬を合わせる。ほんの数ヶ月前までは距離が近いだのバグだのと恥ずかしがっていたというのに、慣れとは恐ろしい。

「ディアボロさんもおかえりなさい」
「ああ、ただいま」

 オレを見上げる彼女へ寄って、少し背中を丸めて頬を合わせた。暖かい室内でさぞかし寛いでいたのだろう。柔らかな頬に足された温もりは、離れがたい魔力があった。
 帰宅の挨拶もそこそこに、オレたちはプレゼントを差し出した。ドッピオからは大きな紙袋。そしてオレからは……小さな紙袋。
 開けてみてとドッピオに促された彼女が眉を下げながら笑った。

「結構大きいけど、高価なものじゃない?」
「もちろん。気に入ってくれると嬉しいな」
「どれどれ……あ!」

 紙袋の中から取り出された可愛らしい包み。それを開く彼女の表情が一瞬で変わり、中身を愛おしそうに抱きしめる。ぬいぐるみだ。かなりのサイズがあり、名前が抱きしめると上半身がほぼ隠れてしまう。

「これ最近流行りのクマキャラだ!? かわいいー! ありがとうヴィネガーくん!」
「喜んでもらえてよかったよ」

 ……成る程、な。そう来たか。若いだけあって、ドッピオのリサーチ能力はオレよりも何枚も上手だった訳か。
 クマのぬいぐるみの後頭部に頬擦りをする名前が、「もふもふー」と情けないくらい緩んだ顔で笑う。オレが知らないだけで、昔もあんな顔をしていたのだろうか。思い出せるのは真剣な表情ばかりだった。
 寝室に置いてくる、と笑顔のままリビングから出ていく彼女の背中を目で追う。
 ドッピオが空になった紙袋を畳んで棚に片付けると夕食の話をし始めたので、既に注文済みだと簡潔に答えた。

「今晩は何を?」
「いつもの店の寿司だ。受け取ってきてくれ」
「わかりました」

 来日の度に同じ店で寿司の盛り合わせを頼んでいる為、ドッピオも覚えている。
 ここへ来る途中に受け取ってくればよかっただろう、とはコイツは絶対に口にしない。そう考えることもない。オレに対する忠誠心は他人からすれば不気味の領域だろう。
 テーブルに置いた鍵を手に部屋を出て行くドッピオ。廊下で名前と会ったらしく、少し話をしている声が聞こえてきた。
 リビングの扉が開かれ、少し冷えた廊下の空気と共に名前が戻ってくる。

「チョコ渡す前に出かけちゃった」
「なに、すぐに戻ってくる。……それより、名前」
「はい」

 名前を呼ぶと不思議そうにこちらを見る。
 ラフな格好と、簡単にまとめられた髪。丸い瞳に、アジア人特有の幼い顔立ち。
 何もかもオレの知る名前だというのに、魂はそのままだとわかっているのに、こうして再び同じ空間で言葉を交わすだけでも喜ばしいことだとわかっているのに、寂しさを拭えないのはオレが強欲だからだろうか。
 テーブルの上に小さな紙袋を置く。ドッピオが渡したものより小さいそれを名前は躊躇いがちに覗き込んだ。

「オレからおまえに」
「やったー! ありがとうございます! 開けてもいいですか?」
「ああ」

 笑顔を浮かべて紙袋に手を伸ばす彼女を横目に、上着を脱いで椅子の背もたれに掛ける。
 長方形の少し厚みのある箱を取り出した彼女の表情が、ちょっぴり固くなった。一瞬だけこちらを見上げたのがわかったが、それに気付かないふりをした。
 恐る恐る箱を開く名前。現れた新品の光沢を放つ万年筆を見て瞼を二、三度瞬かせる。「ディアボロさん」……何を言い出すかは見当がついている。

「すごく……高そうで……あの、私……」
「貰ってくれ」
「本当に貰っていいんですか……。つ、使えない……こんなの……傷とかつけるの怖い……」

 プルプルと大袈裟に震えながら箱を閉じる名前が、大切そうにその箱を抱きしめる。万年筆など貰った経験がないのは明白だった。確かに安くはないが、だからといって高価すぎるわけでもない。……まあ今回渡したものは限定生産品だったので値段は軽く十万を越えるが、半端なモノを渡すわけにもいかないからな。言わなければ高価かそうでないかなど、今はわからないだろう。もう少し成長して物の価値をわかるようになれば何か言われるかもしれないな。

「今は使わなくても、いつか……いつかオレの秘書として隣に立った時に、スーツのポケットにでも差しておけ」
「は、はい!」

 おまえはいつも素直に返事をするが、意味はわかっているのだろうか。
 口約束にも満たないものだ。だというのに期待してしまうあたり、オレもこの世界に絆されたなと笑えてくる。
 おまえは、将来はオレの秘書になる気が少しでもあるというのか。大人の言葉をよく訊かずに返事をすると後悔することになるぞ。
 警戒心のなさに呆れるべきか、それだけ信頼されていることに喜べばいいのか、複雑な場面だった。

「大切に保管しておきます! ありがとうございます、ディアボロさん!」

 しかし……紙袋に箱を戻した名前の笑顔を見てしまえば、色々なことがどうでもよくなってしまった。

 ──この時のオレは思ってもみなかっただろう。本当に名前が、秘書として横に立つことになることも。若さ故にまだ着られているスーツの胸ポケットに、今日この日に渡した万年筆が差し込まれていることも。


2023.01.22