君の音色を | ナノ

『…ん?』

そのメールが届いたのは、これからお世話になる芸能事務所への挨拶を終えた、その帰り道だった。

『…美和さんだ。』

送り主は、私たちの新しいお母さんである美和さんから。美和さんからメールが来るのは、これが初めて。実は随分前にお父さんからアドレスを教えてもらってはいたものの、なんとなく勇気が出ず…結局今日に至るまでこちらからは送れず仕舞いだった。けれどこれを機に…なんて少しわくわくながらメール画面を開く。

しかし…

『……は!?』

そこに映し出された文面は、私の中の想像をはるかに超えた内容だった…。


**********

『ただいま帰りました!!」

玄関で脱いだヒールを揃えるのもそこそこに、急いで5階のリビングへと駆け込む。するとそこには、ちょうど今日仕事が休みだったらしい雅臣さんが一人寛いでいた。

「…蓮ちゃん?どうしたの、そんなに慌てて。」
『雅臣さ…あの、あのっ!ピ、ピアノが…』
「えーっと……ああ、あれ?」
『…え?』

普段と何ら変わらない様子の雅臣さんが、ふいにリビングの隅を指差す。その先を見た私は、思わず自分の目を疑った。

『…はああぁ!?』

なんとそこには、黒艶出塗装を施された立派なグランドピアノが鎮座しているではありませんか。…何事ですか、これは。

『ま、雅臣さん。これ…』
「うん、午前中に届いたみたいでね。右京が受けてくれたんだけど、母さんからだって。」
『み、美和さんっ!?』
「あれ?僕から母さんに電話したら【蓮ちゃんには私がメールしとく】って言ってたんだけど…もしかして届いてなかった?」
『いや…届きました。届きましたけど!!』

あのメールの中で、美和さんはただ「ピアノを送った」としか言っていなかった。でもそれがまさか、こんな大層なものだったなんて…!!確かにこの広いリビングには余裕で収まっているけれど、さすがにこれは少しの模様替えどころでは済まされないレベルの代物だよね…。

「まぁまぁ、とりあえず近くで見てみてよ。」

驚き過ぎて放心状態のまま突っ立っていた私を、雅臣さんはピアノの傍まで案内してくれた。連れられるままに近付くと、演奏用の椅子をそっと引いて腰掛けさせてくれる。そしてふと顔を上げると、雅臣さんが少し不安げに私を見ていた。

「…どう?近くで見た感じは。」
『そ、れは……すごい、ですけど。』

世界的にも有名な一流ピアノメーカーのものだ。どこから見たって素晴らしい。音色も、それはそれは美しいんだろう。だけどそんな高価なものを、まだこの家に来たばかりの私に…?

「…ごめんね。突然で驚いたと思うけど…許してあげてもらえないかな。」
『へ…?』
「これは多分、母さんなりの愛情表現なんだと思うんだ。」
『愛情、表現…』
「そう。少し、強引だけどね。」

そう言うと、雅臣さんはピアノの蓋にそっと手をついて話し始めた。

「なんか母さん、すごく張り切って選んだみたいでさ。ピアノのことはよく知らないからって、君が来る前から僕達にメールしてきたり友人に聞いて回ったりしてて。」
『え…』
「ほんと、あの騒ぎようったらなかったよ。再婚して二人も娘が出来たのがよっぽど嬉しかったみたいでね。絵麻ちゃんの部屋の壁紙やら家具やらも、全部一から新調して選んでたし。」
『そう…なんですか。』
「それに、この前も電話掛かって来たよ。君は無事に家に来れたか、絵麻ちゃんは元気かって。」

美和さん、私たちのことをそんなに…

「あ、でももし迷惑だったりしたら言ってね。あの人、かなりパワフルだから止められない時も…」
『め…迷惑だなんてそんな!あり得ません!!』
「そう?…それなら良いんだけど。」

愛情表現が突然の贈り物…というのは正直心臓に悪いので控えて頂きたいけども、これほどまでに歓迎して貰えたというのは素直に嬉しい。本当の母に一度も会ったことのない私たちにとって、美和さんは初めての「お母さん」だから、尚更。
離れて暮らしていても、こうやって愛情を示してもらえるのはすごく幸せなことだと思う。


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