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電子の幻、目を惹いて

 現世視察なんて数年ぶりだし、実家にも何年も帰ってないし……それどころか現世にも何年も戻ってないので少し緊張する。
 巫女装束と浴衣以外のもの……洋服を着たのは本当に久しぶりだ。気温と動きやすさを考えて無難なものにしたが、洋服の自分の違和感がすごくて姿見の前で何度も確認してしまう。
 今剣をしまうためにボディバッグを持ち歩くため、バランスを考えてストリート系のものを選んだのだが……変じゃないかな……。

「主、準備できた?」
「あ! 清光いいところに!」
「なに?」

 そこへ現れた救世主、名を加州清光。
 開けっぱなしの自室の襖の向こうから顔を覗かせた彼は、わたしの言葉に首を傾げていた。
 すぐに彼の前でくるりと回って見せる。するとどうだ、察しのいい清光はわたしの頭のてっぺんから足の爪先までをじっくり見て……うんと頷いた。

「似合ってるよ」
「本当?」
「本当。でも暑いから髪は纏めなよ。やってあげるから後ろ向いて」
「ありがとー」

 清光が姿見の横に置かれた棚からヘアゴムとブラシを取り出してわたしの髪をサッと纏めてくれる。
 手際のいい清光。手先が器用な清光。わたしの大切な初めての刀。わたしにとって特別な彼。
 一分もしない内に纏められたポニーテールの重みに嬉しさが込み上げる。「行くよ、二人とも待ってる」軽く肩を揉まれ、リラックスしたわたしの背中を押す声。
 行かなくちゃ。もう時間だ。

 本丸の門へ向かうと戦装束を纏った今剣と稲葉江が待機していた。それと門番を頼んだ長谷部。あと門番をしたいと名乗り出た多数の男士たち。
 こんな人数に見送られながら出かけるのもなかなかない経験だ。なんだか落ち着かないや。

「主、どうかお気をつけて」
「大丈夫だよなんもないって。みんなをよろしくね、長谷部、清光」
「行ってらっしゃいませ」
「うん、行ってらっしゃい」

 自身と今剣と稲葉を囲むように足で地面に円を描く。今だと霊力を込めると行き先を変えられる、某猫型ロボットが出す秘密道具みたいな扉があるらしいが……わたしは最新テクノロジーよりこういうオカルトじみたやり方のほうが好きなのでずっとこのままだ。
 頭を下げる者、じっと見守る者、手を振る者……個性豊かな男士たちに見送られながら、わたしは霊力を込めて印を結んだ。
 一瞬の浮遊感。目に映る全てがぼやけてぶれて、数秒後に晴れる。
 いわゆる瞬間移動。到着したのは時の政府本部前。今剣は久しぶりの感覚に楽しそうにしていたが、稲葉江はなにが起きたのか分からないといった感じで周りを見回していた。

「わーい! つきましたね、あるじさま!」
「久しぶりにやったからちゃんとここに飛ぶか心配だったよー」
「……おい」
「冗談だよ。それじゃ手続きしようか」

 歩き出したわたしについてくる足音二つ。
 現世視察へ行く審神者はかなりいるらしく、わたしと同じように洋服に身を包んだ人間が本部へ入っていく。連れている男士も様々で、それぞれの本丸にそれぞれの物語があることがうかがえた。他の審神者はどんな理由で、どんなドラマがあって、連れて行く男士を選んだのだろう、と。
 本部へ足を踏み入れ、審神者専用の窓口へ向かう。簡単な手続きを済ませて、通行証という名の通信機を受け取る。これがあればどんな時でも本部へ飛べるのだ。
 それから今回の現世視察の細かい内容の説明。なんでも、現世の人間の霊力を狙った襲撃事件が最近立て続けに起きているそうな。
 人間の持つ霊力は審神者になる際の儀式を経て初めて使えるもの≠ニして開花するのだが……開花する前の霊力を喰らってなんの得があるのだろう。大したエネルギーはないはずなのに。

「視察は三日、宿泊はこちらが手配しております審神者専用のホテルをご利用くださいませ。三日なにもなければお戻りください」
「わかりました。通行証はその時に返却で大丈夫ですか」
「はい、こちらに返却をお願いします。それと付き添いの方の服装なのですが……こちらのカタログを」

 受付の人に差し出されたファッション雑誌をペラペラめくり、そのまま後ろで控える稲葉江に渡す。
 ちらりと現世へ繋がる扉を見れば、稲葉江を連れた男性の審神者が施設へ入ってくるのが見えた。偶然か必然か……稲葉江を連れた審神者が入れ替わりで現世へ行くわけか。
 三日も東京でぶらぶらするのか……。二十三世紀の東京は、出来ることが多すぎて逆に何もできない未来都市。歩いているだけで疲れる街だ。
 適当に観光気分でいればいいかな……。なんて考えて今日からの三日間を憂いていると、後ろから小さく声をかけられる。

「いつも通りでは駄目なのか」

 もちろん声をかけてきたのは稲葉江だ。彼は雑誌を開いたまま、不満そうな視線をこちらに向けている。

「いつも通りって、あの?」
「ああ」
「……暑いと思うよ」
「構わん」

 いつもの、すなわち本丸で非番や内番の際の格好。薄いインナーとパーカーを纏った全身真っ黒のあれだ。
 本丸でならばともかく、現世の都会であの格好はさすがに……とは思うけれど、本人がそう望むなら……。

「……同じじゃなくて似たようなもので固めてもいい? 多分上着はフードついてないし、中もTシャツになると思うけど」
「構わない」
「じゃあ決まりで」
「お決まりでしたらあちらの刀剣男士用更衣室へどうぞ」

 雑誌を受付の人に返し、通行証をボディバッグに入れ、今剣と稲葉江とともに指定された部屋へ向かう。
 刀剣男士更衣室という手書きの看板が扉の前に置かれた部屋の中に足を踏み入れる。中には多数の審神者と刀剣男士がおり、みんな刀剣男士の服を吟味していた。
 わたしは棚に並ぶ数百という種類の衣類から稲葉江が望んだかたちを叶えるものを選んでいく。
 メンズカジュアルってやつ? 透けないけれど薄手の黒いカーディガンと……裾は長すぎない黒いパンツと……あとは全身黒だとやばいから白いTシャツ。
 ほいほいと稲葉江に持たせて背中を押し、ボックス型の更衣室へレッツゴー。稲葉江は戸惑いながらも何事も受け入れてスマートにこなすのだから優秀だ。
 数分の沈黙の後に、更衣室のカーテンが開いて中から稲葉江が現れる。きっちりかっちりなイメージの戦装束とは真逆の姿。ゆったりとした現代の洋服を纏った彼のなんともいえない色気に胸が高鳴る。ラフな格好だから堅苦しい髪型は似合わないと思ったのか、髪を少し乱して垂らしている。
 うーん、予想以上にかっこいいな。

「……これでいいのか」
「わあ、とってもにあってますよ!」
「すごくかっこいいよ。熱中症対策に帽子も被ってね」

 仕上げとでもいうように黒いキャップを頭に乗せると、少し照れくさそうに鍔を掴んで深く被った。
 準備はできた。いざ行かん。
 脱いだ戦装束を施設内のロッカーに預けたら、打刀サイズの刀袋を借りて現世へ通じる扉の方へ。
 なんの変哲もないただの扉。この向こう側はわたしが住んでいた現代の日本。その中心、東京。
 稲葉江が本体である刀を袋に入れ、肩にかける。今剣はわたしが差し出した手のひらに刀を置いて姿を消した。短刀の今剣をボディバッグに大切にしまう。

「行こう」
「……緊張しているのか?」
「なんで?」
「そう見えただけだ。なにもないのなら、それでいい」

 見透かされている。やっぱり嘘はつけないな、この刀には。
 他の審神者と共に行こうと思ったのだが、稲葉江の顔を見てハッとしてすぐに持ってきた荷物からとあるものを取り出した。マスクだ。しかも黒いやつ。
 それをハイと手渡すと、稲葉江は不思議そうな顔をしてこちらを見下ろした。

「なんだ」
「マスクつけて。稲葉江は目立つから」
「……」
「お願い」
「……わかった」

 なぜマスクをつけさせたいのか、単純な話だ。かっこいいから、それに尽きる。
 稲葉江はかっこいい。ものすごくかっこいい。ナンパ対策だ。マスクしていてもカッコ良さは隠しきれてないが、ないよりマシだ。
 彼がマスクをしっかり着用したのを確認して、わたし達は現世への扉を開いた。
 一瞬感じた冷気は、時の政府が審神者と刀剣男士にかけるまじないだろう。このまじないのおかげで抜刀した刀剣男士に認識阻害の力が働き、一般人にはぼんやりとしか見えなくなるのだ。
 冷気を振り払うように、一歩、二歩と足を進める。
 景色に大差はない。審神者たちの集う時の政府の本部施設から、現世の政府本部へ移動しただけだから。
 しかし肌に感じる空気の淀みが、ここは神の集う場所ではないことを教えてくれる。
 現世の時の政府本部……もとい、東京都最大の施設である市役所から出る。久しぶりの東京はやはり人でごった返しており、ビルや空に浮かぶ電光掲示板が激しく広告を打っていた。

「……ここが、現世」
「変なところでしょ」
「人が多すぎる」
「東京だけだよ」

 稲葉江がキョロキョロと周りを見渡す。刀の記憶にある日本とは随分と違うだろう。
 建っている城は城の形を模した別の建物だし、小判はもう使わないし、馬だって走らせない。何より誰も帯刀していない。銃刀法がある。
 茹だるような暑さ。人工的に作られた風。電子とコンクリートに覆われた世界に植物はほとんどない。
 とりあえずホテルの場所を確認しよう。仕事用携帯端末にインストールしてある地図を頼りに歩きだす。

「稲葉江、離れないでね。迷子になったら探せないと思うし」
「我は霊力から場所を感じられる。心配するな」
「あ、そうなの? なら大丈夫かな」
「……しかし、逸れるのも面倒だ」

 視線を合わせてくれない稲葉江。けれど彼の片手がカーディガンのポケットから出ているのを見て察する。
 ははーん? つまり? 手を繋ぎたい?
 ニヤつく顔を心の中でビンタして唇を一文字に縛る。戦場とあまりにも違う世界に少し不安なのかもしれない。そりゃそうだ、周りにいるのは時間遡行軍でもなく、刀剣男士でもなく、ただの人間ばかりなのだから。
 端末を持つ手とは真逆の方の手のひらを彼に差し出すと、稲葉江はフンと鼻を鳴らして手を握ってくれた。わたしが手を繋ぎたいっていうから仕方なくやりました、みたいな態度。でもそれでいい、それがいい。心は通じている。

 ホテルを目指して歩くこと十分少々。
 未来都市東京の暑さに音を上げたわたしは、早々に地下鉄街へと避難していた。
 地下鉄街は東京の真下にある東京のもう一つの顔。地上が太陽ならば、地下はさながら月だろうか。涼しくて過ごしやすく、もちろん地下鉄も通っているので、地上の倍は人がいる。
 壁一面の電光掲示板と天井のプロジェクターなどの機材から照射されるホログラムの景色には目を見張るものがあり、この国の最先端技術を詰め込んだような世界だ。

「ちょっと休憩」
「体力が無さすぎる」
「う……。そ、それは自覚してますので……」

 地下鉄街の真ん中の広い空間。偽物の巨木を囲むように置かれたベンチに腰を下ろし、ここへ来るまでに買った缶ジュースをグイッと仰ぐ。
 冷たくておいしい……。
 稲葉江も飲むかとジュースを向けるが、首を緩やかに横に振ったのでそのまま全部自分で飲んだ。
 もう少し休んだら地下鉄に乗ってホテルに行こう。あんまり急いでもやることないだろうし。
 視察とは名ばかりの旅行だ。時間遡行軍が潜んでいるのは確実だろうけれど、四六時中警戒して過ごすなんて絶対に無理。
 あらゆる審神者はほどほどに℃d事をするに決まっている。現に視界に入ってくる何名かの男女は確実に審神者だ。隣にはウチにもいる刀剣男士を連れているし、大体の男士は荷物持ちをしている。
 わたしも何か買い物してからホテルに行こうかな……と考えた時だった。
 ふわりと背後から桃色の花びらが舞ってくる。
 驚いて振り向くと、偽物の巨木は桜を咲かせていた。まさに満開。時折ざわざわ揺れて花びらを無機質な空間に散らしていく。

「……これは」
「全部偽物だよ。ホログラム。バーチャルリアリティってやつ。東京には植物がないから、こうやって造ってるの」

 稲葉江がひらひらと落ちてきた花びらを拾うように手のひらを出すが、それは彼の手に触れることなくすり抜けて消えていく。
 現在の季節が夏だからだろう。確かこの空間はひとつ前の季節を映し出すように作られているはずだ。
 風もないのに枝が揺れて桜吹雪を作りだす。降り注ぐ花の雨の中で巨木を見上げる稲葉江の姿がとても儚く見えたのは気のせいであってほしかった。
 目を離したら消えてしまいそうで、思わず彼のカーディガンの裾を握る。すると稲葉江は不思議そうにこちらへすぐ視線を落とし「なんだ」と無愛想な言葉をくれる。

「あ、いや……。綺麗だよね、バーチャルでも」
「ああ、良い景色だ。花は散り際が最も美しい。よく再現している」

 目を細めて桜を見つめるその横顔がわたしにはとても遠く見えた。こんなに近くにいる。触れている。それなのにとても遠くて、少し寂しく感じた。
 ああ、なんだか、恋をした相手を隠してしまう刀剣男士の気持ちが少しわかるかも。わたしにもそんな力があったら、稲葉江をどこにも行かせないように閉じ込めたくもなる。
 わたしはどうやらわたしが思う以上に彼にご執心らしい。
 人は気持ちが繋がると、もっと強欲になるんだな。

2023.04.30