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◇ あなたと私の終わり方 ◇


「ボス、怯えてるんですか?」

 それは、まるで嘲笑するかのような、無邪気な声だった。

 繰り返される死の中で、オレは何度も何度も救いを求めた。当然だが、誰もオレに手を差し伸べることはない。
 幾度となく迫り来る恐怖。痛みはもう慣れるしかなかった。ここには誰もいないのだ。オレを知る者も、オレが知る者も。ドッピオもいない。そう絶望していた。
 この瞬間までは。

「……おまえは、」

 頭を抱えて蹲るオレが顔を上げると、そこには見慣れた女が立って……いや、浮かんでいた。
 オレの顔を覗き込むように、逆さまの状態でそこにいた。
 驚いて後ずさると、女はケラケラ笑いながら、その足を地につけた。

「もう、ボス。そんなに怖がらなくてもいいじゃあないですか」
「おまえ、おまえは……なぜ、ここに」
「干渉を許されました。徳は積んでおくものですね。神さまは存在しますよ」

 天を指差すそれを追って空を見上げるが、不気味なほどの赤い空が見えるばかり。
 名前はいま、神と言ったか。神を信じる素振りなど一切見せなかっただろうに。いや、そんな事はどうでもいい。重要なのはなぜ、死んだはずの名前がここにいるのかという事だ。おまえは確かに、リゾットに殺されただろう。
 それに、だ。この空間はただの空間ではない。ジョルノ・ジョバァーナのスタンド能力によって作り出された永遠の死の世界だぞ。
 怪訝な顔をしてじっと見つめるオレに、名前は生前と変わらぬ笑顔で語る。

「私の故郷には、こういう物語があります。地獄に垂らされた一本の蜘蛛の糸の話です。登れば天国へ行けるらしいです」
「……何が言いたい」
「今の私は、あなたにとっての蜘蛛の糸なんですよ」

 ニヤリと口角を上げる名前に、言い得のない不安を煽られる。こいつは本当にオレの知る名前なのだろうか。もしかするとこれもレクイエムの見せる幻ではないのかと。
 何も言わず硬直したままのオレの頬を撫でる手。思わず肩が震えたが、名前はただ愛おしそうな目を向けるだけだ。

「ボス。私から、目を離さないでくださいね」

 名前の片手が空気を裂くように動いた直後、けたたましいクラクションの音がした。慌てて振り返れば、大破した自動車がある。何をしたと名前を再度見れば、「轢かれそうだったので」とだけ。どうやらオレはあの自動車に轢き殺される予定だったらしい。……が、名前の能力によって免れた、と。

「行きますよ。ちゃんと地獄に落ちてくれなきゃ困ります」

 未だ地面に手をついたままのオレを名前が立たせて走り出す。
 ちゃんと地獄に、か。オレにとっては、ここも充分地獄なんだが。それにおまえは先ほど天国へ行ける蜘蛛の糸の話をしただろう。それなのにオレを地獄へ落とすのか。
 言いたいことは山ほどあったが、先を行く名前の楽しげな笑い声にかき消された。

「あなたを見つけるまで八回も気持ち悪くなりました。景色に溶け込むのがお上手ですね」
「……無駄口を叩くな」

 運転手のいない車が飛び込んでくるが、名前はなんてことないと手を動かして能力でハンドルを操作する。指揮をするように、すらりと伸びた指が宙をなぞる。

 いったいどれくらい走ったのだろう。名前は一切、呼吸を乱さない。オレが疲れたとこぼせばズボンと靴を操作して強制的に走らせる。そんな事もできるのかと感心する余裕はなかった。
 一度とならず何度も死を阻止されたことで空間が歪んでいく。阻止された死を修正するように、あらゆる手段で、世界がオレを殺そうと躍起になる。……が、名前はそれを良しとしない。
 名前のスタンド能力テイキング・オフ≠ヘ彼女を中心とした半径十メートル以内の、彼女の体重よりも軽いものを自在に操ることができる……だったか。記憶にある名前の力は曖昧だが、当たらずとも遠からずだろう。
 だからこそ少し引っかかるのだ。名前が操作するものの範囲も、重さも、制限を超えているのではないかと。名前の体重など知らないが、その年齢の平均的な体重ならばだいたい予想がつくものだ。

「おっと……あぶない」
「ッ!」

 オレを護るように持ち上げられたレンガや壊れた傘は酷く頼りないが、それらが災難を振り払うのもまた事実。先ほどの自動車を逸らしたのもそうだ。車そのものは操作条件の範囲外だが、車の一部……ハンドルは、名前の体重よりも軽く、回すだけだから楽に操作できただろう。
 オレはこの名前の能力を己の脅威として見てはいなかったが、使い方次第で恐ろしい顔も見せるのだという事を実感する。

「……!」

 倒れてきた街灯に気を取られて足を止める。周りにこれを支えられるだけのものは見つからない。また死ぬ……そう思ったが、突如横から飛んできたゴミ箱によって逸れ、大量のゴミが舞い散る。この量は明らかにおまえの体重を超えているだろう……そんな悠長なことを考えていると、街灯が横切ってアスファルトに落ちた。

「足を止めないでください。時間がありません」

 呆然としているオレの手を取り、名前が走り出す。
 時間がないとはどういう事なのだろう。急ぐ足。時折振り返ってオレを見る名前。まだそこにいると確認しているようにも見えて、オレは怪訝な顔をするばかりだ。
 ──災厄はどんどん大きくなる。
 飛行機が落ちてきたときはさすがの名前も混乱した顔をしていた。捨てられていた衣類や干されている洗濯物を纏って物陰に隠れたことで、墜落による爆風から逃れることができたが……。
 小さかった死の手段は少しずつ大振りになり、まるで、そう、焦っているかのようだった。
 もう直ぐで街の外に出る。オレは知っている。この街を。この街は名前の暮らしていた……。

「……邪魔」

 名前が立ち止まり、両の手をゆっくりと持ち上げる。アスファルトが剥がれて持ち上がるのを見て、やはりこの場所では名前のスタンド能力が強化されていることを改めて思い知る。これはレクイエムの力の影響なのだろうか。
 剥がれて歪な形のアスファルト同士をぶつけて角を作ると、名前は正面へ向けて放つ。対峙するのは人の形をした泥のようななにか。ついに世界は、オレを殺す手段を現象から人的なものに変えたらしい。
 泥人形は抵抗することなく名前のアスファルトに貫かれて地面に散る。意外にもあっさりと倒れた相手だが、名前は警戒を強める。飛び道具として更にアスファルトを剥がし、側に浮かべていた。

「なんなんだあれは……」
「急ぎます。いつまで対処できるかわからないですし」

 確かに、また同じようなモノが現れた時、同じように呆気なく倒れてくれるとは思えない。
 ストックしているアスファルトを横目で見ながら、名前の後ろ姿を追いかける。
 ……こんな風に、護られながら走ることがあっただろうか。表に出ず、隠れながら生きていたオレには護衛される経験などない。護衛など必要ない。
 走ること数分、再び名前が立ち止まる……が、躊躇いを捨ててそのまま走る。名前の能力の範囲から外れないよう、オレもそれに着いて走った。
 泥人形が構える。「退け……!」名前が側にストックしていたアスファルトを全て放ち、泥人形を破壊するが……二度目はそう上手くいってはくれないらしい。飛んでくるアスファルトを数個避けると、腕のような部分から泥を発射してくる。もちろん名前は飛んできた泥を操るだろう……と考えていたのだが、立ち止まり、落ちていたゴミ箱の蓋でガードをするだけだった。

「おい、あれくらい打ち返せないのか」
「力の上書きはできません」
「上書き?」
「テイキング・オフだって便利じゃあないんですよ。誰かが使っているものを横取りはできません。相手が能力者であればの話ですが」

 ……なるほどな。だからこそおまえはリゾットを相手に惨敗したのか。死体の状態を思い出して何も言えなくなる。
 ただの一般人の銃は奪えるが、能力者による能力で作られたものは不可能。ただしその支配を免れたものであれば操作は可能ということだろうか。いや、まて……そうだとしたら……。

「おい、車はどうなんだ。あれはこの世界そのものが動かしているものだろう」

 この世界そのものがスタンドの能力によって作られたもののはずだ。上書きできないのなら、なぜあの車も、今まで操ってきたものも、簡単に。
 名前は両手を泥人形を覆うように作り、握りしめる。すると恐ろしいことに、泥人形は何かに押し潰されるような動きをしてそのまま弾けて消えた。何をした? 見ればわかる、空気で押し潰したのだ。レクイエムの世界での限定的な力の超越であって、生前の名前にはできない芸当だとしても……見る目が変わるのは確実だった。

「車に関しては動かしてるのは本体ではなくハンドルのみですし。他は世界の一部であって力の影響を受けてませんから」
「……納得いかん。屁理屈だ」
「そうですか?」

 空気を使って敵を押し潰すなどという鬼畜の所業をやってのけたというのに……けろりとした表情で振り向くな。

 再び走ること数分、もう限界だと訴えようが名前は無表情で振り向くだけだ。「まったく情けないですね」ひょいと指先が宙をなぞって脚を強制的に動かされる。このディアボロをここまで馬鹿にするのはおまえくらいだろう。怒る気にもなれないのはこの世界の影響か、それとも疲労故か。
 前を走る名前が姿勢を低くしたのを見て敵の出現を察する。新たな泥人形だ。特になんの変哲もないが、今度はなにをしてくる。
 同じように壊すつもりだろう、名前が両手を前へ。しかし、今度のはまた少し毛色が違うらしい。
 名前が手を閉じる直前にその姿が消えたのだ。逃した、と名前が足を止めた瞬間、泥人形は名前の足元から現れる。「ッく!」泥は脚から腰へ、腰からそのまま上半身を覆っていく。

「名前! ……なッ!?」

 他人を心配している暇などなかった。オレ自身の脚にも泥が絡み付いている。
 こちらの泥は名前のものほど悠長ではなく、そのまま長く伸びてオレの鼻と口を泥で覆ったのだ。呼吸のための器官が同時に塞がれ、必死になって取ろうとするが泥をつかめるわけがなかった。
 い、息が……! 息が、できないッ……!
 視界が少しずつぼやける。どうやらここまでのようだ。この場所では、オレは本来どうやって死ぬはずだったのだろうか。少なくとも抵抗しなければ、こんな風にはならずに済んだのか?
 泥を掻くが無意味だ。手が濡れるだけ。ああ、もうダメだ。
 諦めかけた瞬間に、口元を覆っていた泥が飛ぶ。

「私のもの……誰にもあげない……」

 低い声が鼓膜を揺らす。その声が誰のもので、オレは誰に助けられたのかなどわかりきっていることだ。
 泥で全身を拘束されているというのに、名前はオレの呼吸を阻害する泥を除けてみせた。その瞳に宿るのは怒りと、暗いなにか。思わずぞわりと強張る身体に、内心否定する。ただの小娘だ、なにを怯えているのかと。
 名前は泥の中から指先を出して軽く引くような動作をする。瞬間、泥が全て弾けて消えた。何をしたのか、どうやったのかなど聞く余裕はなかった。いつでも殺せると思っていたはずの矮小な小娘が、今は少し異質に見えた。

「……ボス、大丈夫ですか」
「あ、ああ……」
「本当ですか? 震えてますよ」

 誰の、せいだと。

「にしても……いい加減、相手にするのが面倒になってきました」

 面倒の一言で片付けられるほど、アレは今のお前にとっては取るに足らない存在だというのか。
 ……いいや、違うか。キング・クリムゾンのない今のオレ自身が、弱すぎるだけか。なにか腑に落ちて自嘲する。
 ここには身を守る術を全て奪われた弱い男と、己の力をを超越した女がいるだけだ。そして無力な男を殺そうとする世界があるだけだ。
 だが、剥き出しになった弱い場所を執拗に責め立てることを、この小娘は許さなかった。

「もっと走りますよ、ボス!」

 ああ、おまえが。おまえだけが、オレを閉じ込めたこの世界に初めて現れた救いそのものなのか。
 こんな状況で、おまえは何故そんなに笑えるのだ。
 こんな状況で、おまえは何故そんなに楽しそうなのだ。
 こんな状況で、おまえは何故そんなに幸せそうなのだ。
 手を引かれて走る名前は、生前は一度も見たことがないような光をまとっていた。一歩間違えればまたオレは死んで、そうなれば名前はまたオレを探さなければならない。
 それなのに、なぜおまえは。
 オレはやはり、おまえのことがわからないままだ。ドッピオならばわかるのだろうか。



 ひゅう、と吹き抜ける生ぬるい風が髪を舞い上げる。肌に粘りつくような気持ちの悪い温度に一歩後ずさるが、それを名前は許さず、オレの手首をがっしりと掴んだ。

「ギリギリでしたね。着きましたよ」
「これは……なんなんだ」
「この世界の出口で、地獄の入り口ですよ」

 足を止めた名前が、涼しい顔をして一息つく。眼前に道はない。あるはずの道はなく、切り取られているかのように、綺麗に何もない。地平線も、なにも。真っ暗な無の空間が広がっているだけだ。異様なその世界に息を飲む。

「……レクイエムに終わりはない筈だ」
「神はいますって言いましたよね」
「その神とやらが本当に存在したとして、何故オレを助ける」
「理由なんてどうでもいいじゃあないですか、こうして助かるんだから」

 助かるっていうかもう死んでるけど、と一人で気づいて笑う名前を横目に思考する。神は何のために、オレを死のループから助けるというのか。自分で言うのもアレではあるが、ロクなことはしてこなかった自覚はある。少なくとも誰かに……神なんぞに、救われるような人生ではなかった。

「私、ちょっと楽しかったです」
「は? おまえも死にかけたんだぞ」
「そうですねぇ。でもほら、考えてみてください。ボス、私がいないとまた死んでましたよね?」

 ニコリと純粋な笑みを浮かべ、不穏なことを口走る名前。また死んでいた、か。確かにそうだと頷かざるをえない。
 おまえがいなければ……否、いても尚、何度も死にかけたのだから。

「私は幸せなんですよ。大人びていて、かっこよくて、強くて、逞しくて、誰にも掴まれないひとが、こんな矮小な存在を頼らないといけないって、すごく嬉しくて興奮します」
「……」
「あなた達の人生に私は必要なかった。逆も然りです。でも私は、少なくとも私は、出会えたことで人生が変わって、なんていうか……本当ならこんなに早く死ななかったんだろうなって」
「……悪かったな」
「悪いと思ってないですよねソレ。いいんですよ、どうせダラダラ生きてただけです。出会えてよかった。本当に幸せでした」

 伏せられた睫毛が震え、緩く弧を描く唇。まるで思い出に浸るかのように、そしてそれを噛みしめるように、切ない表情を浮かべる。

「あ、そうだボス。約束してください」
「なんだ」

 もうオレたちの命は終わっているのになにを約束するというのか。この女はいつも急で、突拍子もなくて、掴めない。
 疲れた顔を隠さぬままに返事をすれば、名前が両の瞳でオレを正面から見つめた。

「生まれ変わったら迎えにきてください。私は生まれ変わっても、あなたと……あなたたちと一緒にいたいです」

 見つめる顔が、無理やり表情を作っていることがわかった。目が潤んでいるのも、唇の端が震えているのも。
 これが、ああ、そうか。これがおまえ≠ネのだな。ようやく理解した。おまえは何重にも塗り固められた人間を演じてきたのだな。剥き出しになったおまえが、今は心の底から愛おしく思う。

「……良いだろう。いつになるかは分からんが、迎えに行く」
「よかった。じゃあさよなら」
「は」

 グイ、と掴まれていた手首が力いっぱい引かれて体勢を崩す。なにをされたのか一瞬理解が追いつかなかったが、空を背負い、オレよりも高い位置にいる名前と、身体を纏う浮遊感で血の気がひく。
 落とされた! なんの知らせもなく! 訂正する。やはりおまえは何も分からん!
 死に際を何度も経験したからだろう。この感覚には覚えがある。
 世界の全てがスローに見える。呼吸の一つさえ大きく聞こえる。視界内の全てがはっきり見える。
 名前の背後から迫る人型の泥の、その中から覗く眼を、オレはよく覚えている。異質なスタンド能力だ。レクイエム。囚われれば最期、誰も逃れることはできない。……この瞬間のオレを除いて。

「来世で会いましょう、ディアボロさま」

 ──では名前はどうなるのだ。
 振り返る名前がレクイエムを見据える。片手を持ち上げて応戦しようとするが何やら様子がおかしい。「……やっぱり嫌いだ」吐き捨てるような言葉が耳に入る。まさかとは思うが、能力が発動しないのか。
 手で指示を出さなくとも今の名前ならば思考するだけで能力が発動し、物体を操ることができる。それなのに周りには何もない。先ほどまで浮いていたアスファルトも地面に落ちている。
 能力を奪われたのかとも思ったが、そういえばこいつの能力はあまりに気まぐれだった。

「名前……!」

 オレの声に振り向く、その表情に手を伸ばす。

「もう、あなたの情けない声は聞き飽きました」

 遠ざかる。
 呆れるような、けれど嬉しそうな声色を最後に、オレの意識は途絶えた。

2022.08.25


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