夏の暑さに勝てはしない
それは夏のこと。
気温はぐんぐん上昇し、茹だるような暑さに扇風機だけでは厳しいと嘆いていた。
執務室の襖も窓も全開。扇風機の風力はもちろん強。部屋に飾った風鈴が時折、透き通るような音を奏でる。
まさに風流だ。状況だけなら。
「あ、暑い!!」
「おやおや、いけませんよ主さま。女人がそのような……とてもはしたないことです」
「仕方ないじゃん! 暑いの! なんで古今は平気なの!?」
「わたくしは刀でありますので……」
「納得できない!」
本日の近侍である古今伝授の太刀は、巫女装束の袴の裾をパタパタさせて暑さを紛らわせるわたしに柔らかく注意をした。しかしその程度でわたしがやめるわけない。注意される前よりも激しく裾をバタつかせ、蒸れた内側へ空気を運ぶ。それでも暑い。そもそも巫女服が暑い。襷掛けしてて布が重なっている部分はもっと暑い。
引き出しから数年前に夏祭りで買った扇子を取り出して思いきり仰ぐけれど、この程度で汗が引っ込むはずもなく。髪をまとめて首元も出しているのに全然ダメだ。
しかし、同じ空間にいるこの刀はどうだ。
暑そうな戦装束。長い三つ編みを垂らし、涼しい顔をして正座している。
刀だから暑くないなんてそんなわけがない。窓の外を見ればわかる。みんな暑そう! 本丸を少し歩けばわかる。みんな伸びてる!
確かに何人かは暑さって何?≠ンたいな感じだけど……だいたいの刀剣男士は夏の気温にやられている。
「クーラー……なんでクーラー設置されないの!? これ毎年言ってるんだけど! 毎年要望出してるのに!」
「良いではありませんか。致し方のない理由があるのです。……それにしても、こんにちの主さまはまるで赤子のようですね」
あやして差し上げましょうか? なんてくすくす笑いながら、軽く握られた手を振る古今。
その手の動きはまさか……ガラガラを動かしているつもりなのか……?
いつもならそれに乗って泣き真似のひとつでもしてやるのだが、今日はそんな元気がなくて机に上半身を預けた。
暑いのも寒いのも苦手だ。どっちも動きたくなくなる。
実は今もサボ……ではなく、暑くて動けないからという理由で書類は一切目を通していないし判も署名もしていない。所作の注意はするのにこういうことは口出ししない古今もどうかと思う。気が楽なのは確実なんだけど。
「はー……涼しいところ行きたい」
扇風機の風を浴び、時折響く風鈴の音に耳を傾ける。古今も同じように瞳を閉じて風流を感じていた。
そんなのんびりした時間を過ごしていたわたしたちの元へ、可愛らしい足音が聞こえてくる。階段の軋む音がして慌てて机に伸ばしていた上半身を起こすと、古今はまたくすくす笑っていた。
開けっぱなしの執務室の襖の陰からひょっこりと顔を出すのは……髪をポニーテールにした乱藤四郎だった。
「主さん宛にお手紙きてたよ!」
「お、なんだろ」
「珍しいですね。郵便物が届くような時間帯ではないでしょうに」
本丸の前に郵便受けはあるけれど、ここに直接配達員が来ることはない。本丸は特別な次元にあるので、同じように特別な力で届けられるのだ。
そして届けられる時間は毎日決まっており、近侍の刀剣男士が朝に確認することになっている。今日ここに並んでいるいくつかの書類も、古今が持ってきてくれたものだ。
それにしても……予定外の時間に届くってことは、内容はきっとただ事ではない。面倒なことだったら嫌だなあと思いながら乱が持ってきてくれた手紙を受け取ると、彼はそれだけだからと笑って階段を降りて行った。
受け取った手紙の送り主はなんと政府。ますます嫌な予感。
「……なんだと思う?」
「さあ、わたくしには何とも」
古今は一緒にはらはらドキドキしてくれない。
緊張の面持ちで封を切って中から一枚の紙を取り出す。うう……説教や注意タイプの手紙だったらどうしよ……。
恐る恐る手紙を開いて中を確認すると……堅苦しい達筆な文字と想像の何倍も気落する言葉がたくさん並んでいた。
「その様子だと、どうやら凶報のようですね」
げっそりした顔のわたしを見て、古今が目蓋を伏せて肩を落とす。
内容はあまりにも簡潔。現世視察。わたしが一番やりたくない仕事。なぜならつまらないから。それに今の季節の都会はマジで暑い!!
そして何よりこの仕事は刀剣男士を一人以上必ず連れて行かなければならない。現代の服装も、本体である刀を隠すものも、何もかも窮屈そうで見ていて辛いのだ。
あと単純に本丸を留守にするのが嫌。審神者会議と違ってすぐ帰れるわけでもないから本当に本丸で何かあったらと考えると不安だし。
深い深い溜息を吐いたわたしを見て、古今はそっと瞳を閉じた。
「人はいさ心も知らずふるさとは……花ぞむかしの香ににほひける」
「えー?」
「ここへ残る刀の心配はせず、どこへなりとも行ってください。主さまの帰る場所はずっと此処にありますから。……失わせはしませんから」
古今が言いたいことはなんとなくわかる。わたしがいなくても何も悪いことは起きない。だから気にすることなく視察へ行けという彼なりの励ましだ。
彼が背中を押してくれたのでちょっとだけ勇気が湧く。とりあえずやるか……。
机に書類を起き、筆ペンを取り出して署名。あとでこんのすけを呼んでこれを政府に提出してもらわなければ。
丁寧に折り直して封筒にしまう。夕飯時にこのことをみんなに話しておかないとね。
「……そういえば古今、なんで戦装束なの」
「こちらの方が些か涼しいので」
「やっぱ暑いんじゃん」
「暑くはありません」
そりゃ近侍の時の服装なんて戦装束だろうが内番服だろうが本人の気分で決めて良いとは言っているけれども、今日その格好なのは暑いからでしょ。何度問えどもイタチごっこになるのは目に見えているのでこれ以上は何も言わなかった。
◇
夕飯時。広間に全ての刀剣男士が集まる時間。
歌仙と光忠を中心に、炊事の手伝いができる男士たちが作ってくれた夕食に舌鼓を打ちながら、普段通りの賑やかな時間を過ごしていたのだが……酒が入る前に言っておくべきだろうと思い立ち、わたしは挙手をしてみんなに呼びかけた。
「ちょっといいかな! 大事な話なんだけど」
呼びかけにすぐ耳を傾けてくれるのはいいが、一斉にこちらへ視線が向くので少し緊張。
慌てて食べながらでいいからと言葉を付け足せば、半分くらいの男士から視線が外れるのでほんの少しだけ気が楽になる。
「明後日に現世視察がある。一緒に来てもらう刀を決めたいんだけど……」
現世視察と付き添いの話にざわつく面々。それもそうだ、最後にそれがあったのはもう何年も前。現世視察という特殊な仕事があることを知らない刀も多いだろう。
連れて行くのを誰にするか悩んでいることを真っ先に察したのは、やはり一番わたしを主として慕ってくれているへし切長谷部。スッと長い右手が天井へ伸びる。
「主、俺が行きます」
「あー、悪いけど長谷部は留守番」
「クッ……しかし……!!」
「あと清光も」
「俺も?」
悔しそうに歯を食いしばりながら腕を下ろす長谷部。そして突然の指名にきょとん顔の清光。
二人は必ずここに残ってもらいたいのだ。一番信用しているからこそ。
「二人が本丸の門を守っててくれてるって考えたら安心感すごくて」
「えー、なにそれ。嬉しいこと言ってくれるじゃん」
「この長谷部、主のご帰宅まで門前を離れないことを誓います」
「そ、そこまでしなくていいけど……よろしくね」
帰宅が何時になるかわからないのにそんなこと言えるなんてやっぱり長谷部はすごいや。もしかしたら夜通し居るのでは……? いや、長谷部なら本当に動かなさそうだから出かける前に清光に長谷部のこと頼んでおかないと。
あとは連れて行く刀だな……。懐に入れておく短刀が一振と、もう一振は……うーん。
悩みながらご飯を口に運ぶと、音もなく手が挙げられた。かなり遠いところに座っている刀だがあれは……。
「主人、此レにも門を守ル役目を」
「え、人間無骨も? 珍しいね」
「ほう……ではこのじじいにも門番をさせてはくれないか?」
「え、三日月も?」
「主殿! 拙僧も門番を務めさせていただきたい!」
「山伏も!?」
三人も名乗り出ればもうてんやわんや。じゃあ俺もじゃあ僕もと手が上がり騒がしくなる食卓。
いや、あの、まって……みんなこれだけじゃないから……仕事頼まれたいのはわかるけどこれだけじゃないから……! みんなに門番を頼みたいのは山々なのだが、それだと門の前に刀剣男士が並びすぎて威圧感やばいから。
譲らない、譲れない戦いが始まりそうな騒がしさは嫌いじゃない。
それに役目が欲しい男士たちだけでなく、じっと黙ってる子も興味なさげな子も黙々とご飯を食べている子も多い。個性豊かな面々に、不思議と審神者なりたての頃を思い出す。刀……いいや、家族が増えたな。あの頃よりも。
立ち上がる者が数名現れたので清光が「はいはいストーップ!」と手を叩いて呼びかけ、みんなを静かにさせた。いやあ、頼れるのはやっぱり付き合い長い初期刀だな。
「もー、主がまだ話してるのに熱くなりすぎ」
「ありがとね清光」
「俺はいいから早く誰を連れて行くのか言いなよ」
「うーん……」
ま、まだ決めてないとは言えない雰囲気。
とりあえず全員の顔を見て……楽しそうにご飯を食べ続ける一振と、わたしが食べていないからか手を止めている一振が目に入った。あの子たちにしよう。
「連れて行く懐刀は今剣。付き添いは……稲葉江で」
指名された二人はわたしに視線を向ける。
今剣は口の中にあったものを飲み込んでから「がんばります!」と宣言。もう一人はなにも言わずに瞳を閉じていた。隣に座る豊前江や松井江にちょっかいをかけられているのが見える。
今剣はうちで一番古株の短刀だし、それだけ練度も高い。稲葉江は……まだ審神者会議にも現世視察にも行ったことがない男士だから良い機会だと思って指名した。け、決して贔屓ではない。
「詳細は明日知らせるね。出発は明後日の午前九時。早起きしてね」
「はい、あるじさま!」
「承知した」
連れて行く刀も決まったし、とりあえず……現世視察でなにもないことを今から願うしかなかった。
2023.04.20