君の音色を | ナノ

それは、ある日の正午過ぎ…

『ただいま帰りました。』
「あ、おっかえりー!」

長期の仕事を終え久々にサンライズレジデンスに帰ると、日中だというのに珍しくリビングに人が居た。

『あれ、椿?』
「おー、蓮!結婚式ぶりじゃん!」
『ああ…確かにそうだね。うん、久しぶり。』

そう。父さんと美和さんの結婚式が終わった次の日、私は息つく間もなくドイツへと飛び立った。オーケストラのコンサートにゲストとして招待され出演するという仕事でヨーロッパの国々を幾つか飛び回り、ここへ帰って来るのは約3週間ぶりだ。

「な、どうだったヨーロッパ?」
『楽しかったよ。コンサートも成功したし、少しだけど観光もできたし。』
「へー、良かったじゃん!俺も見に行きたかったなー。」
『休みが取れたら行って来たら?良い観光場所とか教えるよ?』
「や、そーいうんじゃなくてさ…」

そう言って椿が横に視線を逸らすと、私の中でふと何かの違和感を感じた。

『…そういえば椿、今日仕事は?』
「ん?あー、今日は午後から。も少ししたら出ようかと思ってる。」
『ふーん…』
「あ、蓮。お土産のお菓子もらっていー?」
『どーぞ……?』

お土産としてテーブルに置いたお菓子の箱を開ける椿を見て、気付く。

いつも彼の傍らにいるはずの人が、いない。

『…ねえ椿?』
「うん?」
『今日、梓は?』
「っ、」

そう訊ねた途端、椿の肩がピクリと跳ねて動きが停止する。けれど、次の瞬間にはいつもと変わらない笑みで話し始めた。

「…ああ、梓?梓はねー、今日は午前中急遽打ち合わせ入ったんだって。そのあと収録行くっつってた。」
『迎えに行かないの?確か、今収録スタジオ近いんでしょ?』
「うん。なんかマネージャーに送ってもらうってさ。」
『へぇ…珍しいね。』
「え、そう?」
『だって前は一緒に行ってたし、帰って来るのも一緒だったから。だから別現場からのときも、毎回どっちかが迎えに行くんだと思ってた。』
「あー…まあ、俺らもたまにはそーゆー気分じゃない時もあるんだって。」
『気分?何それ…』
「あ、わり!俺そろそろ行くから!」
『え、ちょっ…!』
「行ってきまーす!」

お菓子を一つ手に取った椿は、私が制止する間もなく風のような速さでリビングを出て行った。

『……逃げられた。』

…そして結局、その夜椿と梓は別々に帰宅。先に帰った梓に椿のことを聞いても、「椿は用があるって」とだけ言って部屋に戻ってしまった。椿の変な様子といい、梓のそっけなさといい、私がいない間にいったい何があったのだろうか…。


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